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鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』

鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』(岩波文庫)を読みました。1870(明治3)年、徳島の煙草問屋に生まれた鳥居の、1915(昭和10)年までの半生記です。本書自体は1953(昭和28)年に刊行されていますが、その年の1月に亡くなっています。

鳥居は、明治中期から、遼東半島、台湾、インドシナ、北千島、西シナ、シベリア、モンゴル、満洲、朝鮮……など(順不同)を調査した人類学者です。当時は日本の軍部がアジアに進出していたころで、さまざまな便宜をはかってくれたこともあり、日本の人類学は貴重な資料を残せたのだと思います。

考古学的な発掘調査や自分の業績の話が中心で、先住民がどんな暮らしをしているかといった私が興味ある話題に関しては、台湾の蕃族とアイヌおよび樺太のツングース系民族が多少印象に残ったくらいです。1902〜1907年の極東アジアの現地調査をしたアルセーニエフ『デルスー・ウザーラ』のような冒険読み物だったらいいなと思いましたが、その意味では期待外れでした。とはいえ、方法論もなにもない時代、ひとりで人類学の地平を切り拓いた業績はやはり尊敬にあたいします。

前半の立志伝風なところはなかなか愉快です。1870(明治3)年に徳島県の裕福な煙草問屋に生まれましたが、士族や平民と違って学校に行ってもしかたないと小学校を中退(卒業したとの説もあるらしい)。とはいえ家は裕福ですから独学や読書には困らず、家庭教師もつけています。「史記」を教えてくれた福田宇中という人は「余は幼年より孔子の道にしたしみしが、今にしてこれを思えば、何らの利益なく、かくの如く何ら得る所なく貧乏した。すなわち余は孔子にだまされたのである。若き君よ、必ず孔子を信ずるなかれ」と言ったとか。

徳島に来た人類学者の草分け・坪井正五郎と出会い、東京に遊学。ドイツ語などを学んだり新しい貝塚を発見したりしながら勉強し、1893(明治26)年に帝国大学理科大学人類学教室標本整理係となります。語学、地質学、動物学、解剖学、発生学、古生物学など、とにかくよく勉強しています。

1900(明治33)年、新高山初登頂(ニイタカヤマノボレでお馴染みの4,000m近い高峰です。台湾は日本統治下でしたので、当時は日本最高峰という位置づけでした。初登頂に関しては異説もあります)や蕃族調査あたりまでが私としては読みどころでした。奥さんとモンゴル調査に行くのもよかったかな。

言語学者・田中克彦の解説が読ませます。鳥居が学校に行かなかったことに関して、《日本は今日、我々自身が招いてしまった、息苦しいがんじがらめの学校信仰の支配下にあり、学問全体が牢獄に閉じこめられて窒息してしまいそうな状況であるが、その一方で、学校をちょっと小ばかにする好もしい伝統もなお残っている》といい、《鳥居は学校に行くのがいやだったが、決して勉強ぎらいではなかった。学校がきらいだったのである》と書いているのは当ブログのテーマと重なります。ノモンハン事件の背景が書かれていることも指摘していました。

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余談。オロチョンラーメンの「オロチョン」って、北東アジアのツングース系民族のことなんですね。ウイッタ(Witta)と自称するツングース系民族をアイヌは、オロッコ、オロチ、オロチョン(トナカイ飼養人の意)と呼んだらしい。(301-302頁)

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

  • 作者:鳥居龍蔵
  • 発売日: 2013/01/17
  • メディア: 文庫