狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

いつもの年末年始です

放送大学の課題をボチボチこなしながら年の瀬を迎えました。あとは、お決まりの年末年始。

例年、大晦日は妻の実家に行きます。テレビでは紅白歌合戦が流れていますが、飲み食いやおしゃべりに忙しく誰も見ていません。妻は、三山ひろしの剣玉チャレンジも最近まで(私が「数年前から毎年やってるよ」と教えるまで)知らなかったのです。ワイワイガヤガヤするなか、私はわりと黙々と飲み、興味のない紅白をしかたなく眺めています。最近の紅白の雑感は──「『鬼滅の刃』など、民放とのコラボが甚だしい」「ジェンダーに配慮してか、男と女の対決を強調しなくなった」「若い世代を取りこもうと強く意識しているようだが、中高年はついていけているのか」などです。

0時頃、妻の実家をあとにすると、近くの寺から除夜の鐘が響いてきました。

2019年から20年に変わった夜中1時頃、義姉はその寺の鐘を撞きたいと言いました。おそらく数年間苦しんでいる癌の快癒を願ったのでしょう。半年後、亡くなりました。

今年も、2時前に帰宅。

正月、目が覚めたらお屠蘇です。数の子、刺身、エビの塩焼き……などで酒を飲みます。甘い物が苦手な私のために妻は甘さ抑えめの蒲鉾を探してきます。2023年バージョンの田作りは、砂糖や水飴や味醂を使わない、カタクチイワシとピスタチオの乾煎りでした。せっかくなので、お雑煮などで何個かお餅は食べます。

お屠蘇飲んでも、終わりなき世のめでたさや、なんて歌う気分になりません。コロナ、ウクライナ侵攻、物価高、旧統一教会問題、増税、防衛費倍増、その他もろもろ……重い気分を引きずりながらの年始です。

人混みが嫌いなので、20歳になってから初詣でにはほとんど行った記憶がありません。考えてみれば、クリスマスをやった数日後にお寺で鐘を撞き、翌日神社に行くって不思議じゃありませんか。

私は初詣には行きません。神社本庁が自民党の後ろ盾になっている団体の1つだと知ってからはますます神社から遠ざかりました(神社本庁に属さない神社もありますが、いちいち確認できません)。戦前、神道は国の真ん中にあったわけですから、神社が戦前回帰を目指す自民党を支持する気持ちはわかります。でも、私は、弱者を切り捨てて国民に重税を課し戦争に突き進んだ時代に戻るのはイヤなんです。

そもそも、初詣は、鉄道会社のキャンペーンが生んだわりと最近のイベントです。鳥居の前で一礼したり、二礼二拍手なんとやらみたいな形式はいつできたんでしょうか。日本の神様はそんなに固苦しいのかな。数十年ほど前は、賽銭チャリン鈴ガラガラ両手パンパン礼、くらいでしたよね。

どうしても神頼みしたくなったら、河原の石を拾い、書棚に置いて祈りましょう。本邦には八百万の神様がいて、お客様も箱根の山の神も村神様──現人神はもうやめない?──もいるんですから、石ころだって神さまです。

八百万の神様に性的マイノリティや同性婚の神はいないんでしょうか? いないなら、そのへんの山の石を拾い、机の上に祀りましょう。

2023年は、WBC、ラグビーワールドカップなど、またまたお祭り騒ぎがあるらしい。でもね、ぜひ統一地方選挙にも興味を持ってください。地方議員にも旧統一教会と関係している現職議員は山のようにいます。もしも今の政権与党ならびにその補完勢力(維新や国民民主など)がおかしいと感じるなら、野党に投票してお仕置きしないといけません。選挙のほうが、野球やサッカーより、みなさんの生活に影響するのです。

↓ ご参考に ↓

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追記=立憲民主党・泉健太議員が乃木神社に初詣したことを批判され、以下のように反論しています。(これは前川氏に向けた発言。ちなみに、私は前川氏が特に好きなわけではありません)

私は、「武人や軍人を祭神にしている神社」に行けば、過去の戦争を肯定していると受け取られてもしかたないと考えます。受験生は学問の神様に、妊婦は安産祈願で有名な神様にお参りするものです。野党の代表として、軽率な行動だったと思いますよ。