TBSラジオ『荻上チキ Session』で玉音放送を流していました。玉音放送収録と、それを妨害しようとする兵士たちの物語はぜひ半藤一利『日本のいちばん長い日』(新潮文庫)か、その作品を原作とした同名映画──できれば岡本喜八監督作品──をご覧ください。
玉音放送で、天皇は「日本は負けた」というふうに明確に言いません。「時局ヲ収拾セムト欲シ」とか「米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」と述べるのみ。ラジオの玉音放送だけでは日本が負けたとわからなかった庶民は多かったそうです。8月15日を敗戦記念日ではなく終戦記念日と言い換えるようなことが、すでに始まっていたのかもしれません。
本日、何人かの閣僚が靖國神社に参拝したとのこと。
40年くらい前までは、戦争体験者が多く、「日本の繁栄は戦争で亡くなった人のおかげだと信じたい……が、じつは彼らは犬死にしたのではなかったか」と思い悩んだり、戦争で生き残って繁栄を謳歌する自分に負い目を感じる人がいました。複雑だったのです。しかしいつからか、政治家ふくめ多くの人が「現在の日本の繁栄は英霊のおかげである」と単純化しました。かねがねマズい傾向だと感じていましたが、『荻上チキ Session』の最後に荻上氏がそういった言説は間違った解釈を生むといった意味の発言をしました。
戦争がなければ、戦死した兵士(6割は餓死とも言われる)や、空襲・沖縄戦・原爆などで犠牲になった人を救えたかもしれません。帝国主義化してアジアに進出し、ウルトラナショナリズムに煽られて戦争をしたことは繰り返してはなりません。
そもそも戦争はどんな指導者のもとにおこなわれたか。半藤一利・保阪正康『賊軍の昭和史』(本がいますぐ見つからない)に、官軍藩の出身者は成績が悪くても軍のなかで出世したと書かれていました。官軍の政治家や軍人が始めた太平洋戦争を止めたのは、たまたま賊軍関宿藩(千葉県)出身の鈴木貫太郎が総理大臣だったおかげだ、とあります。終戦時の海軍大臣・米内光政、海軍大将・井上成美も賊軍・仙台藩でした。
戦後、すべてが変わったわけではありません。政治の中枢にいるのはいまだに薩長の世襲政治家(参考・家系図→MAG2NEWS 2016/8/8)ではありませんか。つまり、1945年の敗戦は、彼らの先祖の大失敗といえます。日本の学校が近現代史をやらないのも、むべなるかな。賊軍藩の政治家よ、がんばれ。
今年は明治154年。敗戦は明治77年でした。つまり、明治から敗戦と、敗戦から今年の長さが同じなのです。白井聡は『国体論』で「戦後の国体」が終わると予言していました。当たるか当たらないかわかりませんが、いろいろと地殻変動が起きている気はします。
──走る時間がとれなかった8月15日。