狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『暴力はどこからきたか』より……メモ

山極壽一『暴力はどこからきたか』第一章「攻撃性をめぐる神話」より、人間の攻撃性に関する議論の歴史をメモ。

1949年 人類学者レイモンド・ダート(豪)は南アフリカで発見したアウストラロピテクス・アフリカヌスの化石人類を発見・調査した。一緒に出土したヒヒの骨に決まって二重の凹みがあることを見つけ、アウストラロピテクスが骨でヒヒを殺していたと主張。一緒にシマウマやイボイノシシの骨が大量に出土していたので、彼らは狩猟していたと考えた。

1953年 ダートは人類を進化させたのは狩猟と攻撃性だと主張。同年、動物学者ジョージ・バーソロミュー(米)と人類学者ジョセフ・バードセル(米)はアウストラロピテクスが狩猟していたことを前提に、複数の男性ハンターが狩猟、赤ん坊を抱く女性が育児をしたという家族像を唱えた。

1955年 ダートは、アウストラロピテクスの頭骨に打撃が加えられた跡があるとし、捕食者として出発した人類は、早い段階で仲間を攻撃したと結論づける。同年、劇作家ロバート・アードレイ(米)はダートの研究室を訪れて上記の頭骨を見せてもらう。1962年、アードレイが著した『アフリカ創世記──殺戮と闘争の人類史』は、初期人類が本能としてもっている攻撃性を武器により拡大し、殺戮者として歴史を歩んでいるという内容であった。したがって人類は戦争を放棄することは不可能であり、武器と戦争こそが自由と規律をもたらす最良の手段だったと主張している。

1963年 鳥の「刷り込み」(生まれた直後に見たのを母親と思いこむ)を発見した動物行動学者コンラート・ローレンツ(豪)は1963年、『攻撃──悪の自然誌』で、動物の攻撃性を解説し、人間にも当てはまると説いた。

1965年 アードレイやローレンツの本は人文学者や社会学者から批判を浴びたが多くの人の心をとらえ、アーサー・クラーク(英)とスタンリー・キューブリック(米)は1965年『二〇〇一年宇宙の旅』冒頭に、猿人たちが骨を道具にするシーンをつくった。

1960年代以降 南アのアウストラロピテクスの洞窟を調べたチャールズ・ブレインは、洞窟内の化石骨を調べ、ヒヒの骨の二重の凹みはヒョウが食べた跡であるなどと、ダートの見解を否定する。

1966年 狩猟採集民や野生の霊鳥類を研究する学者のシンポジウムがシカゴで開かれた。人類が文化を持った約200万年前から農耕を始めた1万年前まで、人類の99%は狩猟をしていて、従来考えられているより豊かで余暇の多い生活だということを確認した。人間の攻撃性に関してはシンポジウムでも混乱した議論が見られたが、相前後して、ピグミー、ブッシュマン、ハッザらの研究が進むと、攻撃的で仲間を傷つけ合うというアードレイによる初期人類のイメージは消えていった。また、ローレンツによる、動物は本能として攻撃性を持つという説も揺らいでいる。

…………ここまで。

『暴力はどこから来たか』は2007年刊。

その後も、人類は本質的に凶暴だという説は次から次へと出て来ます。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(原著2011)もどちらかというとそっち寄りです。未読ですが、スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(原著2011)も人類は昔から殺し合っていたと書いているらしく、昨年売れた『スマホ脳』はそれを下敷きにしていました。

人間の本性が攻撃的だという考えは、帝国主義の国家が世界中の先住民を征服し、惨殺したり奴隷にしたことや、たび重なる戦争や、今現在のグローバリズム資本主義は先進国が後進国を食い物にしていることなどを正当化する作用があります。「人間ってもともとそういう生き物だからしかたないよ」ってね。男がやっている狩猟が暴力性を生み、そのことで人類が進化したのだという言説は、男性優位社会を是認することにもなります。

人文科学の世界は、植民地を支配していた国家の男性が中心になって研究していたことを反省しなくてはいけません。

ピンカーは先史時代の人類の死因のうち12〜15%だかは殺人だったと書いているそうです(統計の不備が指摘されています)が、いまと違って土地はいくらでもあるんだから、ギスギスした弱肉強食社会の構成員はみんな逃げますよ。強い奴ら同士は殺し合いのすえに消えていくはず。ボスのない集団で、平等分配しながら生活するほうが楽しいし、永続的です。

「狩猟採集社会をユートピアのように言うんじゃない。人間は最初から凶暴だったんだ」という説にもなるべく耳を傾けるようにしていたんですが、私はそろそろ「人間は大昔は平和的で、気持ちよく暮らしていたんです」と断言するかなあ。