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狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『優生学と人間社会』

ここ数日、風呂では米本昌平+松原洋子+橳島次郎+市野川容孝『優生学と人間社会』(講談社新書)を読んでいました。優生学とは、犯罪者、精神病、障害者などの子孫を残さないようにするという、書くだに恐ろしい思想です。

優生学とはナチスが生んだと思われていますが、19世紀後半からヨーロッパの一部科学者が進化論や遺伝の原理を人間にも応用する形で発案したらしい。まずは宗教的基盤が脆弱な移民の国アメリカで実際に取り入れられ、とくにカリフォルニア州は「断種」が多かったとありました。

ナチズム期のドイツでは36万件から40万件の不妊手術があったそうです。さらに、1939年、ヒトラーは安楽死計画(T4作戦)を命じます。本書は、《ある意味で(略)一九三三年の断種法に始まるナチスの優生政策がたどりついた最終地点である》と表現しています。ホロコーストはユダヤ人絶滅を目指したものですが、安楽死計画の犠牲者の多くは生粋のドイツ人でした。

戦後、優生学はなくなったわけではありません。福祉国家スウェーデンでも不妊治療は行われました。日本でも1948年から96年まで、優生保護法があったのです。昨日、聴覚障害をもつ男性が不妊治療を強制されたことに国を訴えた裁判で、東京高裁が国に賠償を命じたと報じられました。(→東京新聞2022/3/11

戦後の優生学は、「不幸な子供をつくらない」などと言いつつ、国の福祉コストを削減する目的などで人権を蹂躙したものです。(本書に出てくる大西巨人と渡部昇一の論争は、前々から読みたいと思いつつ実現していません)

現代において優生学は否定されているのですが、DNA解析により遺伝学が進歩し、クローンや遺伝子組み換えの技術も生み出しました。また、出生前診断による選択的中絶をどう考えるかなど、多くの新たな社会的課題が積み残されています。

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──さて、ここからは私見です。

差別主義者だった石原慎太郎は、以下のようなタイプの問題発言をしています。
* 重い障害者のことを「ああいう人ってのは人格あるのかね」(1977)
*「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女は閉経してしまったら子供を産む力はない」(2001)
* 同性愛者を評して「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」(2011)
* 2020年にはALSを「業病」と言っています。業病とは、前世の報いによる病気です。

これらの発言には、ハッキリ優生学思想が見てとれます。2016年、相模原で知的障害者を45人殺した植松聖や、同年、性的マイノリティを「生産性がない」と書いた自民党・杉田水脈議員も同じです。命に軽重があるとでも考えているのでしょう。

彼らは、人間を人間ではなく、モノとして見ます。きちんと働いて税金を納め、健康優良な子供を何人つくるか。生産性があるか、ないか。社会コストがかかるか、かからないか。つまり、コスパがいい人間か、コスパの悪い人間か。

ここのところ、大阪府の新型コロナによる死者が人口比で見てダントツに多いことを問われた吉村洋文府知事が「亡くなっているのは80代の高齢者です」などと発言しています。老人は死んでもよいという口ぶりです。昨年は自ら「トリアージ」とも言いましたし、下にリンクした動画も同じことを言っています。命の選別を全力で食い止めるのが政治家の仕事ではないか? 大阪府民がたくさん亡くなるのは、福祉コストを削るため病床を減らしてきた維新府政のせいです。

口では多様性が大事などと言いながら、人を値踏みする社会。私はコスパ人間が跋扈する資本主義社会から脱することを夢見ています。……しかし、ああ、確定「深刻」せねばならない。