狩猟採集民って、あまりモノを持たないんです。移動するのに邪魔だから。彼らを知ると、ミニマリストとかダウンサイジングに興味がわきます。いちいち感想を書いていませんが、ミニマリストの本も見つけたら読んでいます。読んだ本が私の本棚に溜まっていくのは矛盾していますが……。
先日、ラジオに稲垣えみ子がゲスト出演していました。元朝日新聞社の震災を機に冷蔵庫を捨ててミニマリストになった人です。彼女が「朝は喫茶店でモーニングを食べる」と言ったら、「ミニマリストが喫茶店に入っちゃダメだろ」という投稿がXにたくさん見られました。彼女はエッセイを連載したり、テレビラジオに出てカネを稼いでいるんだから、喫茶店に入ってもいいだろうと思うんですが……。Xの反応では、おおむね彼女は否定されているようでした。
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少し前、橋本努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』(筑摩選書)という本を読んだんです。タイトルはマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をもじったもの。著者は社会学者で、北海道大学大学院の教授とのことです。
最終章は少しまとまらなかった感じですが、全体的に面白かった。エッセイ、漫画、ブログなどで発信する多くのミニマリストを網羅的に紹介。持たざる人たちの歴史的背景、哲学的考察、禅との関係など、たいへん勉強になりました。
アメリカのミニマリズムは、1960年代の左翼運動やヒッピーなどのカウンターカルチャーと関係があるらしい(スローフードなどの対抗文化やレジャースポーツはたいていここから出発しています)。シンプル生活の実践が現れたのは1980年代とのこと。
日本では、中野孝次『清貧の思想』、モッタイナイ運動、『断捨離』、『人生がときめく片づけの魔法』あたりの影響ではじまった、比較的最近のムーブメントらしい。それ以前にもそのたぐいの考え方はありましたが。
つまり、ミニマリズムに到る動機や考え方はいろいろあったということです。ミニマリストといっても種類があり、長く使えるいいものを少し持つタイプの人もいるのだとか。スマホやタブレットがミニマリズムの武器になっているという指摘もありました。私みたいに狩猟採集生活を知って興味を持ったという人はいないようです。
ミニマリストとは資本主義に背を向けるムーブメントです。
みなさんもご存じのとおり、資本主義社会は、「買え、もっと買え」「いいもの出したから今持ってるものを捨てて買い換えろ」「経済を回すために消費しろ」と消費者を脅迫します。いや、待てよ、私たちはいつ消費者になったのか?
テレビを見たら、通販ばかり。1日に何種類ものダイエット商品が紹介されたりするのです。そろそろ太った人いなくなるでしょ?
ミニマリストはみんな、モノを捨てたら幸福感が増したといいます。人と自分を比較することがなくなったとも(私自身は、他人と自分をあまり比較しないので、その感覚は少しわからないのですが)。あるイラストレーターは、17歳のときにフラれて絶望し、もう死んでしまおう、死んだあと見られたくないので持ってるモノ全部捨てよう、アレレ、捨てたら悲しい気持ちが消えて生きる希望が湧いてきた……と書いているらしい。
著者も書くように、すでに資本主義は限界で、延命を図っている状態です。格差が広がり、多くの人が苦しんでいます。ミニマリストになる試みは(本人の動機はどうあれ)資本主義から降りて脱成長というムーブメントに荷担することであり、新しい地平を獲得することになる可能性があると、著者は書きます。
さて、私はどうするか。私は資本主義が嫌いで拝金主義の人にはまったく興味がなく、組織とか人心掌握とかは性に合わず、1日4時間働いて楽しく暮らす狩猟採集生活を知っているのです。明日は、どっちだ。
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おっと、ひとつ書き忘れました。稲垣氏に対してみんなが攻撃的だった件について。
ほとんどの人は汗水たらして稼いだカネでモノを買い経済を回す、資本主義の価値観を内面化して暮らしており、ミニマリストのような、努力を惜しんで、資本主義の外に出ようとする人間に対して厳しいのです。私はあくせく働くよりはよほど人間らしい気がしますけど。