「んだ、俺はない、この八溝の空気、山、川、谷、木、花、土、水、生き物、ぜんぶ好きなんだあ。だがらよ、そいつらと毎日いられっからよ、一人で居るなんて気はまったぐしね。とでも毎日が賑やかでよ、結構忙しいんだあ(……)」
小泉武夫『猟師の肉は腐らない』、一気に読了しました。面白かった。
発酵学、食文化を研究する小泉武夫みたいな「俺」が、猟師の猪狩義政(義[よし]兄い)を訪ねる物語です。夏に4泊5日、冬に3泊4日、義兄いの住む山の小屋に暮らします。
かつて義兄いは、船に乗り世界を回っていました。「俺」とは渋谷で知り合い、京都でバッタリ会い、なんとギリシャでも偶然出会って酒盛りをした仲です。今、義兄いは生まれ育った福島・八溝に帰り、山奥でクマという名前の賢い犬と暮らし、猟をして生活しています。電気もガスもない自給自足の暮らし。村の人からはターザンと呼ばれています。
ムシャムシャ食って、グビグビ呑む「俺」は著者本人に見えますが、実話ではなく小説です。猟師の義兄いと山や川を歩く「俺」の身軽さは、失礼ながら小泉氏ではありません。義兄いのモデルは誰なんでしょう。
タイトルには「肉」とありますが、猪や兎のほか、岩魚、山女、ドジョウやウナギ、蝮、セミ、虫の幼虫、蜂の子などを狩猟採集しながら、義兄いは「俺」に山の豊かな食を提供します。薬草育てたり、山ぶどうとあけびの保存食をつくったり。土に埋めて納豆つくってもいたなあ。
小泉節と言いますか、メシを食べる描写も面白い。以下は、ドジョウの蒲焼きを食べたときです。
《口に入れた瞬間、香ばしい蒲焼きの匂いと粉山椒の刺激的な香りが鼻孔をスーッと抜けてきて、嚙みだすと、サクリとして、タレの甘じょっぱい味が口中に広がり、さらに噛み続けると、次第に、ジュルリ、ネトリとした食感ではなく、薄くペナペナとした口触りだった。そしてさっぱりとしたうま味と深みのあるコクとがジュルル、ピュルルと湧き出てきて、それを、タレの甘じょっぱさがトロリと包み込み(……)》
オノマトペ全開、面白い。(私は蒲焼きは苦手)
東京に住む学者の「俺」が見た義兄いの生活は、本来の人間の暮らしに近いものでした。一猟期働いて猪を売ると、65万円にしかならないけれど、義兄いはまったく意に介しません。
「猪を見っけてクマといっしょに追跡してる時の気分はもう最高なんだわい。もう何もかも忘れでよ、頭の中は逃げてぐ猪のことしかね。山の中で一人暮らししている俺にとってはよ、そんな時が最高の幸せなんだよ。んだがら、そんな幸せな気分を味わったうえに金儲けすんべなんて考えてもみね」
本作もまた、反資本主義の一冊です。
クライマックスのあとの別れは、読者をじんわりさせます。2人と1匹の友情がうらやましい。フラットで、お互い尊重しあっているのです。「俺」と義兄いの関係はアルセーニエフとデルスーのそれを彷彿とさせるのでした。