クア・ブッシュマン(自分たちを「クア=われわれ」と呼ぶブッシュマン)の回想。
「とうさん! ぼくはノア(ダイカー)の仔を打ち殺したよ」
とうさんはおれのほうをちらっと見て、そっけなく言った。「そうかい、ぼうず。でも、おまえの殺したやつは、まだよちよち歩きの赤ん坊だな」
おれが初めて獲物をしとめたことを、とうさんがとても喜んでくれるとばかり思っていたから、おれはがっかりした。それでも気をとりなおして、さらに言いつのった。「とうさん、ぼく、すごく速く走れたんだよ。あっという間に追いついたんだよ。力いっぱいなぐりつけたらね、こいつったらメエメエメエって鳴いたんだよ」
すると、とうさんは困ったような顔をして、たき火をかこむ男たちのほうに呼びかけるように言った。「おやおや、このガキは、やせこけたノアの仔をやっつけたことを自慢しているよ」
男たちはどっと笑った。なかでもいちばんの年寄りのように見える男が、にったりとした笑い顔で、おれのほうを見て言った。「クアの男は自慢することなど知らないのだがなあ」
おれはとても恥ずかしくなった。
菅原和孝『もし、みんながブッシュマンだったら』(福音館書店、1999)は、菅原氏の家族がブッシュマンとひと夏暮らす話と、ブッシュマンの男性回想録になっています。とくに後者が小説みたいに面白い。菅原氏はミステリー小説を書いているそうですが、さもありなん。
上記の引用は、獲物を仕留めても威張ってはいけない掟を、初めて自覚するシーンです。ライオンに食べられて父が死んだこと、ホローハという通過儀礼、可愛がっていた犬の死、ヒョウに襲われたとき友だちに見捨てられたこと、妻以外の恋人の話、遊牧民カラハリ族との関係、監獄に入れられた話、ツィー(踊り)の精霊が憑依した話……。夜中、楽器を鳴らして老人を集めるシーンがよかった。
少し成長したヌエクキュが初めて大型猟獣を殺したときのことです。《おれは得意にならなかった。まだチビだったころダイカーをはじめてやっつけて有頂天になったために、あとでとても恥ずかしい思いをしたことを、はっきりとおぼえていたからだ。》
でもじつは、おれはそんなふうに何気なくふるまいながら、笑みで頰がゆるみそうになるのをじっとがまんしていたのだ。自分のとってきた肉でみんなが腹いっぱいになるのを見ることが、こんなにうれしいことだなんて、それまでおれは知らなかった。無邪気な妹のノオガムが、こっそり耳打ちしてくれた。おれのいないところで、おとなたちが、「ヌエクキュはなんて強いんだ」とささやいていた、というのだ。おれは「ふん」となにげなさそうに鼻を鳴らしただけだったが、胸の奥にはなんともいえない甘い気分がひろがっていった。
だが、すぐにふと心配になった。「こっそりこんな気持ちになることも、自慢することと同じじゃないんだろうか。おれの心のなかをガマ(神)はちゃんと知っているのじゃないかしら」
ブッシュマンの世界では、獣を獲ってみなにふるまうハンターは威張らないのです。人間には虚栄心があるので、実際はさまざまな葛藤があることをこのレポートは教えてくれます。