狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

小国善弘『戦後教育史』

10月はいろいろあって90kmしか走っていません。来月は100kmだ(苦笑)。仕事が落ちついてきたので、ここ1、2ヶ月考えていること・読んだ本を連投します。

★   ★   ★

まずは、小国善弘『戦後教育史』(中公新書)について。

教育に関する一般書、見ればなぜか買っちゃうんですが、戦後教育について詳細に書かれていて、知らないことが多かった。

私はかねがね「学校は社会の歯車(もしくは奴隷)をつくるところ」と批判していますが、この本にも戦前の学校は《強い兵士を軍隊に供給する》ため、戦後の学校は《優秀な労働者を産業界に供給するため》に機能していると書かれています。 1950年ごろ、産業界(財界)が産業振興のため理科室をつくれと要求したり、中央教育審議会設置をつくらせたりしたのを皮切りに、ずっと教育に口出ししている模様です。どうやら日本は教育を産業のための投資と見なし、文化や公共に資する人間を育てるという発想はないらしい。

その後、学校はどのようにして優秀な労働者もしくは社会の歯車もしくは奴隷をつくる場所になったのでしょうか。

障害者の排除、勉強ができない生徒の排除(特殊学級に入れる)、政治的活動の禁止、日教組の衰退、批准した「子供の権利条約」を無視、ゆとり教育は教育の民間委託(新自由主義の一環)に過ぎなかったこと、日の丸・君が代の強制、道徳の教科化、教師の内心の自由を制限しつつ負担を増やすこと、全国学力テスト、発達障害なるものの出現(発達障害は病名ではなく政令で定められた障害)……。

1984年、総理府が設置した臨時教育審議会のメンバーが個人的には興味深い。ダイエー中内功、ブリジストンサイクル石井公一郎ら財界人、香山健一・公文俊平ら新自由主義を標榜する学者、山本七平・渡部昇一ら自称保守にして歴史修正主義的な作家。のちに「新しい歴史をつくる会」の中心メンバーになる高橋史朗。 名前を見ただけで、学校がどんな方向に進んだかわかります。

★   ★   ★

ごく最近の話をしましょう。

2007年に始まった全国学力テストにより学校間、地域間の競争が激化。自治体が成績のいい学校を優遇するようになると、小中学校に「スタンダード教育」や「ゼロトレランス方式」という考え方が広まったそうです。

スタンダード教育とは、子供や教師や保護者に対して細かい決まりを設けることらしい。たとえば、生徒に、机のうえの教科書・筆箱・ノートの配置を決めたり、姿勢などを細かい指示します。私だったら窮屈でしかたない。

ゼロトレランスは「寛容度ゼロ」を意味します。クリントン政権以降、アメリカで行われている教育理念&実践だそうで、エスニック・マイノリティや障害児、低学力の子供などが小さな逸脱を理由に排除され、教育を受ける権利を事実上奪われていると言います。日本では採用している学校はまだ少ないようですが、広島・福山のある中学校では、学校生活はもちろん校外での行動ふくめ生活全般に事細かなルールがあり、違反の程度に応じて、説諭、反省文、保護者への連絡、別室指導、警察への通報・逮捕などがマニュアル化されていると知りました。

社会にダイバーシティ(多様性)を、とお題目を唱えながら、戦後の学校が行き着いた先が寛容度ゼロって……。歯車製造工場に耐えられない子供は自殺したり、発達障害とレッテルを貼られます。 安倍政権は、子供の内心に踏みこんだり、親学を推奨したり、教育で特定の企業を儲けさせたりもしました。

本書には学校再生の可能性を模索もしています。仮に「子供たちが幸せになるための学校」の実現が可能だとしても、まずは自公政権を下野させねば……。

★   ★   ★

↓ 日本とはまったく違うスウェーデンの教育についてはこちらを。

↓ 日本の教育について書いた良書をもう1冊。