狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

西丸震哉『さらば文明人』

古本のワゴンで拾った本『イバルナ人間』で西丸震哉に興味を持ったんです。西丸氏は文明人批判するのに原始人を引き合いに出すんですが、どんな非文明人を見てきたのか、まずは『さらば文明人──ニューギニア食人種紀行(角川文庫)を読んでみました。

結果を先にいえば、西丸氏が訪ねた非文明社会は、農耕をし、家畜を飼う人たちであり、私が知りたい狩猟採集民のことではありませんでした。

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まずはおそれいりましたと書いておきます。西丸氏の山登りは趣味レベルだろうと勝手に思っていましたが、なかなかの探検家でした。

1942年のポートモレスビー作戦(スタンレー作戦)をご存じでしょうか。連合軍が選挙するニューギニアのポートモレスビーを攻略すべく、日本は島を縦断する作戦を立てました。整備された道もなければ地図もありません。直線距離で220kmで、本書によれば、11もの急峻な尾根を上り下りしなければならなかったそうです。インパール作戦同様、兵站(食糧などの供給)のない無謀な作戦でした。

その険しい道のりを、戦後20年余り過ぎた1967年、西丸氏はガイドもつけず単独で踏破しているのです。現地民の集落を訪ねて寝泊まりしていたようです。アローラという集落の人たちは、夜中に森のなかから銃声や叫び声がするといいます。なんという声かと聞くと、現地民はくちぐちに「ガンバレ」「シカリシロ」と言うのだとか。集落の人々は戦争中は山中に逃げ込んでいて日本軍とは接触していないため日本語は知らないと書いてあったけど、ほんとうかなあ。

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著者が出会ったニューギニア高地民(「原始人」とか「食人族」と書いています)は、人類学で知られているとおり定住をしてブタを飼い農耕をしている人たちです。すでに白人とのコンタクトをすませていました。男と女が別の部屋に暮らす部族がいるのも今では知られているところです。セックスは森陰でおこなわれると、西丸氏。

農耕に依存すると栄養に偏りが生じますが、腸内細菌の変化で糖質依存でも大丈夫な人たちもいると最近は聞きます。生活習慣による病気や、現地民には免疫のない白人が持ちこんだ病気(インフルエンザなど)で亡くなる人もいたようで、著者は流行病で構成員全員が死んで廃墟になった集落を目撃しています。

1960年代、ニューギニアで数ヶ月にわたり戦争をしたダニ族は有名です(狩猟採集社会に戦争があったかどうかは議論が分かれることですが、ダニ族の戦争をもって「狩猟採集民は戦争をした」という人が多いのに驚きます。ジャレド・ダイアモンドが『昨日までの世界』で、未開社会を一緒くたにしているのが原因です。ハラリは『サピエンス全史』できちんと「農耕コミュニティの間の部族戦争」と説明していますが……)。西丸氏はビアミ族とソニア族の定期的な戦争について書いています。互いに奇襲して一人殺す、スリルのあるゲームではないかと推測しています。

食人習慣については、事故死・殺人事件の被害者をみんなで食べるとありました。残酷な習慣というような表現はされていません。

「あとがき」より。

 立派なひとつの集団社会を作っているのに、酋長が存在していないばかりか、原始社会には必ずいるはずの呪術師もなく、神という考え方がない。原始人は太陽や火をあがめるものだと思っていたら、彼らは太陽を熱くてイヤなものとし、植物は夜のあいだに生長するもので、太陽が役立っているとは考えていない(夜、植物が生長するというのはまちがいではない)。人肉嗜食はハゲタカ的で、死体が存在する時にかぎられ、宗教や理念との関係はつけられない。(242ページ)

ニューギニアの人たちは首長制社会ではないのかな。平等分配など狩猟採集生活の特徴はあまり見られません。狩猟は下手だと書いてあったような。

西丸氏は、現地民との交流を楽しみ、生き方を褒め、文明をバカにしています。

自分の能力を十二分に発揮するには、余分な労力、オベンチャラ、ゴマスリ、足のひっぱりあい、学閥など、ナワバリがかちあっているための無駄をしないですむ後進国で、重宝がられて尊敬されて大きな顔でやっていけるところへいけばすむのに、どうしてこんな税金ばかりふんだくりおって、老後の安定もなく、人格も無視されかねないシケたところでバヤバヤやっているんだろうか。(234ページ)

ああ、ほんと。そのとおり。税金をコロナ対策ではなくオリンピックの準備にバンバンつぎこんで、それがあそこやあそこに流れて、しまいには政治家に環流される三流国。暮らしづらいわ。

サピエンス全史 単行本 (上)(下)セット