狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

国葬反対。ああ、滅入る

法的根拠がない

松野博一官房長官は、7/22に、「内閣府設置法第4条第3項第33号に、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関することが明記され、国葬儀を含む国の儀式の執行は、行政権に属することが法律上明確となっており、閣議決定を根拠として行いうる」と言いました。

はて……。皆さん、内閣府設置法に当たってみましたか?

内閣府設置法第一条 この法律は、内閣府の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織に関する事項を定めることを目的とする。

すなわち、内閣府設置法とは、内閣府をつくるにあたり仕事の範囲を定めたものです。松野官房長官が示したのは以下の法律でした。

内閣府設置法第四条第三項三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。

内閣府の仕事には、国・内閣の儀式と行事に関する事務が含まれる──くらいの意味です。だから、松野氏の発言の前半「内閣府設置法第4条第3項第33号に、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関することが明記され」は正しいけれど、「国葬儀を含む国の儀式の執行は、行政権に属することが法律上明確となっており、閣議決定を根拠として行いうる」は無理筋です。安倍政権下以降、こういった無茶な法解釈が通ってきました。内閣法制局も政権の言い分を肯定するので制動が効きません。

 
民主主義の破壊

岸田文雄首相は、国葬を決定した理由を次のように言います。

「安倍晋三元首相は憲政史上最長の8年8カ月にわたり首相の重責を担い、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした戦略的外交の展開を主導し平和秩序に貢献するなど、大きな実績を残した」

「民主主義の根幹たる選挙中での非業の死であることなどを踏まえ、国葬が適切だと判断した。安倍氏を追悼するとともに日本は暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」

「各国からの敬意、弔意に対し、日本国として礼節を持ってこたえる。来日する各国要人と集中的に会談し、安倍氏が培った外交的遺産をしっかり受け継ぎ、発展させる」

──どうやら、私と見ている世界が違うようです。

まず、安倍氏は国葬に相応しい人物でしょうか? 民主主義のルール、経済、法律、統計、言語、モラルその他を安倍氏はことごとく破壊しました。私見ですが、司法がきちんと機能していれば、安倍氏は入るべきところに入っていて、今でも存命でしょう。

山上容疑者の行為はたしかに民主主義に反する凶行です。しかし、国葬だって民主主義からの逸脱しているのです。どちらも蛮行に変わりはありません。安倍氏のおこなった政治は、野党と熟議せず、妙な閣議決定を連発したり重要法案を強行採決するなど、民主主義を徹底的に破壊してきました。国葬はその延長です。安倍政治が続いているということです。

日本国憲法第八十三条には「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」とあります。最低16億円の予算を使うには、国会を開いて議論するのが財政民主主義です。閣議決定で決められることではありません。

他国の元総理大臣が暗殺されて弔意を示すのは社交辞令みたいなもの。国葬の理由になるなんて。

滅入るばかり

自民党の特に安倍派は統一教会と深く結びついていると報じられているためか、各メディアの世論調査では国葬反対が軒並み半数以上だそうです。

政治学者・中島岳志は、岸田文雄という政治家を「ブレることだけはブレない」と評しています。「分配なくして成長なし」と言った3日後に「成長なくして分配なし」と発言したときは、さしもの私も椅子からずり落ちそうになりました。

岸田政権は、コロナ対策、経済政策は何もせず、臨時国会も開かず、国民の声を聞く力がないようです。ところが、国葬だけは閣議決定で早々に決め、どんなに反対があっても、なぜかブレずに強行します。不思議なことです。自民党の力関係によりやらざるをえないという報道もありますが、それならば、リーダーの資格はありません。

丸山眞男は戦前・戦中の日本ファシズムを「既成事実への屈服」と書いています。戦争には反対だったけど、始めてしまったものはしかたない、頑張って勝とうという思考回路が働くというのです。

「国葬には法的根拠がなにもないけど、やることが決まったんだからみんなで悼もうよ」となれば、安倍氏の望んだ戦前回帰になります。

真珠湾攻撃をやるかどうか議論したときに、「出かかった小便は止められない」という意見が出たそうです。岸田氏がいつものように「ブレて」国葬を内閣・自民合同葬にしたら、出かかった小便をガマンできたじゃないかと、少しは敬意を表したんですけど。

「国葬は要人が来る。弔問外交ができる」という意見をちらほら見ますが、たとえば、前社長の葬式に来た弔問客をつかまえて商談するなんて下品なことだと思います。

安倍氏の国葬をしたなんてしばらく禍根を残すでしょうし、後年、必ずや笑いの対象となるでしょう。私はテレビ中継は見ませんし黙禱その他弔意を表すことはしません。仕事がなければデモに行きたいところです。ああ、滅入る。

だいいち、人の命や尊厳に軽重はありません。安倍氏が国葬なら日本中の葬式を国葬に。