狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

国会議事録を検索してみよう

みなさん、国会見てますか?

YouTubeでもいくつかのチャンネルで中継されています。私は野党(立憲民主党、共産党、れいわ新選組、社会民主党)の質問は極力チェックしています。自ら「ゆ党」を名乗る日本維新の会や、旗幟鮮明でない国民民主党はほとんど見ません。

時間がなくて見られないという方、TBSラジオ「荻上チキSession」の18時台でポイントをまとめてくれています。ポッドキャストのほか、YouTube で聴けます。NHKの21時のニュースは、大臣がはぐらかすところなどは映さないので、いただけません。

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さて、何か問題が起きたときは、国会議事録を検索してみましょう。国会会議録検索システム で検索できます。

たとえば、統一教会が話題になったとき、いろいろ検索してみました。すると、中村敦夫元議員が過去に国会で質問していることがわかったのです。のちに、朝日新聞などでも採りあげられたやりとりです。 

興味のある方は、こちらをお読みください。→ 第143回国会 参議院 法務委員会 第3号 平成10年9月22日より

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さて。紅麹のサプリにより、機能性表示食品が取り沙汰されています。第二次安倍晋三政権では、開発研究費の少ない中小企業のために機能性表示食品という制度をつくると言ったのですが、開発費も宣伝費も潤沢な大企業のためだったとは明らかな話です。ついに、死者まででてしまいました。かつて、国会で、こんなやりとりがありました。森まさ子国務大臣と、共産党・穀田恵二議員のやりとりです(赤い太字は引用者)。→第186回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第3号 平成26年3月25日

〇森国務大臣 [略]そして、二点目の御質問でございますけれども、健康被害が拡大することがないように、そして、この健康被害については効果的に防止、救済をできるような制度としてまいりたいと思います。

〇穀田委員 誰かて希望はそう思っているんですよ。別に、悪魔であって、これで健康被害をふやそうなんて考えている人はいないんですよ。[略]
 その上で、おっしゃったのは、拡大することがないようにと。だから、ないようにじゃないんですよ。もう一遍言いますけれども、機能性表示という大転換をやった場合には、少なくとも被害が少なくなるとお考えですかと聞いているんですよ。

〇森大臣 食品の新たな機能性表示については、先ほど申し上げましたとおり、検討会を開催しておりますけれども、その主な論点として、私は、先ほども申し上げましたけれども、まず第一に、安全性の確保、そして、機能性表示の範囲をきっちり明確にしていくこと、さらには、科学的根拠を示す場合の科学的根拠のレベルをしっかり決めていくこと、そして、食品表示制度として国が関与していくこと等の論点があるというふうに考えておりまして、これらの論点について検討会でしっかりと検討をさせていただいているところであります。
 先ほどお示ししたスケジュールの中で、可能な限り精力的に、学識経験者のみならず消費者や事業者団体の皆様にも御意見をいただいておりまして、消費者被害が拡大しないような方向で取りまとめてまいりたいと思います。

  [略]

〇穀田 これは命にかかわる問題ですから、起こってからでは遅いんですよ。私は危ないと言っている。あなたは危険がないようにと言っている。それは歴史が審判するでしょう。でも、私がそういうことは危ないよと言っていて、大臣は安全性が大前提と。大前提は当たり前なんですよ。それはそうなんだけれども、今の事態はそれを保証する事態にならないということを言っているわけですね。
 今やろうとしているのは、明らかに、食品市場の拡大と輸出拡大ということを目的に、わざわざ規制緩和ということを書いているわけですよね。この食品についての機能性表示は、何も安全性を目的としてやるんじゃないんです。あなたのおっしゃっているのは、機能性のところをやるときには安全性を第一に考えたいと言うんだけれども、目的が違うんですよ。
 健康食品の機能性表示を解禁するという目的は何か。それは輸出の拡大と食品市場の拡大と銘打っているんですよ。だから、目的が全然違うんです、今の政府のやり方は。そこを履き違えちゃあかんよと。だから私は、そういう緩和じゃなくて、規制強化が必要じゃないか、主婦連を初めとした団体もそう言っているということを言っておきたいんです。
 ですから、私は最後に、薬事法等の適正な適用を図って、違反した広告宣伝物の表示に対して取り締まる規制強化、それから、景品表示法に基づく措置命令等の権限付与の必要性、こういったものを訴えて、そして、複数の健康食品の利用や薬との併用にかかわる注意喚起だとか、アレルギーを持つ者や高齢者等に対して利用にかかわる注意事項の義務づけ、それから、届け出制度、登録制度の導入、最低限こういった厳しいことをしながらやらないと、制度設計を間違う、大臣がおっしゃる安全を第一にということじゃない事態になりかねないということを警告して、質問を終わります。

国会を見ないで、「野党は批判ばかり」と誰かのセリフをコピペする人がいますが、国会議事録を読めば、どの議員が誠実なのか、庶民のことを考えているか、わかります。

誰が総理大臣を決めているのか

日本の法律や政策は誰が決めているんでしょうか。日本の政治家?

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岸田氏が訪米する少し前、第6次アーミテージ・ナイ報告書が公表されました。(→ 日米同盟は「より対等」から「より統合」へ 米有識者ら提言 | 毎日新聞

元国務長官リチャード・アーミテージと政治学者ジョセフ・ナイはジャパン・ハンドラーとして知られ、彼らの提言どおりに政策が決まっていくのです。今回の《提言の柱は、安保同盟を発展させる▽パートナーシップと連合を拡大する▽経済及び技術協力を強化する──の3本》だったとあります。

約一週間後、日本時間で4月12日の0時くらいかな。岸田文雄首相がアメリカ議会で演説しました。英語は上手でしたね。でも、内容はホラー小説のようでした。

 地政学的な状況が変化し、自信を深めるにつれ、日本は米国の最も近い同盟国という枠を超えて、視野を広げてきました。日本はかつて米国の地域パートナーでしたが、今やグローバルなパートナーとなったのです。日米関係がこれほど緊密で、ビジョンとアプローチがこれほど一致したことはかつてありません。
 今日、両国のパートナーシップは二国間にとどまりません。例えば、米国、日本、韓国、豪州、インド、フィリピンによる三か国間や四か国間の協力、さらにはG7を通じた協力や、ASEAN(東南アジア諸国連合)との協力が挙げられます。日米韓の首脳は、三か国のパートナーシップの新時代の幕を開くため、昨夏、キャンプ・デービッドに集いました。

これ、岸田首相や官僚が書いたものでしょうか。上記の報告書とまったく同じです。

アメリカ共栄圏が築かれ、今後は自衛隊が戦争に参戦することになりました。

安倍晋三元首相は、国会でたびたび「憲法は国家の理想を書いたもの」という謎発言をしていましたが、いつのまに現行憲法が反故にされたんでしょうか。憲法99条によれば政治家は憲法を守らねばならず、憲法9条に「戦争の放棄」が謳われているんだから、武器輸出や戦闘をしてはならないのです。

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アーミテージ・ナイ報告書については、山本太郎が何度か国会で質問しています。

2015年8月19日、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会にて。

山本太郎 (略)このお二人、一体何者なのと御存じない方のために、外務省のホームページで次のように詳しく紹介されています。日米安全保障研究会米側委員を代表してジョン・ハムレ戦略国際問題研究所、CSISですよね、CSISの所長が、十四年前にアーミテージ元国務副長官とナイ・ハーバード大学教授がアーミテージ・ナイ・レポートを作成し、日本の安全保障に対するアプローチについて提言したと述べたと書いてあります。
 このお二人が提言してくださった有り難いお言葉の数々が日本国の政策にそのまま反映されている、とても影響力のある方々というお話なんです。(略)(→ 国会議事録当該発言112以降

政府の答弁を意訳すれば、「たまたま同じです」とのこと。

日本では憲法が最高法規のはずですが、現実には、憲法よりもアメリカのシンクタンクの提言のほうが上なのです。あくまでたまたまね。

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岸田氏は、「日米韓の首脳は、三か国のパートナーシップの新時代の幕を開くため」うんぬんと語っています。

震災後、安倍政権下でにわかに反中反韓ムードが高まりました。反中はともかく反韓感情がのこったままでは「日米間」の邪魔になります。また、アメリカは中国を仮想敵国としていますから、日本の与党に親中政治家がいるのも困ります。反韓を煽ってきたのは安倍派、親中派の与党政治家といえば二階俊博です。

ずっと続いていて、知ってる人は知っていた裏金問題が突然明るみになり、安倍派と二階派が弱体化しました。じつは、2014年のアーミテージ・ナイ報告書には、安倍氏と二階氏に懸念を表明しているのです。これもたまたまでしょうか。(私と同じ見立ての人がいました。→なぜ安倍派と二階派だけが裏金捜査の標的に?米シンクタンクのレポートに書かれていた警告

アメリカも日本も、貿易国である中国と戦争なんてしちゃったら、すぐに干上がると思うんですけどね。政治家の大きな役目のひとつは「戦争しないこと」ですが、戦争すると儲かる人もいるのでしょう。日本もアメリカの軍産複合体に組み込まれたのかもしれません。

神一行『閨閥 改訂新版』

政略結婚で姻戚関係をつくり、政財界を支配している特権家系がある──と書くと、藤原摂関家や中世の話のようですが、現代日本もそうなのです。

たとえば、いまの総理大臣の岸田文雄の祖父・正記と父・文武も政治家で、母親は元日東製粉社長の次女。宮沢喜一の弟・宮沢弘は文雄の叔父。弘の息子である宮沢洋一は従兄弟です。宮沢家は鳩山家やブリヂストンの石橋家ともつながっていますから、岸田家の遠縁といえます。岸田文雄の弟・武雄の妻は湖池屋の創業者の長女。2人の妹の夫は財務官僚と元国税庁長官です。

神一行『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』(角川文庫)という本があることを知り、ダウンロードして電子書籍でざっと読みました。2002年の本ですから少々データが古いんですが、よく調べています。もともと「サンデー毎日」に連載されていたようです。

政財界のいろんな家系図が載っています。

丁稚奉公から一代で世界のナショナルを築いた松下幸之助は立志伝中の人物でしたが、成功してからは「閨閥形成」に努め、家門を高めようとしたんだそうです。一人娘の婿養子として旧華族を、孫の妻には日本生命の創始者・弘世現の孫を迎えています。

ことほどさように、特権閨閥は《日本の支配構造の中でアメーバーのごとく増殖している「支配家系」》を形作り、 権力と権益を与え合っているわけです。

あとがきで、《彼らの権力拡大意識の根底をマックス・ウェバー流の表現を借りて「家産主義国家」(略して家産主義)の角度から見てみ》た、と著者は書いています。

家産主義国家とは、国家全体を一部の特権的身分層が「公」の名の下に実質的に「私」する国家という意味である。厳密にいえば、その特権的身分層(これはアメリカの社会学者C・W・ミルズの〝パワー・エリート〟とみてよい)が、必ずしも国家を私有するわけではないが、その実質的権力を握り、それを実地運営することで、一般庶民とのあいだに画然たる差別体系をつくっているシステムのことである。 (あとがき)

 家産主義は、英語で「パトリモニアリズム」という。これは「財産世襲制」とも訳されるように、ある種の人々が国家の共有財産を連綿と受け継ぐという意味を含んでいる。つまり、一部の人々が国家の財産を専制的に運営し、その権利を順次〝特権階級〟に引き継ぐということである。こうした現象は、先に述べたように発展途上国に多く見られる例で、これらはいうまでもなく国家の私物化である。この意味で特権閨閥家系は、まさに家産主義思想の上に存在しているといえなくもないのである。(あとがき)

日本では、200年以上続く同族経営の会社が世界の45%あると、『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』に書かれていました。世襲のなんと多いことでしょう。(余談ですが、ときおり血液型診断が流行するのも、日本人が「血」に拘泥するためじゃないかと感じます。O型とO型が結婚すると子どもはO型なんですよ。性質も遺伝するの?)

結果、頭がよく、高い志をもった候補者は世襲候補に敗れ、優れたベンチャー企業は大企業に叩かれるのです。オルテガも、世襲議員を「慢心しきったお坊ちゃん」と表現していました。統一教会や裏金工作していた世襲議員だらけのあの政党を下野させないと機会均等な世の中にはなりません。

アシックス エボライドスピード

厚底シューズの、アディダス スーパーノヴァライズを履き始めたんですが、ゆっくり走っているうちにどんどんスピードアップしてしまうのです。

私は、市民ランナー時代の標準体重62.5kgに下げるまで、6:30〜7:00/kmで充分だと思っているので、がんばって遅く走っても5:30/kmにしか下がらないスーパーノヴァライズはちょっとつらい。

友人のすすめで、アシックスのエボライドスピードというモデルを履き始めました。やはりグイグイ進みますが、こちらは5:45〜6:00/kmなら走れます。


 厚底シューズで遅く走りたいってお前はバカか。

はい、その通りなんですけど……。

エボライドスピードを履くと、両膝が痛くなるんです。膝痛で1日休んだこともあります。無理にブレーキをかけているせいか、ちょっとした窪地などを踏んだときに厚底だから膝に負担がかかるのか……。カーブを曲がるときも注意が必要な気がします。(ちなみに、アディダス スーパーノヴァライズで痛みが出ることはありません)

そんなこんなで、膝の痛みが消えるまで地下足袋みたいなメレル Vapor Gloveで走ります。小石踏むと痛いよ。

「翌日休む」と決めた日だけ、エボライドスピードで走ります。

『スモール・イズ・ビューティフル』2/2

引きつづき、『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫)からメモ。雑談みたいなものです。

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 民主主義、自由、人間の尊厳、生活水準、自己実現、完成といったことは、何を意味するのだろうか。それはモノのことだろうか、人間にかかわることだろうか。もちろん、人間にかかわることである。だが、人間というものは、小さな、理解の届く集団の中でこそ人間でありうるのである。そこで、数多くの小規模単位を扱えるような構造を考えなければならない。経済学がこの点をつかめないとすれば、それは無用の長物である。経済学が国民所得、成長率、資本算出比率、投入・産出分析、労働の移動性、資本蓄積といったような大きな抽象概念を乗り越えて、貧困、挫折、疎外、絶望、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿に触れないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか。(97頁)

10年くらい前、ジクソーパズルで解けないところがあると義姉が言うのです。「経済」は(  )の略語である、という問題でした。答えは「ケイセイサイミン(経世済民)」で、意味するところは「世を経(おさ)めて民を済(すく)う」だと言ったところ、義姉ならず義兄も驚いていました。案外、知られていないのかもね。

日本の経済政策や税制は、民を済っているようには思えません。

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私はよく「答えのない問題」と「答えのある問題」なんて言います。G・N・M・ティレルという人は、それぞれ「拡散する問題」と「収斂する問題」と名づけているんだとか。

シューマッハーは、「拡散する問題」を扱うことは《より高い次元の力の登場を求め、引っぱりだし、それによって人生に愛と美と真実を与え》、《このような高い次元の力を借りてはじめて、二つの対立[拡散する問題と収斂する問題]が現実に和解させられるのである》と書きます。

物理学や数学は「収斂する問題」を扱うが、そればかり相手にしていると、人文科学の「拡散する問題」から遠ざかってしまう……その例として挙げられている、ある人物の述懐をお読みください。

 三十歳のときまで、あるいは三十歳をすぎてまで、たくさんの詩が私に大きな喜びを与えた。学校の生徒だったときでさえ、シェークスピア、とくにその史劇に非常なたのしみをおぼえた。私はまた、以前には絵画がかなりの、また音楽がたいへん大きな喜びを私に与えたこともいった。しかし今は、すでに長年、一行の詩を読むのも辛抱できない。 私は最近シェークスピアを読もうとしてみたが、それは耐えられないほど退屈で、嘔吐が起こりそうなくらいであった。私はまた、絵画や音楽への趣味もほとんど失ってしまった。……私の心は、事実の大量の寄せ集めをつきくだいて一般法則をつくりだす一種の機械になってしまったように思える。しかし、これがなぜ高尚な趣味のもとになる脳のその部分だけを衰えさせることになったのか、私にはわからない……これらの趣味の喪失は、幸福の喪失である。しかも、たぶん知性にとっても有害であろうし、われわれの本性の情緒的な部分を弱めるため道徳的性質にとって有害であるということは、もっとありそうなことである。

正直者ですね。

シューマッハーは、教育について、技術的ノウハウを伝えることも必要だが、《まず何はさておき価値観、つまり、人生いかに生きるべきかについての観念を伝えなくてはならない》と書いています。その《観念が貧しく、力弱く、上滑りでまとまりがないと、》堪えられないほどの《空虚感》に囚われ、そこに《たとえばとてつもなく大げさな政治的観念が現れて、突然何もかもを明るく照らし、生に意味と目標を与えてくれるように見えた場合、精神の空白は簡単にそれで埋められてしまう》と警告するのです。シューマッハーはナチス政権下のドイツを目の当たりにしました。

上記の引用は、『ダーウィン自伝』からだそうです。ナチスの優生思想に影響を与えたのはメンデルとダーウィンでした。

『スモール・イズ・ビューティフル』1/2

 私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせる方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである。巨大さを追い求めるのは、自己破壊に通じる。(講談社学術文庫 211頁 傍点部分は太字にしました)

E・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫)よりの引用です。ガンディーに影響を受けた一人としてシューマッハー(ドイツ生まれ、1911-78)の名前が挙がっていたので興味をもちました。産業資本主義や科学万能主義を批判し、脱成長、環境保護の意見を説いています。上記著作は、1973年に上梓されたものです。

 今でも信じられている経済学は、みなが私利私欲で経済活動をすれば社会は栄えるというリバタリアニズムに基づいたものです。「めいめい利己的にやってりゃ良くなるよ」というわけです。ところが、現実は違います。《現に豊かな人をますます富ませ、権力のある人の権力を強める結果をもたらすような政策しかとれないことがほぼ例外なくはっきりしている》(96頁)のです。いまの日本を見よ、国営サービスはどんどん民営化されてしまい、格差が広がり、大企業と手を組んだ与党政治家が裏金つくりつつ法人税を低くして庶民の税負担を増やしています。

シューマッハーは、みんなが人間性を損なうことなく幸せになる「仏教経済学」を唱えています。答えのない問題を解く力を養う教育、環境を破壊しないことなどを説いているのでした。後半は、人間性を失わない企業のあり方などが具体的に書かれていました。

もちろん、原子力の悪影響についても語っています。こちらは1965年の講演だそうです。

「何百万年以上にわたって発達してきた環境には、どこか優れた点があると考えるべきである。地球には、一五〇万種以上の動植物が生息し、そのすべてが同じ土壌と空気の分子を使い続けて、だいたい均衡のとれた状態の中で生存しているが、このように複雑きわまる惑星の地球を、目的もはっきりしない操作で手直しし改善しようというのは、無理な相談である。複雑なメカニズムに変化を加えると、どんな変化でもある程度の危険が伴うので、あらゆるデータを慎重に検討した上で行なう必要がある。まず、わずかな変化を加える事前テストを行なってから、大きな変化にとりかかるべきである。データが揃わない場合には、そのメカニズムを長い間支えてきた実績のある自然の力にできるだけまかせることである」(177頁)

原発は要らない。私もそう考えています。ただ、『スモール・イズ・ビューティフル』から約40年後、わが国は原発事故を起こしてしまい、日本のみならず世界の環境に悪影響を与えています。せっかく忠告してくれたのに。

シューマッハーの思想は、狩猟採集生活を参考に、社会をとらえなおす私の考えにも通じるものでした。人間は最大でも150人の集団で暮らし、利他的で平等分配をしてきたのです。持つ者は与え、与えられた者は「あたりまえ」なので礼も言わずに受け取ります。それは、何十万年もかけて練り上げられた社会の生存戦略だと思うのです。ところが、定住・農耕以降、人口爆発が起き、階層が生まれ、貧富の差が生じました。

朋あり遠方より来る

Facebookではやりとりしているけど、高校卒業以来会ったことのない──そもそも、在校時代はオールバック&そり込みで、私のほうからは近寄らなかった──友人が大阪から上京したので再会。総勢8人集まり、六本木で昼呑みしました。写真は、東京ミッドタウンをとりまくように植えられた桜です。

卒業したのが1984年かな(珍しく観たテレビドラマ『不適切にもほどがある!』の昭和設定は1986年でしたか。ちょいと違和感もありましたが、ここには詳しく書きますまい)。

思い出話やなにやかやでわいわいやりました。13時15分スタートで、17時くらいまで飲んでいたのかな。最近、いくら呑んでも酩酊しない気がするのは、むかしはもっと呑んでいたせいか、強くなったのか……。