煎本孝『こころの人類学──人間性の起源を探る』(ちくま新書)読了。
カナダ・インディアン、日本のアイヌ、ロシアのトナカイ遊牧民コリアーク、モンゴルの遊牧民、ラダック王朝──狩猟採集社会、首長制社会、遊牧民、王国など──著者がフィールドワークしてきた社会から、人間社会には共通して「初原的同一性」があった、といいます。(狩猟採集社会が、定住や農耕以降、どのような段階で変容したかについては、エルマン・R・サーヴィス『民族の世界──未開社会の多彩な生活様式の探究』や尾本惠一『ヒトと文明』の後半が参考になります)
人類史のなかではつい最近まで、動物と人、神と人は対立しつつも同一性をもっていたと著者は分析します。カナダ・インディアンの神話は、「昔、動物は人間の言葉を話した」と始まるそうです。獲物と動物が対立する一方で同一であることに矛盾はなく、それを著者は「初原的同一性」と呼んでいるのです。自己や他者は別だけど同じである。……そこから導かれるのは対立ではなく互恵であり、利己ではなく利他です。
175万年前、ジョージアのドマニシ遺跡では歯のない初期ホモ族が生きていた(道具か口移しで、柔らかくしたものを誰かが食べさせていた)そうです。6万5,000年前から3万5000年前のイラク・シャニダール洞窟には左眼窩を複雑骨折し腕と足が不自由なネアンデルタール人が生き延びていたという例もあるとか。
世界の狩猟採集民は互恵的で平等分配社会です。互恵的協力活動はチンパンジーなどの人以外の霊長類によっても満たされていることから、互恵性の源泉は700万年前までの初期人類にまで遡り得るかもしれないと著者は書きます。
ところが、人間は発展することで環境を破壊し、殺し合うようになりました。このまま自己中心的な営為で生物を道連れにして絶滅するのか、もう一度、こころと人間性の起源を思い出し、制御するのか──。本著はそう問題提起しているのでした。
現代日本では、稼いでるヤツがますます稼げるようにルールを変え、結果、困窮者を蹴散らしていますけど、そんな社会がまともなわけがない。1億何千万人もいれば、みんな顔見知りとはいかず、「互恵」の心が薄れます。だから政府が存在し、富を再配分したり社会福祉を充実させたりするはずなんですけどね。ところが今は、大企業や金持ちとタッグを組んで格差を広げているんです。