狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

川越宗一『熱源』

文庫化された川越宗一『熱源』を読みました。2019年下半期の直木賞受賞作です。アイヌが主人公というので気になっていたんです。

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尾本惠一『ヒトと文明』(ちくま新書)によると、狩猟採集民は3種類に分類できるそうです。

  1. 非定住で遊動生活をおこなう古典的狩猟採集民=遊動民(ノマド)
  2. 定住し特定の植物の栽培(園芸・園耕)をおこなう者
  3. 大集落や大型建造物を造り、他地域の集団と物資の交易をおこなう「複雑な狩猟採集民」(コンプレックス・ハンター・ギャザラー)または「豊かな食料獲得者」(アフルエント・フォーレジャー)と呼ばれる集団。*彼らは「文明」と混同されることがあるが、農業や都市を持たない。

アフリカ、南米、北米、極北のイヌイットたちの狩猟採集生活を読んできましたが、アイヌは「3」の「複雑な狩猟採集民」だと思われます。私はノマド的な狩猟採集社会に興味があるので、アイヌを後回しにしていたのでした。

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スケールが大きい物語です。主要人物である樺太アイヌの男性たちやポーランド出身の人類学が実在したらしい。彼はが歴史の激流に巻き込まれ、樺太、北海道、東京、ポーランド、ロシア、南極を駆け巡ることになります。後半は、金田一京助や横田源之助、大隈重信らも登場しました。話を盛り込みすぎた気もしますが、小説は自由なもの、こういう展開もあるのでしょう。

アイヌが和人に支配・同化されるなか、主人公ヤヨマネクフは、育ての親チビコローに「文明」について訊ねると、次のセリフが返ってきました。

「馬鹿で弱い奴は死んでしまうっていう、思い込みだろうな」

文明なんて、ついこのあいだ人間が考えたものです。アイヌは狩猟や漁撈で何万年も平和に暮らしていました。アイヌは文明人より劣っているのでしょうか? もしも樺太に文明人である和人が徒手空拳で放り出されたらは生き延びられないのに。

帝国主義の列強諸国は、いろんな地域の「馬鹿で弱い奴」を征服し植民地にすることを正当化する恰好な理屈を求めていました。進化論・優生学・遺伝学などとともに、当時の人類学が帝国主義の後ろ盾となる学問だったことを『熱源』ではきっちり指摘しています。たとえば、登場する民族学者が民族学と人類学をこう評しました。

「(略)ヨーロッパ人種が他人種を支配するのは、後者の知性や文化が、あるいはその将来の可能性が劣っているからだ。理想的な進化を遂げ、究極的な文化発展を遂げようとするヨーロッパ人種こそが地球の支配者なふさわしい。そんな理屈を列強は欲している。ゲルマン人、アーリア人、チュートン人。何でも良いがそこいらの白人種が、他人種に優越する。その名分を科学的に保証させたいのだ」

私は、アイデンティティーを探る物語だと感じました。アイヌはアイヌたりえるのか、ロシア人か日本人になってしまうのか。ロシアに占領されたポーランドは独立できるのか。登場人物は、アイヌの名と和人の名、ポーランド読みの名とロシア読みの名を持っていることが彼らのアイデンティティーや属性が揺らいでいることを象徴しています。

主人公ヤヨマネクフは山辺安之助の名で『あいぬ物語』(金田一京助編訳)を、ヤヨマネクフの幼なじみで教育者・学者の千徳太郎治は『樺太アイヌ叢書』を残しています。いずれ読むことにしましょう。

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内容に関係はない話ですが、39字19行という、文庫にしては(特に行数が)キッチキチに組まれていることに驚きました。約500ページの本ですから、ノドに近い文字が読みづらかった。もしかすると、行間が文字の半分以下かも(文字12.75級で行送り18.5歯)? 近年、19行なんて文庫は見たことがありません。直木賞作品でも、極力ページを少なくするんですね。