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中河与一の話(2)『『天の夕顔』のかげで』

 昭和13年に刊行された中河与一『天の夕顔』には、不二樹浩三郎(筆名:不二樹瑩)というモデルがいました。7歳年上の人妻を愛し、彼女の夫が亡くなるまで山籠もりをして待ちつづけようとしている男性の話を聞き、中河は一本の恋愛小説をものしたのでした。不二樹は、もともと自分で書こうとしていたのですが、応召され、生きて帰れぬと覚悟して、小説の題材を中河氏に預けたのでした。

 しかし、不二樹は帰還し、『天の夕顔』のモデルは自分であると名乗りを上げます。中河は、モデルがいること自体を否定したようです。

 前回書いた『ひとりぽっちの戦い』は、中河与一のブラックリスト事件について詳述されている一方、『天の夕顔』のモデル問題に関しては歯切れが悪く、取材時、84歳になる不二樹浩三郎の消息を追っていません。したがって、不二樹は常軌を逸した難癖をつける悪人として書かれていました。不二樹を怒らせたのは、常識人とはいえない中河の人づきあいの悪さに起因するかもしれないという指摘もありました。私は、小説を読むさいには作品の外側に影響されるべきではないと考えており、あまたあるモデル問題には関心がなかったのです。

 したがって、中井三好『『天の夕顔』のかげで』は、1995年刊。永らく積ん読状態だったんですが、読んでみると、不二樹はなかなか魅力のある人物に見えてきたのです。

 不二樹家にも興味が湧きます。 不二樹の先祖は西郷隆盛とともに行動をし、西郷の精神を代々受け継いでいたようです。浩三郎の父は精糖会社の重役でしたが、西郷が標榜した敬天愛人的な経営が近代経営に負けて倒産し、ほどなく死去。葬儀委員長は渋沢栄一でした。

 浩三郎は、美しく教養のある姉・文子を思慕し、毎日、彼女が入浴中に自分も風呂に入ったのだとか。読むかぎり、エッチな気分からではなく、彼女の精神と肉体をヴィーナスと崇め、芸術的な美を認めたからなんだそうです。あまたある姉の縁談を断った浩三郎は、姉を西田幾多郎の弟子である哲学者・吉田弘に嫁がせます。 浩三郎は同志社在学中、姉とうり二つの、7歳年上の女性・合田勝代に恋しますが、ここまでは『天の夕顔』に書かれていない話です。

 追いかけているうちに、週刊誌かワイドショーでスキャンダルを追っている気になりました。ええい、毒食えばサラマンダー。図書館で、不二樹浩三郎著・吉田郷編『冷たき地上: 【附】不二樹浩三郎『天の夕顔』を語る』を借りて通読。不二樹が、人妻に惚れて永遠の愛を誓い、山籠もりをし、中河与一に会うかどうかまでの前編が収録されています。姉に対する思い・育った家庭の話などは省略されているか断片的で、『『天の夕顔』のかげで』ほどの面白さはありません。自身の心情がきめ細かく書かれている点は好感を持ちましたが、正直言って冗長でした。後編も国立国会図書館かどこかで読めるのでしょうか。

 不二樹に関して感じるのは、よくいえば粘り強さ、わるくいえば執念深さです。一人の女性をずっと愛しつづけていたことと、中河を恨みつづけていたこと、自分の気持ちを掘り起こしてことこまかに文章に書くことは、どれも彼の性質をよく表しています。

 さらにさらに。『天の夕顔』を読み返してみるか。書棚のどこにあるんでしょう。