狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

狩猟採集民のおさらいです

そもそも私が狩猟採集生活に興味を持ったきっかけは「人間はそもそもどういう動物なのか」を知りたくなったからでした。

走る動物説

クリストファー・マクドゥーガル『BORN TO RUN』は、単に、トレイルランニングの本として面白く読んでいたんです。走るためにうまれた(BORN TO RUN)のは、サンダル履きでウルトラトレイルマラソンを走るタラウマラ族のことかなあ……と読み進めていたら、デニス・ブランブル博士と学生デイヴィッド・キャリアーの研究が出てきました。人間がほかの動物より勝っている運動能力は持久走だけだ、というのです。人間は獲物をひたすら追いかけて狩猟をしていたのではないか──この仮説を証明してくれたのはカラハリ砂漠のブッシュマンでした。すなわち、走るためにうまれたのは、すべての人類──あなたも私も──なのです。

ダニエル・E・リーバーマン『人体六〇〇万年史』(上下)には、狩猟採集社会の男性は1日あたの10〜15キロ、女性は5〜10キロと書かれていたと記憶します。だから、私は1日平均10キロくらいは走りたいと考えているんですが……。

何を食べていたのか?

もともと人間はなにを食べていたのか? 狩猟採集生活では、身の回りで得られる食べられるものはなんでも食べます。動物や魚はもちろん、塊茎、果物、昆虫など。甘いものには目がなく、ハチミツはどんな危険をおかしてもゲットします。

農業が始まる前は麦や米などの穀物を人間は食べていないのです。数百万年かけて食事に適応してきた人体が、たった1万年程度で穀物や砂糖に慣れるはずがありません。しかし、どういうわけか今は栄養の半分を炭水化物でまかなえと言われます。

飢饉が起きるのは農耕以後らしいのです。狩猟採集民は不健康と考えられているようですが、前述の『人体六〇〇万年史』によれば、心臓病、脳梗塞、癌、高血圧、2型糖尿病、虫歯は見られないか、きわめて稀だそうです。主な死因は、蚊を媒介とした感染症や事故、喧嘩など、死亡率の高い幼児期を生き残れば70歳前後まで生きるとありました。

リーバーマンも、『銃・病原菌・鉄』(上下)のジャレド・ダイアモンドも、『サピエンス全史』(上下)のユヴァル・ノア・ハラリも、『炭水化物が人類を滅ぼす』の夏井睦も、農耕革命を否定的に見ています。「自然に帰れ」でお馴染みのルソー『人間不平等起源論』は土地所有さえなければ多くの犯罪や戦争や殺戮を免れ得た、と書いています。農耕こそ人類滅亡・地球環境破壊へのポイント・オブ・ノーリターンなのかもしれません。定住と穀物栽培は人口爆発を引き起こし、土地や財産を強奪するために戦争が起きました。人口が密集し、また動物の近くに暮らすようになると、人獣共通感染症がパンデミックを引き起こします。数百年前、産業革命が起きました。「われわれは進化した」などと慢心した人間は核爆弾を落としたり、原発事故を引き起こす……。

おっとっと。大昔の話に戻ります。道具や火を使う前、そもそも人間は何を食べていたんでしょう? 霊長類の場合、口と手の構造から何を食べていたかわかると、島泰三『親指はなぜ太いか』に仮説が書かれています。先日も島氏がテレビで話していたので書いてもいいんですけど、推理小説みたいに面白い本なので、ここでは伏せておきます(ネットで検索すれば出てきます)。

もろもろの証拠を積み上げると、高タンパク低糖質食のいわゆる「糖質制限」は理に適っていると思われます。人間、血糖値を上げるホルモンはいくつかあるものの、下げるホルモンはインシュリンだけだそうです。高血糖状態は不自然なんです。

狩猟採集社会を鏡に現代社会を見直す

クロード・レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』(上下)において、未開社会と対立させる形で西洋中心主義を相対化してみせます。レヴィ=ストロースは、二項対立を基本に、未開の婚姻関係や神話に隠された構造を意識するようになったと橋爪大三郎『はじめての構造主義』に書かれていました。

近代合理主義は、二項対立はものごとを考える基本です。私たちは外国を旅すると、日本の特異性が発見できたりしますよね。私は狩猟採集社会を現代社会と対比させています。法律も経済もなにもない社会を知ることで、視界がぐんと広がり、絶対していた人間社会のシステムを考え直すことができました。

(イヌイットやインディアンと30年交流した文化人類学者・記録映画作家ヒュー・ブロディが、狩猟採集民には二項対立的な思考がないと『エデンの彼方』に書いているのは衝撃的でしたが。農耕民のように〈人間/自然〉の対立はない、財産がなく相続が生じないので〈男系/女系〉などと考えることもないというのです。)

人類学者が未開の地で最初に驚くのは、狩猟採集民が「平等分配」をするところです。血縁的小集団で暮らす彼らは獲物をみんなで分け合います。もらった人は「ありがとう」すら言わず、当然のように受け取ります。次の機会には、獲物を得る人ともらう人は逆になるかもしれません。そういうやりとりのほうが集団全体が長続きすると知っているのでしょう。

──翻って、富む者がますます富み、貧する者が貧する現在の新自由主義社会は、いわゆるサステナブルな経済システムと言えるでしょうか。私は政府が「再配分」をすべきだと考えます。「再配分」を目指さない政治家には投票しません。

また、狩猟採集社会は自然と共生していました。新しい大陸に乗り込むと生態系をこわして動物を滅ぼすようなこともありましたが、新しい生態系をつくり、人口爆発を起こさず、財産もないので戦争もなく、週に15時間ほど働いて楽しく暮らしていたのです。最近、よく「持続可能性」なんて言われますが、1万年以前はずっと持続可能性を達成していました。

しかし、私が考えることなど、誰かがとっくに考えています。ルソー『人間不平等起源論』は「野生人」には「自由」が備わっていると書きます。

ここまでと、これから

私はジョギングをはじめて十数年。もともと砂糖はうちにはありませんが、ご飯や麵を1日1食程度に抑えて7、8年。ベッドを捨て、床にヨガマットを敷いて寝てから約6年(冷え性が治りました)。布団を敷いて寝はじめて洗髪時にシャンプー剤を使わなくなって2年余り(髪が明らかに元気になりました)──。すべて狩猟採集生活ではあたりまえです。

狩猟採集社会には格差や階層やジェンダーギャップがなく、学校もテストも戦争もありません。人間関係の軋轢があってグループにいづらくなったら別のグループに移ればいい。理不尽なルールや上下関係に縛られていた現代社会より、ずっとストレスはなかったにちがいありません。

今後も、農耕社会・文明社会・都市生活の常識を疑っていきたいと考えています。自分にもうすこし発信力があればなあ。