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『南京事件論争史』

積ん読本解消中です。あるニュースを見て、先日ちょっと触れた笠原十九司『南京事件論争史』(平凡社新書)のことをメモしておきたくなりました。戦後の南京事件に関する論争を網羅的に整理した本であり、ブックガイドにもなっています。

南京事件あるいは南京大虐殺とは、1937年12月、日本軍が中華民国の南京市を占領したあと、捕虜、便衣兵(民間人の格好をした兵隊)、民間人を虐殺、強奪、強姦などをした事件です。敗戦直後、日本は証拠湮滅のため書類を焼却したので公文書はありませんが、東京裁判でも南京事件について裁かれ、戦後、実地調査や軍関係者の手記などにより事件の真相が徐々に明らかになりました。

ところが、南京事件は「なかった」あるいは「被害者は巷間言われるほど多くなかった」という人々が登場します。

 1970年代以降に出版された日中戦争の歴史書や歴史字典、百科事典類にも南京事件は記述され、むしろ記述は詳細になっていく。したがって「南京事件論争」といっても歴史学界においては、南京事件が歴史事実であることは定説になっており、本書で問題にしているような「まぼろし」「虚構」であるかなどの論争は起こっていない。本書で問題にする「南京事件論争」は、歴史学的あるいは学問的な論争とは異なる出版メディアの場における「論争」という性格をもっている。(引用の数字は漢数字を算用数字に変えました。以下同)

南京事件を伝説だと言いだしたのはユダヤ系アメリカ人と称するイザヤ・ベンダサン=山本七平でした。その後、南京事件を疑う言説が出てきます。背景に何があったのでしょうか……?

《松浦総三(略)によれば、1969年は自民党の文化攻勢開始の年になり、自民党支持の「文化人名簿」を作成して公園や選挙応援演説、さらにさまざまなメディアにおける活用をはかることにした。大企業からの政治献金が山ほどある自民党が金と名声に弱い学者、ジャーナリスト、作家、評論家たち、つまり「ペンは剣よりも金に弱し」となってしまった文化人を組織し》たのだそうです。政府・自民党文化人の《天皇支持、親米、反共という点では完全に一致している》人々が、『諸君!』『正論』などで啓蒙活動を始めました。

ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』に、こんな文章があったのを思いだします。

大部分の個人は、特に俗衆のうちに立ちまじれば、自分の専門以外には、何らはっきりした理詰めな考えを持たなくなり、自ら身を処することもできなくなる。そこで、指導者が、その手引きになるのである。やむを得ない場合には、極めて不充分ながら、定期刊行物が、指導者のかわりをすることもある。定期刊行物というものは、読者たちに意見をつくってやり、彼等に出来合いの文句をつぎこんで、自ら熟慮反省する労を省いてしまうのである。

自民党は、自分の頭で考えない大衆に、保守的な考えを植えつけているわけです。最近でも、御用学者、御用ジャーナリスト、御用タレントらしき人たちが、いろんなメディアを通じて「南京事件はなかった」「従軍慰安婦の強制はなかった」「関東大震災における朝鮮人虐殺はなかった」と発信しています。私の友人にも、そういう考えの持ち主が数人いるのです。信じたいことを信じるのは勝手でしょうが、「霊長類最大の脳を持っているのに、どうして他人の意見のコピペをするの?」とひとこと言いたくなります。

以上、「防衛省、世論工作の研究に着手 AI活用、SNSで誘導」(→共同 2022/12/9)という記事にビックリしたので書きました。輿論操作をもう隠そうともしないのね。