狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

憲法第24条解釈のミスリード

今月10日の自民・世耕弘成議員の発言(→NHK)です。

(略)憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」という規定と同性婚の関係をめぐっては「今の憲法を読むかぎり、同性婚は認めていないのではないか」

世耕氏のみならず、自民党議員ならびに内閣法制局はみんな24条を引き合いに出すのです。ところが、公明党の北側一雄議員はこう言っています。(→朝日新聞

「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定めた憲法24条について、「他者から強制されて婚姻は成立するわけではないという趣旨で、同性婚を排除する規定ではないと理解している」

さあ、大変。同じ与党なのに、憲法解釈が正反対じゃないですか?

百聞は一見に如かず。実際に憲法第24条1項を読んでみましょう。

第二十四条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

「両性の合意」とあります。「男女の合意」や「異性間の同意」と明記されていません。「両人」や「両名」が同性の2人であってもいいように、「両性」が男性と男性、女性と女性を指してもかまわない……というのが多くの憲法学者の意見です。そうであるなら、憲法改正の手続きを踏むことなく、民法を改正すれば同性婚は認められます(「同性」の恣意的解釈が崩れた場合、「夫婦が同等の権利」云々の部分をもって、同性婚は認められないと言い出すかもしれませんが)。

そもそも、憲法は、国民の権利を制限するためのものでしょうか。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法とは、国民ではなく為政者が尊重すべきルールです。

したがって、24条はこう読めます。──(旧帝国憲法下では親の許可がないと結婚できなかったが、)現憲法では、当人同士の合意のみに基づいて結婚できる。役所は「親の許可がないから婚姻届を受理できない」なんて言っちゃ駄目だぜ。

北側氏のセリフを再読してみます。

「(憲法24条は)他者から強制されて婚姻は成立するわけではないという趣旨で、同性婚を排除する規定ではないと理解している」

その通りです。

同性婚を認めないということは、国民の一部の権利が不当に制限されていることになります。憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に反します。政治家や裁判所は、どんなマイノリティの権利も制限しないルールを整えるべきです。憲法を遵守しなければならないんですから。

★   ★   ★

ちなみに、保守を自称するみなさんは、「選択的夫婦別姓や同性婚を認めると、日本の伝統的な家族観が変わる」と言います。おそらく明治以降のイエ制度のことだと思われます(明治にできたものが伝統かどうかはこのさい問わないことにします)が、上に見たように、旧帝国憲法と現憲法では婚姻のルールが変わっています。戦前の家族観なんてすでに変質しているのです。