狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

繁延あづさ『山と獣と肉と皮』

 考えてみれば、あたらしい発見なんて何ひとつなかった。この数年間で私が新たに知ったことは、世の中では既知とされていることばかり。「人間は、生き物を殺して食べている」という、たった一行で終わるようなことだった。(「おわりに」より)

ある書店のある棚に、繁延あづさ『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)という本があり、行くたび、私に買えと迫ってきます。連休前、ついに押し切られて購入しました。

罠猟をする「おじさん」と、銃で狩猟する中村さんとみゆきさんに同行し、さらに姫路の伝統的な白鞣しで革を加工する新田さんに取材して、狩猟とは何か、命や死とは何かをつづった本です。おじさんからもらった肉は絶対おいしく食べてやると決めていて、いくつか調理法が書かれていました。著者自身は狩猟はしませんが、飼っている鶏を長男と一緒にシメて食べたりしています。

写真豊富なエッセイです。カバーや口絵にカラーで、本文にはモノクロで、解体されつつあるイノシシの写真などがどかどか掲載されています。とりだしたばかりの内臓が温かいなんて描写、けっこうなまなましい。私は狩猟採集社会の本を読むうち──自分で試したことはありませんが──動物の解体や昆虫食に抵抗はなくなったんですが、他人が見たら卒倒しちゃうかもしれないので、電車では読めません。妻も絶対にイヤがるので自室で通読しました。

野生動物を食べることに関して、著者はあれこれ考えていますが、私の嫌いな「大切な命をありがたくいただく」という定型文から抜け出しているのが好印象です。

猪をありがたいと感じて食べたかったのは、ありがたく食べなければという呪いがかかっていたからじゃないだろうか。

そうそう。冒頭の引用にあるとおり、「人間は、生き物を殺して食べている」のが当り前なんです。ステーキは好きだけど動物を殺すところは見たくないとか、肉食はケガレだとか、命に感謝してありがたくいただくとか、七面倒くさい。獲物を食べた人間はいずれ土に還るサダメ。狩猟採集時代なら動物に捕食されるかもしれません。人間生活の当り前に気づくまで、200ページ以上費やさねばならないところに現代社会の不思議さがあるのです。

おじさんは定年から罠猟を始めたらしい。私も、今年か来年に罠猟・網猟の狩猟免許をとるべく、とりあえず書籍を購入しました。

ここのところ中世の本ばかり読んでいたんです。繁延氏がキヨメとケガレについて考察するところで、網野善彦『中世の非人と遊女』の書名が出てきました。私も数日前に読み終わったところなのです。