狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『人類の起源』と日本人のルーツ

色々あった。

何年か前、大勢集まったある宴席で「日本人はどこから来たか」という話題になったんです。あっちから来た、こっちから来た、とみんな喋々と自説を披露します。日本人のルーツを探ることは自分のアイデンティティを確乎たるものにするんでしょうか。専門家でもアマチュア考古学者でもないのに、とりわけ熱く議論する数人を横目に、私は白けてチビチビ飲んでいました。

個人的には「日本人はアフリカから来た」くらいで充分ですけど、『縄文vs.弥生』を読んだので、いちおう知っておこうという気になりました。DNA鑑定の技術の進歩と研究は日進月歩だから最新の本に当たればよい……と、本年2月刊の篠田謙一『人類の起源』(中公新書)を通読。

著者の専門は分子人類学で、現在は国立科学博物館館長だそうです。アフリカを出たホモ・サピエンスがネアンデルタール人との交雑などを経て、ユーラシア大陸、オーストラリア、太平洋の島々、南米へと、地球全体に散らばった経緯が最新のゲノム研究をもとに書かれていました。

【問題】 『人類の起源』の内容を、6文字以内で要約せよ。(句読点含む)
【模範解答】 色々あった。

いまクスッと笑った方、清水義範『国語入試問題必勝法』を読んでますね。

ヒトの離合集散は、矢印一本でシューッと書けるようなものではなく、違う文化を持っている人々が、同じ地域に何度も入ったりしています。後述する日本列島も同様です。

いちばん感心したところはここ。今世紀に入って格段に進歩した技術により研究しているわけですが、著者は終章でこんなふうに書くことを忘れません。

《ゲノムの違いを重視するというのは、〇・一パーセントの違いに重きを置く考え方》ですが、《一方、ヒトの持つ価値は残りの九九・九パーセントの共通性にもあるはずで、そちらを重視すれば「人間は平等である」という考え方にたどり着きます》。《現実の社会を見ると、違いのほうに勝ちを持たせすぎているようにも思えます》。

ゲノム解析は優生学の道具ではないんです。

日本人のルーツ

さて、日本人のルーツに絞って書きます。

4万年前ほど前にホモ・サピエンスがやってきて、土器がつくられる1万6千年前までを旧石器時代、北部九州に稲作が入る3千年前までを縄文時代と呼びます。《縄文人は旧石器時代の日本列島集団の直系の子孫だと考えられ》ているそうです。

《東アジアに展開した異なるふたつの系統が合流することで形成され》たことはわかるものの、《それぞれの系統が独立に日本列島に流入したのか、それとも大陸部沿岸域で混合したのちに流入したのかは依然として不明》とのこと。北から入ってきたのは間違いないけど、南からも来たとはハッキリ書かれていません。

6千年前に西遼河(セイリョウガ)の雑穀農耕民が、3千年前以降に長江流域の稲作農耕民が渡来したと見られるそうです。

大雑把にまとめましたが、事情はもっと複雑です。たとえば、縄文期の朝鮮半島南部の集団と北部九州の縄文人の遺伝的要素は類似していることなども書かれています。「ここからここまで日本」と決まってなかったんですから……ま、いろいろあったんでしょう。

アイヌ=北海道の縄文人の末裔

現代の47都道府県の核ゲノム解析の結果、渡来人に近いのは関西地方や四国で、そこから離れるほど縄文人の遺伝子が残っているとのこと。

現代のアイヌの人々はオホーツク文化人との遺伝的影響を受けつつも、縄文人のゲノムを70%持つそうです。その割合は他の日本人と比べて群を抜いているらしい。《本土日本人を渡来人の末裔と考えるとしたら、アイヌの人たちは北海道の縄文人の末裔と捉えられます》と書かれていました。

そういえば、日本語のルーツは西遼河の黍・粟農耕民だったというニュースがありました(→毎日新聞2021/11/13「日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表」)。日本語が西遼河から北部九州を通ってやってきたなら、別ルーツのアイヌ語を話す人々は、文化の面でも弥生文化との交流が少なかったともいえるのかもしれません。

3年前の夏、北海道マラソンの翌日に札幌をうろうろしていたら、「アイヌは先住民じゃない」とヘイトスピーチしている団体がいました。クルマの上で演説している人のうしろに、十人くらいのおじさんおばさんが団体名を染め抜いた幟を持って立っています。通り抜けながら、どんな人たちかと観察すれば、朗らかに談笑する彼らは、道を尋ねたら親切に教えてくれそうな人たちに見えました。

あの不思議な集団を思い出しながら書きますが、アイヌは先住民ですよ。