狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

さらに愚痴?

大学生のころ、文学研究に熱心で口うるさい同級生が私ふくめ4、5人いました。ゼミの先生(当時、助教授)もまだ30代で、厳しく、口汚く、血気盛ん。ゼミでガヤガヤ議論(罵り合い?)した勢いで、飲み会に突入しました。

当時は、ポスト構造主義という考え方が流行していました。われわれも、いろんな本を読んでレポートや論文を書くうえで、採り入れようとしたものです。

私が熱心に読んだのは、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、デリダ、ドゥルーズ、蓮實重彦といった人たち……。上野千鶴子が颯爽と現れて男性中心社会に鉄槌を下したり、中沢新一、浅田彰といった若手が登場してニュー・アカブームが起きたころでもありました。ポストモダンともいわれた人たちの文章、わかりづらかったね〜。ディベートとか論破とかいったバカなことが始まる一瞬でした。

ポスト構造主義は構造主義の流れを汲むもので(両者のなにが違うのかわからないとよく指摘されますが)、簡単に書けば、二項対立からスタートして、権威的・絶対的な概念の欠陥や構造を明らかにしたり、高次の真理に辿り着こうとする考え方です。

そのことは、毎回、青臭い議論のなかで確認していました。

構造主義の祖は人類学者レヴィ=ストロースです。彼はアフリカの未開社会をフィールドワークすることにより、西欧中心主義や進歩の絶対視にカウンターを浴びせ相対化したのでした。『悲しき熱帯』が刊行されたのはほぼ90年前です。

大学時代、『悲しき南回帰線』という邦題の講談社学術文庫を読み始めたんですが、なにが書いてあるのかわからず、断念しました。今にして思えば訳文がひどすぎたのです。読むなら、中公クラシックの『悲しき熱帯』をおすすめします。

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数年前、上記の仲間の1人(高校教師)がコロナ感染してホテルに療養するので、この機会に『悲しき熱帯』を読み始めたが全然わからない、とLINEで送ってきました。

20世紀の思想を牽引した古典といっていい一冊です。なんとか魅力を伝えなければ、と私が解説しました。「第◎章は、西洋のなになにを南米のなになにと比較し、絶対視されている西洋の考えを相対化している」「次の章は、なになにがテーマで、やはり西洋中心主義へのカウンターになっている」という具合です。

何章分か解説すると、友人がこう書いてきました。

「お前は『悲しき熱帯』の読み方を誰かに習ったのか?」

頭のなかにハテナマークがぽかぽか浮かびます。足カックンを喰らった気分でした。大学生のころ、私たちは毎晩のように酒を浴びながら、構造主義について話していたじゃないか。「二項対立」「脱構築」「差異」「ラング」「エクリチュール」「リゾーム」……みんな忘れちゃったのか。

私は寂しかったのです。