狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

原ひろこ『子どもの文化人類学』

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コロナコロナでギスギスし、人が少ない場所では禁止されていないジョギングまで「不要不急の外出はやめろ」とか「マスクしろ」とか言う人が出てくる始末。鼻呼吸できるスピードでしか走らない私も厳しい視線を感じるれるので、山中先生推薦のバフを首に巻いて、人とすれ違うさい鼻と口を覆います。バフの効果なんて科学的裏づけはないはずので相手と最大限距離を保ちながら……。

子どもの文化人類学

子どもの文化人類学

 

ストレスが溜まる世の中でござんす。私を癒してくれるのはやはり狩猟採集民です。数ヶ月前に古本屋で買っていた『子どもの文化人類学』(みすず書房、初版1979)をなにげなく手に取ると、おもしろくて止まりません。日曜日とはいえ連休前で仕事がたくさんあったのに結局読んでしまいました。

著者の原ひろ子さん(1934〜2019)という方、迂闊なことに知らなかったのです。東京大学が女性を受け容れたときの第一期生であり、文化人類学を学び、おそらく専門分野で得た知識をもとにジェンダー研究をされていたとのこと。こちらの挨拶で、原氏の業績が紹介されているので、ぜひご一読を。英語のあとに日本語があります。

『子どもの文化人類学』は世界各地の子育てと日本のそれを比較しているエッセイ集です。日本と比較されるのは、著者自身が現地調査したカナダ極北の狩猟採集民ヘヤー・インディアンおよびジャカルタのイスラム教徒、夫・原忠彦が調査したバングラデシュの農村、他の人類学者が報告したいろんな土地の家族、イスラエルのキブツ、アメリカなどなど。110年前に始まった、社会主義的な共同集団キブツの子育てなどもなかなか面白く、考えさせられました。

当ブログでは狩猟採集民ヘヤー・インディアンに絞って書きましょう。原氏は、1961〜63年にのべ11ヵ月実地調査したそうです。

ヘヤー・インディアンとは

ヘヤー・インディアンが白人と初めて接触したのは1798年。19世紀には毛皮交易基地ができ、カトリック教会が建ったそうです。著者が尋ねたころは、350人くらいが日本の広大な土地を移動しながら暮らしていたそうです。本文に載っている写真を見ると、すでに周りの人々と交易していることがわかります。カナダ政府が救護室をもうけ、看護婦を常駐させてもいるらしい。寄宿学校に通い、英語を知っている子もいました。

彼らはだいたい十歳くらいまでに各人が守護霊を持ち、守護霊と相談しながら行動するそうです。自分の体調を感知する能力に優れているそうです。解体した獲物の内臓を観察することで自分の身体の構造を類推しているとか。

彼らは、守護霊に死期を告げられると、まもなく死ぬらしい。病人が死期を悟ると、みんなが集まってきて、よく死ねるようにはげまし、見守ります。死にたくないとあがいたり、死に顔が美しくない場合、霊魂は悪い幽霊になって聖者を誘いこむのだそうです。白人は、ちょっとした怪我や風邪でもすぐに死んでしまう彼らが不思議でならないと書かれていました。

育児は「あそび」

 ヘヤー・インディアンは、「はたらく」「あそぶ」「やすむ」を区別しています。育児は「はたらく」ではなく、「あそぶ」ことだそうです。彼らの社会では、頻繁に養子縁組が組まれます。自分の子どもが成長すると、他人の赤ちゃんをもらって楽しみながら育てるのだそう。赤ん坊でさえも「一個の独立した人格」として接するというのが興味深い。彼らの将来は育て方によって決まるのではなく、おのおのがきりひらくものだと考えているらしい。かつて当地を訪ねた白人は「ヘヤー・インディアンは、子どもを甘やかす。白人の文明で行われるしつけをしない下等な者どもだ」と記録しているそうです。大きなお世話です。

教える-教えられるという関係がない

 さて。東大総長の演説にも出てきますが、原氏はヘヤー・インディアンの世界に「教える」「教えられる」という観念がないことを発見しました。

「教える」、「教えられる」という概念がない、ひいては「師弟関係」などが成立しないという、このヘヤー文化の基盤には、「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっているのです。ここでは、親といえども子に対して指示したり命令したりすることはできない、と考えられているのです。人間に対して指示を与えられることのできる者は、守護霊だけなのです。

「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」というのは狩猟採集社会に見られる平等社会により派生したシステムなのでしょうか。帰国した著者は日本の子どもや青年が「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになったそうです。

しかし、当時のヘヤー社会もカナダの文明文化を受容しなければならなくなっていました。

(略)そこで、彼らも、ある程度、「順序だてて、人に教えてもらう」やりかた、つまり効率的(?)にものごとを覚えるという態度を身につけねばならなくなっていくでしょう。そうしなければ、白人社会により早く適応してゆく(人種差別をうけながらですが)エスキモーをはたで見ながら、よりみじめな境遇にうちのめされるのかもしれません。

著者が書いたのは60年前のヘヤー社会です。今はどうなっているでしょうか……。