狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ご当地ラーメンの話

たまには堅苦しくない話でも……。

今日、ラジオを聞いていたら、ご当地ラーメンに関する話題になり、「和歌山のラーメン文化」とか「替え玉文化は博多だけだと思った」といったセリフが飛び交っていました。和歌山ラーメンというのがあるらしい。

ご当地ラーメンっていつから生まれたのでしょう。私が大学生だった1980年代、テレビ番組「愛川欽也の探検レストラン」や映画「たんぽぽ」あたりからラーメンブームが到来し、ほどなく荻窪ラーメンとか喜多方ラーメンという単語を見聞きするようになりました。

現在、うちの近くには横浜家系ラーメンや八王子ラーメンを名乗るお店があります。入ったことがないため、味の特徴はわかりません。

昨年、山口県宇部市で行われた竜王戦七番勝負第4局の事前インタビューで、豊島将之竜王と挑戦者・藤井聡太三冠(いずれも肩書きは当時)が、2人とも(!)宇部ラーメンを食べたいと言ったから腰を抜かしました。う……宇部ラーメン?? 35年くらい前まで広島県に住んでいた私ですが、隣県にそんなご当地ラーメンがあったなんて知りません。藤井聡太三冠は、対局初日の対局後にホテルで食べたといいます(→讀賣新聞。その後、宇部ラーメンの店に人が押し寄せているとワイドショーが伝えていたとか。

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以下は、速水健郎『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)第四章の受け売りです。

ラーメン博物館の館長・岩岡洋志は著書『ラーメンがなくなる日』に《郷土料理も郷土ラーメンも、その地域で長く生活している人々によって、時間の経過とともに練り上げられてきたものです。工夫と努力を積み重ね、郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれました》と書いているそうです。

たとえば、きりたんぽが《郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味》の料理と言われれば、私は信じるでしょう。しかし、秋田ラーメンというものがあるとして、それがきりたんぽと同じく長い伝統をもつ食文化と言われれば、「えっ?」となります。中華そばは戦前から全国にあったでしょうが、私が小さいころ、地名とラーメンがセットになっていたのは「サッポロ一番」くらいでした。

速水氏の本によれば、札幌の観光地化とともにラーメンが有名になったのは1950年代で、当時はとんこつ醤油でした。味噌ラーメンは「味の三平」という店が裏メニューとして出していて、60年代、東京と大阪の高島屋で開催した「北海道物産展」で実演販売し、有名になりました。68年「サッポロ一番みそラーメン」が発売され、同時期に東京からチェーン展開したどさん子により全国区に。結果、札幌の他店も追随し、観光資源としての札幌ラーメンが誕生しました。

九州とんこつの白濁スープ&ストレート麵は、1950年代の元祖長浜屋から広まったとのこと。札幌は「ラーメン」と言ったのに対し、ルーツが異なる博多では「支那そば」でした(本には書かれていませんが、博多ラーメンという呼称は1970年代後半からだとか)。全国どこでも「ラーメン」と呼ぶようになり、速水氏は「味覚の共同体」が誕生したのではないかと自説を展開するのですが、話が逸れるので割愛。

福島・喜多方は、1980年代、会津若松への観光バスが食事に立ち寄る場所でした。「まこと食堂」の平打ちの縮れ麺をに目をつけた観光協会は、喜多方ラーメンとして普及させることにしました。林家木久蔵(当時)がテレビで紹介したのをきっかけに有名になり、蔵のまち・喜多方のアピールに成功したそうです。

かくして、ご当地ラーメンはカネになるとわかり、第二、第三の喜多方ラーメンを創ろうとする自治体が増えました。宇部ラーメンも、宇部市が2012年から広めようとしているようです。

おさらいしましょう。1960〜70年代に札幌ラーメンと博多ラーメンのスタイル統一があり、80年代、意図的に喜多方ラーメンを生み出したことでご当地ラーメンというビジネスモデルが確立し、全国に伝播しました。《工夫と努力を積み重ね、郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれ》たのではなく、自治体主導の努力による伝統文化の創設なんですね。ご当地ラーメンを統べる新横浜ラーメン博物館がオープンしたのは1994年です。

観光のためにご当地料理を売り出すという発想は、1980年代以降に誕生したともいえます。ラーメン以外の例を挙げれば、有名な宇都宮の餃子通りも今世紀に入ってから市が改称・整備・宣伝しました。

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ここからは蛇足。ご当地ラーメンは自治体発ばかりじゃないかもね、という話です。

私の郷里・広島には辛いつけ麺があるそうです。何度か「おいしい店はどこか」と聞かれたことがありますが、食べたことがないのでわかりません(お好み焼きなら紹介できるけど)。私が日々、広島をウロウロしていたときには広島つけ麵なる言葉すらなかったはずです。ただ、こちらは広島市が仕掛けたのではなく自然に広まったようです。

尾道ラーメンという言葉を聞くようになったのは、私が大学生だった30年ちょっと前かな。尾道市ではなく福山市の阿藻珍味が売り出したズバリ「尾道ラーメン」を新幹線のお土産売り場で見かけるようになりましたが、尾道を代表する今はなき「朱華園」とは関係ないはず。尾道ラーメンの場合はご当地ラーメンブームにのっかって、自治体ではなく、他の市の企業が創ったと言えましょう。