狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

放送大学「総合人類学としてのヒト学」第4回

こないだ、放送大学で「総合人類学としてのヒト学」という講座を見つけ、聴き始めました。テキストも購入。

きのう、radikoで聴きながら走った第4回は、今村薫さんの講座でした。

彼女は、田中二郎『ブッシュマン、永遠に。』に登場します。1988年9月、田中氏は四人の新米研究者をひきつれボツワナに飛ぶのですが、その一人が今村氏でした。田中は彼女に牧畜民バントゥ系カラハリ族の研究をさせたがっていたんですが、ブッシュマンの生活に触れてしまうと誰だって虜になります。今村氏は狩猟採集生活の研究をしたいといいました。田中氏は、恩師・伊谷純一郎の「人類学者は研究対象とする人びとに心底惚れ込まなければならない」という言葉にしたがい、彼女にブッシュマン(サン人)研究を委ねたのでした。

今村氏は男性中心でおこなわれていた人類学に女性の視点を持ち込みました。かつては「狩猟採集社会は男性優位で、戦争を好む」といったことが言われましたが、彼女はそれが男性研究者の偏見が生み出した錯誤ではないか、という研究論文を書いています。番組でも、「ヒトはもともと父系社会で、男は女より優位で、暴力的である」という固定観念は間違いである、と言っていました。現在の人類学では、もともとヒトは双系社会(男系も母系もある)というのが定説です。移動する社会には動産も不動産もなく、相続なんてないんだから、男系でも女系でもどっちでもいいんです。

今村氏の講座でいちばんのクライマックスは、やはりサンの平等分配の話でした。テキストからの引用。

 サンの人々は気前よく肉を他人に与えるが、けっして生まれ月の「お人よし」なのではない。独占したい欲望、人より注目されたい願望、人を支配したい欲望が垣間見られることがある。だからこそ、ことあるごとに「分けろ」「人間は独り占めしないものだ」といった言葉を口にするのである。また、彼らは他人から妬まれることを非常に怖れている。
 平等主義社会とは、不平等の淵をのぞき込みながら、かろうじて踏みとどまっている社会なのである。

やはり、今村氏は狩猟採集社会を研究してよかった。

定住や農耕が始まることで、土地所有が生まれ貧富の差が生じます。血縁的小集団で何十万年も暮らしていた人間は、いまや大きな都市で見知らぬ他人と暮らしています。誰かが貧困に陥っていても、知らない人だからピンと来ない。自分とその周りが食えていたら平気だと感じます。誰が分配するのか?……といえば、政治です。ところが、今は政治家──いや、世襲の政治屋──が「自己責任」なんて口にするのです。あの政権を支持しているのは誰だ?

ここからは蛇足です。

今日覚えた用語は「フォレイジング(動物の採食行動)」と「スカヴェンジング(屍肉食)」。狩猟を始める前、タンパク質は屍肉に依存していたという話は聞いたことがあります。骨髄も重要な栄養素でした。自分の親指をご覧なさい。親指を視点として骨をポキッと折るのに適していると思いませんか。肉食獣が食べ残した肉や骨をヒトは食べていたと思われます。動物の食べ残した屍肉を拾っていたなんて信じられないかもしれませんけど、スーパーに行ったら今でも屍肉をたくさん売っていますね。

明日も「総合人類学としてのヒト学」を聴きながら走ろう。

総合人類学としてのヒト学 (放送大学教材)

総合人類学としてのヒト学 (放送大学教材)