狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

西田正規『人類史のなかの定住革命』

好著でした。

西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫)を通読。著者は人類学者で筑波大学の名誉教授、1986年刊の本を2007年に文庫化したものです。何かの本で知って購入したままでした。今年感想を書いた國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)にも登場していました。(『暇と退屈の〜』には批判も書きました。)

よく、人類のターニングポイントとして農業革命が挙げられます。農耕と定住は同時に起きたと考えがちですが、定住が先で、農耕とはタイムラグがあります。とくに縄文期の日本をふくむ中緯度の温暖な地域は、定住後、なかなか農耕を始めなかったのです。

その後も、ほとんど、あるいは全く農耕を行わない定住民は、北米カリフォルニアや北西海岸の諸民族、北海道のアイヌ、シベリアのウリチやナナイなどの民族たちだとも書かれています。遊動生活を続ける狩猟採集民に比べて物質文化や社会がより高度に発達していることから、それらと区別して「高級狩猟採集民」「成熟せる採集民」などと呼ばれてきたとありますが、それらは尾本惠一『ヒトと文明』で学びました。(→『ヒトと文明』……ランニングから遠く(?)離れて

ほかの霊長類と同様、何百万年も一定の遊動域を移動しながら生きていた人類が、農耕以外どんな目的で定住を始めたのでしょうか。ノマド的な生活をしていれば、ゴミやトイレ問題は起きないのに。

定住によるメリットのひとつは魚類資源だったという著者の仮説はなかなか面白い。定置漁具は持ち歩くのに不便だったのです。また、漁具による漁撈は女性や子供でも可能です。男性は狩猟から解放され、建築や交易、越冬食糧の貯蔵などを行うことができます。

縄文期の人々はどんな一年を暮らしていたのかについても書かれています。福井県の鳥浜遺跡の人々は季節により淡水や海水の魚貝を獲り、イノシシやシカを狙うのは冬だけだったそうです。ナッツ類の樹を集落の周りに植え、環境を変えています。弥生時代が到来するまで、およそ6,000〜7,000年をこうした暮らしを続けたらしい。

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最後の2章は、一冊のなかでちょっと異色です。「第九章 手型動物の頂点に立つ人類」が面白いと感じた方は、島泰三『親指はなぜ太いのか』をオススメします。

「第十章 家族・分配・言葉の出現」はこれまた独立した読み物として知的刺激を得られました。人類が行っていた分配については西田氏と同じ方向で考えていましたが、もちろん、私より遥か先まで見通しているのでした。この章についてだけ書くかも知れません。