狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ホモ・ラクガキ

暇なときに書き継いでいた小説が300枚近くで終了。調べてみたら、たまたま制限枚数が合致して、〆切間際だった新人賞があります。賞に届くほどの作品でもないし、そもそも若い才能に授賞するほうが商業的においしいから、私など対象外みたいなものです。でも、せっかくだから送ってみることにしました。

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物心ついたころから文章を書いたり似顔絵を描いたり……余白を見れば落書きで埋めていました。もちろん教科書なんて落書きだらけ。人の本質は遊びだと言った人は、ヒトをホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と読んでます。落書きせんとや生まれけむの私はさしずめホモ・ラクガキ。小学生のころはマンガ家か画家に、高校生のころは小説家になりたかった。

大学に入って文学研究のレポートや論文をたくさん課されました。一番安いモンブランの万年筆で書いていたところ次第にペン先が削れていき、しまいには、原稿用紙に落としただけで、ペン先に紙が吸いつくようになりました。ある昼下がり、西武線・井荻駅駅前の電話ボックスに万年筆を置き忘れ、数分後に戻ってみると無くなっていました。ガッカリでした。あんなに癖のついた万年筆、他の人には書きづらいだけなのに。

大学生のとき、ワープロを購入。生協で粘りに粘って値切ったのは、NEC文豪mini7Hという機種です。自分が入力した文字が、10.5ポイント48×48ドットのフォントで出力されると、印刷物が出て来たようで興奮しました。いま考えると、あまり綺麗な文字ではなかったんですが、それでも当時は宝物を手に入れたみたいで、二晩徹夜で、過去に自分の書いた文章を清書しました。このワープロは、0.1mm単位で行間指定できるのも面白く、チマチマと編集するのが好きな私には打ってつけの玩具でした。

ただ、私が通った学部のトップの教授は「手書きの文字には魂がこもる」派の人で、ワープロ絶対不可でした。だから、ワープロで打った原稿用紙10枚とか30枚の文章を、最後は手書きで写さなくてはいけません。卒論は120枚くらい書いたので、ほんとに面倒くさかった。
テーマを与えられて発表させられるという授業が複数あり、そのときに配るレジュメはワープロでも良かったようです。二週間くらいかけてちょっと面白い発表をしたつもりですが、先生はワープロに関する質問ばかりするのです。そりゃ、チマチマ好きですから、レジュメも凝りましたが。
「漢文のレ点や一二点はどうやって入れたんですか」
「白文を半角アキにして、文字の間に4分の1倍角の片仮名『レ』や漢数字を挿入しました」
「ほう……これこれという漢字がありますが、ワープロに入っているんですか」
「JIS第二水準までに含まれてないので、偏とつくりを合わせて作字しました」
「ほう」
レジュメにしか反応しない先生に「あのう、発表はどうでしたか」と尋ねるも、上の空。「発表はとてもよかったですよ。ところで……」と、またワープロの話に戻るのです。同じ学部ですから先生も手書きで原稿を書いていましたが、実はワープロに興味津々だったのです。ちなみに、学部トップの大物教授が引退した途端、学生も先生もワープロ可になりました。私の卒業後です。

親のスネをかじるのもほどほどにしようと自制し、大学院には進まず就職しました。フリーで仕事していますが、物書きではありません。今はインターネットという巨大な余白に落書きしています。「他人に読んでもらって『いいね』が欲しい」なんて気持ちはさらさらないのです。ホモ・ラクガキは、落書きすること自体が楽しいわけで、自己承認欲求なんかとは無縁ですから。

過去に何度か小説には挑戦しました。せいぜい50枚くらいの短編しか完成させたことがなかったのです。中長編は、完璧な表現を模索しているうち息切れしていました。年をとり、「完璧を求めなくてもいいや」と考えてからわりと長く書けるようになったんです。プロ棋士相手の駒落ち将棋でも、お行儀良く指していたころはほとんど勝てなかったんのに、「駒落ち定跡もようわからん。自由に指すよ」と開き直ってから勝てるようになりました。全体的に図々しくなったのでしょう。

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最近、新人賞の多くはPDFで送信してもいいらしいのに、私が投稿した新人賞はプリントアウトが必要でした。自宅のプリンタのインク残量が、大量にモノクロ印刷するには心許ない。コンビニの出力機を使いました。お店で、一度に50枚しか出力できないと知り、いったん帰宅して三つのファイルに分けてプリント。なにごとも経験じゃけん。

応募した小説、一次選考くらい通過するんじゃないかな。落選したら、ここで公開するかもしれません。