オリンピックとメディアの歴史

オリンピックの歴史は、メディアの歴史でもあります。

1900年代、日本では新聞が部数を伸ばしはじめます。新聞が初めてオリンピックを報じたのは1908年ロンドン大会。当初、オリンピックは万国博覧会の一部としておこなわれていて、大阪毎日新聞社の海外派遣員・相嶋勘治郎が万博に行ったついでに入場したそうです。日本人が初めて参加した1912年ストックホルム大会には、大阪毎日と讀賣新聞が記者を派遣、万朝報はスウェーデン特派員と自費で大会を観戦した広島の広陵高校教員・藤重源の記事を掲載します。他の媒体は通信社の記事を掲載したとのこと。 

1924年第8回パリ大会で、世界初のラジオの生中継が行われました。同年フランスのシャモニーでおこなわれた初の冬季大会で、準実況風、疑似生中継(後述する「実感放送」みたいなもの)によるラジオ放送があったかもしれない、とのこと。日本はもう少しあとの話です。

大正後期、日本は君民一体の意識が根づき、超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)へと移行します。久野収という学者は、1921年(大正10年)、皇太子裕仁の令旨に感激して朝日平吾がテロを起こしたことを超国家主義の始まりと書いています。

日本の報道体制は1928年アムステルダム大会まで似たようなものだったそうですが、1932年ロサンゼルス大会には、日本はアメリカに次いで131人もの選手団を送っています。全国紙、地方紙ふくめ60人の記者(現地特派員ふくむ)が取材にあたり、速報を争ったそうです。

毎日新聞は「開会直前までは20分もかかっていた至急電の記録を最短 1 分半とし,ほとんどの号外で他社を退けたという。1 分半という数字は多少誇張されてい るようであるが,アメリカ国内でオリンピック・ニュースのために有線・無線の通信設備が整備され,大会直前にラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカと逓信省の協議により日米間の短波送信受信が一回線増えたことから,オリンピックを契機に,日米間の通信速度は大幅に短縮された。アムステルダム大会までは発行していなかった号外も次々に発行され,『東京朝日』のロサンゼルス大会に関する号外の数は,15回,最も多いときには1日に3回も発行されている。(浜田幸絵)

写真やニュース映画をどれだけ早く入手するかも争われました。《洋上に浮かぶ船に小型飛行機で近づき、決死の「フィルム釣り上げ作戦」を刊行し》たと沢木耕太郎『オリンピア』(集英社文庫)にありましたね。技術向上とナショナリズムが相俟ってオリンピック熱が高まっていったのだと思います。

日本でラジオ放送が始まったのは、1925年。NHKの前身である東京放送局が誕生しました。1932年ロサンゼルス大会では実況放送をするはずでしたが、放送権料の関係で、「実感放送」を発案します(ただし、参考3の論文では、この手法が以前からあったと指摘します)。現地で試合を見たアナウンサーがメモをもとにアメリカのスタジオで疑似実況をするのです。暁の超特急・吉岡孝徳選手が走った短距離100mの実感放送は、10秒余りで終わるはずなのに1分以上かかったというエピソードは有名です。

1936年ベルリンオリンピックでは、ラジオは生中継が叶いました。ロサンゼルスで実感放送をしたなかの1人・川西三省アナウンサーは「前畑ガンバレ」を連呼します。初めてレニ・リーフェンシュタールの記録映画を観たとき、どうして日本語の前畑ガンバレが入っているのか不思議でしたが、あの映画は公開される国によって編集を変えているのだと、これも沢木氏の本で知りました。

ベルリン・東京間では、画像が粗かったそうですが、写真電送が実現します。有線電信、無線電話、国際電話などがどんどん発達していきました

テレビの歴史はみなさんご存じだから短めに。

1936年ベルリン大会で、ヒトラーはすでにテレビ中継をやっています。生中継は72時間だったとか。日本でも1940年東京大会をテレビ放映するつもりでNHKが高柳健次郎を招いて研究するも、大会返上とともにテレビ事業は頓挫します。

1952年ヘルシンキ大会から敗戦国・日本のオリンピック参加が認められます。日本では1953年にテレビ放送が開始されますが、1963年まで衛星放送がないのだから生中継は見られません(初の日米宇宙中継が映したのはケネディ暗殺でした)。したがって、1960年ローマ大会では映像より他メディアのほうが早かったのです。

画期的だったのは1964年東京大会で、史上初のカラー放送、アメリカでの衛星生中継となり、初めてテレビのオリンピックになりました。当初、オリンピックに関心が薄かった日本人も、初めて生中継で見た日本人選手の活躍を見てウエイウエイと喜んだのです。

ハイビジョンだの4Kだの8Kだの、5Gだの、SDGsだの、大型スポーツイベントを取り巻く状況は刻々と変わっていきます。しかし、私は今や脱成長派だし、今回の件でオリンピックが憎らしくなってきました。選手のみなさんに恨みはないので応援していますし、がんばってほしい。私は20世紀初頭のように、ときどきラジオで結果を知ることにします。

──東京オリンピックまであと4日。

 

【参考】

  1. 「戦前日本のオリンピック」浜田幸絵(コミュニケーション科学 2010-10-13→CiNii

  2. 「オリンピック放送の原点」脇田素子(スポーツ史研究 2015 →CiNii。リュミエール兄弟がシャモニー、パリ両大会の記録映画を撮っているとのこと。もっと古い、ロンドン万博の一環としておこなわれた1908年ロンドン大会の映像もあるそうです)

  3. 「放送史への新たなアプローチ(3)「実感放送」伝説の背景 : 日本初のオリンピック"実況"を再検証する」(放送研究と調査 67(5), 2017-05)CiNii