まもなくワールドカップ日本対クロアチア戦が始まる模様。私はいつも起きている時間ですが、観るかどうか、迷ってます。ひとまず、手紙を投函してこよう。
お昼に、ちらりとワイドショーを観てしまったんですよ。「カタールでも日本代表チームは人気があり、現地では早々と日本のユニフォームが売り切れた」という話題をやっています。現地にいる日本人レポーターは「日本は大人気です。カタールの人からは、『わが国を批判したドイツを破ってくれてありがとう』と言われました」と語ります。負けたけど、ドイツのほうがよほど立派だわ。私はドヨーンとしてテレビを消しました。スタジオのコメンテーターの表情をきちんと観ればよかった。
人権意識がジェンダーギャップ指数に表れていると仮定して眺めてみましょう。2022年の順位(146ヶ国中)は、ドイツが10位、コスタリカ12位、スペイン17位、日本116位、カタール137位です。日本はドイツより遥かにカタールに近い。残念ながら。
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20歳の大学生が、《「日本人の特性として、自ら声を上げるのは難しいのではないか。人権侵害は悪いこととはわかっていても、日本が躍進しているこの状況で水を差すのはちょっと……」と》答えたそうです。自分ふくめ日本代表選手も誰も声を上げないことを「日本人の特性」だと言い訳しているだけじゃないでしょうか。悪いと思うなら悪いと言えばいい。日本代表が躍進しているかどうかなんて、まったく関係ありません。
国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」の中川英明事務局長は、日本で反応が薄い背景をこう分析する。「欧州などでは、人権は人々が勝ち取ってきたものという歴史があるが、日本では人権というと『思いやり』や『道徳』が絡む話になってしまう」。「アムネスティ日本」を含む「アムネスティ・インターナショナル」などはFIFAに対し、大会会場建設で過酷な労働環境のもと犠牲になった労働者への救済基金の設立を求めてきた。
中川事務局長は「日本人は責任感の強さゆえか、『人権』などの『権利』という言葉は、何かしらの『義務』を果たして初めて行使できるものと捉える傾向があるのではないか。人権は全ての人に与えられるものであって、何かの義務とセットではない」と話し、「この問題に批判の声を上げずにいると、日本が国際社会から取り残されてしまう」と危惧する。
いま読んでいる笠原十九司『南京事件論争史』(平凡社新書)の本文に、藤原彰『南京の日本軍』からの引用が出て来ました。孫引きしますと……《日本軍には明治の創設いらい、人権の無視、人命の軽視という本質的な性格が存在し、さらに兵士や装備の不足を攻撃精神でおぎなうのだという精神主義が強まって、捕虜を軽蔑し否定するようになった》云々。
戦後の日本は先進国並みの人権感覚があると信じているのかもしれませんが、明治と本質的な部分で変わりません。為政者も明治の政治家の末裔ですしね。杉田水脈議員ほか、差別主義者が国会議員をやっている国です。
私は、同性愛を違法とし、劣悪な労働環境で仕事をさせているカタールに抗議します。
ただいま23時40分。では、手紙を投函がてら、小一時間歩いてまいります。