狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

「日本人とは何者なのか」とマニ族

見逃していた、NHKの「フロンティア その先に見える世界 #1 日本人とは何者なのか」を視聴しました。6日にも放映されるそうです。

実は私は「日本人のルーツ」にはさほど興味がないんです。「世界中の人のルーツはアフリカです」で充分。いちおう、2年前に篠田謙一『人類の起源』を読みました。

番組には、篠田氏も登場。ゲノム解析によって、縄文人はタイの山岳に住む狩猟採集民マニの人々と似通っていることがわかったそうです。そうそう、私は彼らのことを知りたかったのです。……が、あとまわしにして、番組の結論を。

東南アジアから海沿いを北上し、3万年前に日本列島にやってきた1000人が縄文人と考えられるらしい。当時は海面が低く、日本列島に渡りやすかったそうです。のちに、東アジアから弥生人がやってきて(篠田氏の本によると、6000年前と3000年前)、縄文人と交雑します。だから、長らく、現代日本人は縄文人と弥生人のハイブリッドだと考えられていましたが、最新のDNA研究では、それ以外の遺伝子が7割入っているそうです。古墳時代(1500〜1200年前)に、東南アジアから多くの人が渡ってきたことで、多様な遺伝子をもっているらしい。昔の人はウエルカムだったんですね。

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さて、マニ族です。取材班による下の記事のほうが番組より彼らの情報が多かった。

初めて見るマニ族の人たちは、周りのタイの人々と比べて肌の色が濃いのが特徴です。

小柄な人が多く、下の写真は身長170センチの私(筆者)と撮影したものです。

集落にいない間、どうしていたのか。 マニ族の男性にそう尋ねると「隠れてずっと見ていた。お前たちがおかしなことをしたら吹き矢を吹くつもりだった」と笑いながら言われました。

国の担当者によると私たちを観察していたのだろうということでした。

狩猟採集生活をしているマニ族の身体能力は高く、吹き矢を持った状態で20メートルほどの木を10秒ほどで登っていき、いとも簡単に野生の鳥を狩っていました。

言葉はタイ語とも異なるマニ族同士しか通じない言語で会話をしていました。食事は1日3回ではなく、小腹がすいたら、その都度、イモを焼いてつまんでいました。

今回取材したマニ族は30人ほどの集団でしたが、たった2家族で構成されており、その2家族も親戚同士だといいます。 タイ政府によるとマニ族はタイ南部に200人ほどいるということです。「山の中で、見知らぬ人に会ったら逃げる」ことが習慣になっており、近くの村人はもちろん、マニ族同士でも他の集団と一緒に行動することはありません。結婚の際に妻になる女性がほかのマニ族の集団から嫁いでくるということでした。

狩猟採集民の特徴をよく伝えています。彼らは腹が空いたら食べます。「見知らぬ人に会ったら逃げる」は、タイとラオスの国境に暮らすムラブリと同じですね。

すいすいと高い樹に登り、吹き矢で鳥を捕る映像には驚きました。

7月、8月のランとコロナ後遺症?ほか

いやあ、ランナーとは呼べない距離ですが、反省の意味をこめて月間距離を記録しておきます。

  • 7月…………152km
  • 8月…………068.5km

7月は、コロナ罹患で、下旬をまったく走れず。8月は故障と広島帰省〜静岡行きと台風などを理由になかなか走れず。いちおう、体重は62.5kg以内に収まっています。

9月も2日までは走れませんが、200kmくらいは走るようにします。

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近況報告

7月下旬、コロナ感染したあとで、髪にハリがなくなったのを自覚しました。明らかに細くなっていて、地肌も見えます。抜け毛も増えた模様。何年か前からシャンプー剤やリンス剤を使わないようにすると、髪の毛が自己主張するようになったんですけど、それ以前に戻った感じです。どうやら、コロナの後遺症ひとつとして抜け毛があるそうで、自然に治るという噂もあるらしい。

巷では、文庫化された『百年の孤独』(新潮文庫)が話題のようです。その作者ガブリエル・ガルシア=マルケスと並ぶアメリカラテン文学の巨頭バルガス・リョサ『緑の家』上下(岩波文庫)と私は格闘中です。上巻だけで、70人くらい人名が出てきたんじゃないでしょうか。バラバラに語られる複数の話がだんだんもつれあってきたところですが、下巻になっても新たな登場人物が……。苦笑

栗原康『無支配の哲学』

お盆に広島に行く新幹線車中で、ポランニー『暗黙知の次元』(ちくま文庫)を読みました。広島駅で「次は笑える本を読みたいな」と探していたら、角川新書のコーナーに、栗原康『無支配の哲学』を見つけたのでした。

栗原氏の文章がおもしろいので、今回は引用多めです。

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前回、狩猟採集民を知るとミニマリズムに興味が湧くと書きましたが、アナーキズムとも親和性が高いのです。無政府主義と訳されがちなアナーキズムですが、無支配主義というべきだ、と栗原氏は書きます。狩猟採集社会にはリーダーがないか、いたとしても強権を発動するわけではありません。アナーキーなのです。

[……]そういうこと[移動]をちょくちょくやりたいのに、たくさんたくわえがあったら、荷物がおもくてたいへんだろう。狩猟採集民にとって、富の蓄積は不合理だ。土地はいらない、家もいらない、財宝もいらない。必要なぶんだけ、衣食住があればいい。しかも、かれらはたんに質素なんじゃなくて、身のまわりには石も骨も皮も木もある。そのつどほしいものがあれば、だいたい自分でつくることができるのだ。石や骨をつかって装飾品だってつくれるし、  獲物の皮を剥ぎさえすれば、わたしたちが高級だとおもっている革製品だってつくることができる。ぜんぶタタだ。ジャマになったら捨てればいい。これがほんとうのぜいたくだ。あとは宴会、ダンス、宴会、ダンス、宴会、ダンス、宴会、ダンス。ダンダンダンダン、ディダンダン、ディダンディダン、ダディダンダン。うたえおどれのドンちゃんさわぎ。なんにもなくなる、スッカラカンだ。ぜんぶなくして、狩りにでろ。[人類学者の]サーリンズは、こういっている。「狩猟採集民は、何ももたないから、貧乏だと、われわれは考えがちである。むしろそのゆえに彼らは自由なのだと、考えた方がよいだろう。『きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったくまぬがれており、生活を享受しているのである』」。所有はジャマだ、捨てちまえ。わたしはなんにもしばられない。原始人なめんな。

本書では、アナーキズムやコミュニズムの思想、実践が綴られます。反逆に反逆を重ねて死んでしまう人たち。国家は強い。究極的に、クソ国家や資本主義の支配から脱する方法・人が人らしく自由になる方法を栗原氏は以下のように書きます。

 国家ってのが、ひとを支配の原理で生きさせているんだとしたら、そっから死ぬ気でバックれよう。国家からはみえない異次元の生きかたをはじめるんだ。[……]逃げて、逃げて、逃げまくれ。もちろん、国家はそういう人たちのうごきを盗みだとか、犯罪だとかいってくるだろう。だったら、こっちだっていってやる。気にするな、見切り発車でぶっとばせ。いくぜ、戦闘的退却主義。負ける気しかしねえ、チョレイ!

では、「自由」ってなんでしょうか。

[……]アナキストのいう自由とはなにか。自由(freedom)の語源は、友だち(friend)である。いつでも友だちをつくりだすことはできる。その力をもっていることが自由なのだ。友だちは上司でも部下でもない。主君でも臣下でもない。主人でも奴隷でもない。上下関係があったら、それはもう友だちじゃない。

そうだよ。マウントとるようなやつは友だちじゃないんです。友達と呑みにいったら、カネを持っているヤツが払うもの。いちいち「俺があいつよりいくら多く払った」と計算しはじめたり、たくさん出してもらったと負い目を感じだしたら、もう友達じゃない。狩猟採集民も、「誰が多く獲物を分けてやった」なんて覚えてないもの。みんなも主従関係のないアナーキストにならないか?

思い出されるのは、ながら健壱『葛飾にバッタを見た』です。「きのうバッタり、道バッタで〜 昔の友達とあった」で始まる曲の2人に「持つ者 - 持たざる者」の優越感・劣等感が生じているなら、もう友達じゃありません。

バッタを見よ。自由だ。

『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 』

狩猟採集民って、あまりモノを持たないんです。移動するのに邪魔だから。彼らを知ると、ミニマリストとかダウンサイジングに興味がわきます。いちいち感想を書いていませんが、ミニマリストの本も見つけたら読んでいます。読んだ本が私の本棚に溜まっていくのは矛盾していますが……。

先日、ラジオに稲垣えみ子がゲスト出演していました。元朝日新聞社の震災を機に冷蔵庫を捨ててミニマリストになった人です。彼女が「朝は喫茶店でモーニングを食べる」と言ったら、「ミニマリストが喫茶店に入っちゃダメだろ」という投稿がXにたくさん見られました。彼女はエッセイを連載したり、テレビラジオに出てカネを稼いでいるんだから、喫茶店に入ってもいいだろうと思うんですが……。Xの反応では、おおむね彼女は否定されているようでした。

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少し前、橋本努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』(筑摩選書)という本を読んだんです。タイトルはマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をもじったもの。著者は社会学者で、北海道大学大学院の教授とのことです。

最終章は少しまとまらなかった感じですが、全体的に面白かった。エッセイ、漫画、ブログなどで発信する多くのミニマリストを網羅的に紹介。持たざる人たちの歴史的背景、哲学的考察、禅との関係など、たいへん勉強になりました。

アメリカのミニマリズムは、1960年代の左翼運動やヒッピーなどのカウンターカルチャーと関係があるらしい(スローフードなどの対抗文化やレジャースポーツはたいていここから出発しています)。シンプル生活の実践が現れたのは1980年代とのこと。

日本では、中野孝次『清貧の思想』、モッタイナイ運動、『断捨離』、『人生がときめく片づけの魔法』あたりの影響ではじまった、比較的最近のムーブメントらしい。それ以前にもそのたぐいの考え方はありましたが。

つまり、ミニマリズムに到る動機や考え方はいろいろあったということです。ミニマリストといっても種類があり、長く使えるいいものを少し持つタイプの人もいるのだとか。スマホやタブレットがミニマリズムの武器になっているという指摘もありました。私みたいに狩猟採集生活を知って興味を持ったという人はいないようです。

ミニマリストとは資本主義に背を向けるムーブメントです。

みなさんもご存じのとおり、資本主義社会は、「買え、もっと買え」「いいもの出したから今持ってるものを捨てて買い換えろ」「経済を回すために消費しろ」と消費者を脅迫します。いや、待てよ、私たちはいつ消費者になったのか?

テレビを見たら、通販ばかり。1日に何種類ものダイエット商品が紹介されたりするのです。そろそろ太った人いなくなるでしょ?

ミニマリストはみんな、モノを捨てたら幸福感が増したといいます。人と自分を比較することがなくなったとも(私自身は、他人と自分をあまり比較しないので、その感覚は少しわからないのですが)。あるイラストレーターは、17歳のときにフラれて絶望し、もう死んでしまおう、死んだあと見られたくないので持ってるモノ全部捨てよう、アレレ、捨てたら悲しい気持ちが消えて生きる希望が湧いてきた……と書いているらしい。

著者も書くように、すでに資本主義は限界で、延命を図っている状態です。格差が広がり、多くの人が苦しんでいます。ミニマリストになる試みは(本人の動機はどうあれ)資本主義から降りて脱成長というムーブメントに荷担することであり、新しい地平を獲得することになる可能性があると、著者は書きます。

さて、私はどうするか。私は資本主義が嫌いで拝金主義の人にはまったく興味がなく、組織とか人心掌握とかは性に合わず、1日4時間働いて楽しく暮らす狩猟採集生活を知っているのです。明日は、どっちだ。

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おっと、ひとつ書き忘れました。稲垣氏に対してみんなが攻撃的だった件について。

ほとんどの人は汗水たらして稼いだカネでモノを買い経済を回す、資本主義の価値観を内面化して暮らしており、ミニマリストのような、努力を惜しんで、資本主義の外に出ようとする人間に対して厳しいのです。私はあくせく働くよりはよほど人間らしい気がしますけど。

応援! Trans Japan Alps Race 2024 後篇

↓ ↓ ↓ 前篇から続く ↓ ↓ ↓

富山から北、中央、南アルプス山脈を縦断して静岡の海岸に向かうTJARの最終日。

2年前は台風直撃のためM選手はリタイアしました。前回リタイアした選手で再挑戦をしているのは彼だけだそうです。今年、台風7号が発生したときは不安になりましたが、関東以東に逸れ、さほど影響はなかったようでした。

すでにM選手は、山を降りてロードに入っています。2台のクルマでコースを逆走し、ゴールから27km離れた地点で発見。少し声をかけて、残り17.5kmの道の駅で待機します。

IBUKIという、GPSによる位置サービスをチェックしながら辛抱強く待っていると、やっとこさM選手が視界に入りました。われわれが見えると、よちよち走ってくれるのがいじらしく目頭が熱くなりそう。意識ははっきりしていて、余力があるようです。「もうゴールしたのも同然ですよ」と冗談をいうから頼もしい。車いすに座り酸素吸入しているNとのツーショットを撮影しました。M選手、われわれが見ているあいだは、また走るふりをしてくれました。

それが15時半くらいだったか。

またクルマに乗って先回り。歩いているM選手を追い抜くときに声をかけました。

私は泊まり覚悟。ネットで格安ホテルを予約し、チェックイン。3300円なのに、ちょっと大きめの部屋にしてくれました。結局、寝ただけですけど。

ふたたび応援組が合流して、日没前の大浜海岸へ。きれいな月が出ています。M選手のご家族やトレラン仲間も集結しました。

海岸に出るには階段を上り下りしなければなりません。スタッフのみなさんが、Nが乗った車いすを運ぶのを手伝ってくれました。感謝。月光が海に映えています。波音を聞きながら、M選手の到着を待ちます。

21時半ごろ。M選手が現れました。やった、台風直撃でリタイアした2年前、たどりつけなかったゴール地点を通過しました。かっちょええ! フィニッシュラインの向こうにいたNとしみじみ話していたけど、あえて聞かないようにしました。

フィニッシュ後、公開インタビューがありました。Mくん、求道者のような話しぶりです。今回は、仮眠をとりながら、余力を残しながら進んだそうです。日々の練習や山岳レース参加など、何年もの努力が実を結びました。

22時過ぎにインタビュー終了。声をかけると、「萩往還のときより余裕でしたよ」と笑います。私と一緒に7年前に萩往還ウルトラマラニック250kmの部を完踏したことを覚えていてくれたんでしょう。握手して、この日は別れました。最後尾の参加者2人がまもなくフィニッシュするころでした。

あらためて、お見事です、M選手。おめでとうございます!

応援! Trans Japan Alps Race 2024 前篇

以下、ひと手間かければ、すぐに実名がわかるんですが、当ブログではプライベートをボカしているので、すべてイニシャルにします。

お盆に珍しく休みを取り、広島に帰省。母親が18日(日)に88歳の誕生日を迎えるので、そのお祝いです。16日と17日に実家に泊まりました。ささやかな誕生会は17日夜。母上、おめでとう。

明けて18日。田舎の朝は早い。母親も5時には起きています。私もつられて早寝早起き、5時に起床。あらためて「おめでとう」といい、雑談をし、7時過ぎには実家を出発。

11日にスタートした Trans Japan Alps Race の制限時間は18日24時。ラン仲間のM選手は順調に進んでいます。すでに南アルプスを下っていて、前日、「15時半にはゴールかも」と仲間内では囁かれていました。仮眠を数時間入れるから18時くらいじゃないかと予想しつつも少々気が急いておりました。

新幹線のぞみはお盆期間で全席指定ですが、広島駅発8時6分に空席がありました。謎の巨大地震注意や台風7号による前日の東京〜大阪間運休で、イレギュラーなことが起きているのでしょうか。自由席特急券を買って名古屋までのぞみのデッキに立つつもりでしたが、指定席を確保しました。

咳してる人多かったなあ。

3人席の通路側を選択したんですが、岡山駅から乗ってきた斜め前の若い女性が間断なく咳をします。私は1ヶ月弱前にコロナに罹患したので免疫があるかもしれませんが、念のため警戒し、新神戸駅あたりからはデッキに座っていました。すると、京都駅を過ぎたところで、くだんの彼女がデッキに勢いよく飛びこんできて、激しくゲホンゲホンと咳き込みます。あまりの咳で、座席にいるのがいたたまれなくなったのでしょう。ならばと私が座席に戻ると、いつしか隣に女性が座っていて、私の座席に大きな荷物を置いて寝ていました。しかたなくべつのデッキで本を読みます。やはり自由席特急券買って立っていればよかった。

名古屋に着いて、こだまに乗り換え、静岡に。お昼直前でした。先乗りしていた友人のクルマでファミレスに行き、6名で食事しました。私ふくめラン仲間の同級生4人と、Nの奥さんと息子くんです。

われわれの高校の同級生であり、M選手の同僚だったNは、いまALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘っています。M選手とNの関係は、NHK で放送された2年前の TAJR のドキュメントや、大会直前の地方紙でも採りあげられました。車いす生活のNは前向きに暮らしています。MくんはNを頻繁に訪ねているらしい。今回、NはゴールでM選手を待っていると約束しているんです。

昼食のあと、N一家のクルマと、友人のクルマで、M選手を探しにドライブしました。

↓ ↓ ↓ 後篇に続く ↓ ↓ ↓