狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

E・M・トーマス『ハームレス・ピープル』

店名は内緒ですが、ある古本屋には人類学関係の本がたくさん置かれています。そこで、E・M・トーマス『ハームレス・ピープル──原始に生きるブッシュマン』(1977、海鳴社、原著は1959刊)を見つけたのでした。

エリザベス・マーシャル・トーマスの母ローナ・マーシャルはアメリカの人類学者で、カラハリ砂漠に住み、当時まだ詳しく研究されていなかったブッシュマンをフィールドワークしました。エリザベス・M・トーマスもまた、1950年代にブッシュマンと暮らし、『ハームレス・ピープル』を書いたのです。タイトルを直訳すれば、「無害な人びと」となります。

彼女には『トナカイ月』という、旧石器時代を描いた長編小説があります。主人公の少女が物語の冒頭に死んで霊になるという不思議な小説で、細部は忘れましたが、とても良い読後感でした。でも、少し前に読み直そうとしたら、あまり狩猟採集民っぽくなかったのです。そもそもカレンダーの観念がない(だから年齢の観念もない)のに、月に名前がついているということからして何やら疑わしい。この人はブッシュマンの何を見ていたのだろう、いずれ『ハームレス・ピープル』で確かめなきゃと探していたら、古本屋に並んでいたというわけです。本の状態はいいのですが、背が灼けていました。見落とさなかったのはナイスプレーでした。

一読したところ、『ハームレス・ピープル』はきちんとした民族誌です。前半はキクユ族(キクユ族の狩猟採集民っていたんだ)、後半はクン族のブッシュマンとともに著者は暮らしています。キクユ族の女性2人が1時間で7キロの道を歩いてきたという記述にはびっくりしました。未舗装路ですよ。

以下は、後半の話。旧知のクン族の男・ちびのクウィとその家族を見つけました。優秀なハンターであったちびのクウィは毒蛇に嚙まれ、片足が壊死しているのでした。一緒に訪ねた仲間のブッシュマンたちは彼の心の痛みを分かちあい、夜は悪夢にうなされていました。

ブッシュマンは、不具者とか、旅に耐えられない老人とか病人を見捨てると言われてきた。しかし、これは嘘である。

町の病院に行き、足を切断して義足をつけるほかなく、彼をトラックで運ぶことにします。ちびのクウィの妻はつきそいに町にいくので、町でのしきたりをアドバイスし、「あちらでは上半身裸でいてはいけない」と服をプレゼントしました。そのことで、トラブルが巻き起こります。草で出来た小さな家から出ると、女たちが聞き耳を立てていて、「自分たちには何をくれるのか」とエリザベスにしつこく迫ったのです。

分配が重んじられる社会なので、ひとりにだけモノをあげる行為は非難されます。「この場合はしかたがないのだ」と言っても通じません。独占欲を押さえてみんなで分配するのは、争わないための生活の知恵なのです。

分配をめぐって口喧嘩になったシーンはほかにもありました。平等分配主義は狩猟採集社会の平和の象徴とされますが、均衡を保つために細心の注意を払っているのでしょう。

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同時期にイギリスのヴァン・デル・ポストがブッシュマン(サン族)の記録映像を撮り、半分冒険小説風の『カラハリの失われた世界』(ちくま文庫)も刊行しています。つまり、1950年代がブッシュマン研究の始まりなのです。