狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

上野千鶴子『増補〈私〉探しゲーム』

上野千鶴子『増補〈私〉探しゲーム』(ちくま文庫)を本棚から引っ張り出して、ときたまパラパラめくります。原著は1987年1月刊。ちくま文庫版は1992年6月刊です。

大学の近代文学の講義で栗坪良樹先生が、上野氏『セクシィギャルの大研究』(カッパ・ノベルス、現在は岩波現代文庫)を読めとすすめてくれたのが、1987年くらいかな。最初はピンと来ませんでしたが、文庫版『増補〈私〉探しゲーム』を読んで偉い人だなと感心しました。

1980年代の文章です。世の中はバブル。ユーミンが広告代理店の仕掛けで「🎵 スキ、ヒ、てん、こく、へ〜」と歌い、大学生はシースポ同好会で遊びながら企業に青田買いされ、「3高」といわれる男たちがモテて、人々はハナキンに六本木などで飲みまくるもタクシーは捕まらず朝まで飲み、ファッション雑誌で流行を知った人々が狂ったようにデザイナーズブランドに群がり、ワンレン・ボディコンの姉ちゃんたちが踊り狂い、トレンディドラマという浮かれ番組がたくさんつくられ、クリスマスイブの日は半年前からホテルが予約で埋まっている。カネを使え、ダサいモノを捨てて流行りモノを買え、と脅迫されていた──つまり、私が「ケッ」と感じながら生きていた時代(少しは浮かれ現象に巻き込まれもしました)。

増補〈私〉探しゲーム』は、80年代を知っている人は時代をリアルタイムに評した文章として全編面白いでしょう。しかし、デフレマインド満ちる現在とは正反対ですから、若い人がこの本を読んでもピンとこないかもしれません。そんな方でも、文庫版のために書き下ろされた《序 「近代」の野辺送り》は必読だと考えます。ぜひ立ち読みしてください。

 この一〇年、時代の変化に、右往左往しながらもそのつど何とか対処していったのは、皮肉なことに「革新」側ではなく「保守」の方だった。彼らは時代の変化を鋭敏に感じとり、変わった世の中に合わせて自分たちの方が変化しなければサバイバルは覚束ないことをよく承知していた。変化に応じて次々と先手を打っていったのは「保守」の方であり、「○○を守れ」としか叫べなかった「革新」側は後手後手にまわってしまった。「保守」が革新的で、「革新」が保守にまわった奇妙な時代──それがこの一〇年ばかりであった。
 この夏(一九八六年)、衆参ダブル選挙で自民党は「圧勝」する。自民党を選ぶ選挙民が「オクレテイル」と見なすだけでは、「革新」側の硬直はすすむ一方だろう。彼らはオクレタ「革新」を見放して、ススンダ「保守」に時代の舵取りを委ねた「新・保守」民なのである。(11ページ)

1982年から1987年は中曽根康弘が総理大臣でした。中曽根政権は新自由主義的政策に舵を切り、国鉄を民営化することで全国の労働組合を弱体化させ、支持を失った社会党に大打撃を与えます。これまさに、保守であったはずの自民党が「改革」で支持を得るという不思議な現象でしたが、当時、ぼんやりしていた私はまったく気づかなかったのです。迂闊でした。

当時の若者は「自分探し」に興味がありますなどと言い、バックパッカーになって行方をくらましたりしたものです。「アイデンティティ」という単語もよく耳にしました。しかし、上野氏はこう喝破してのけます。

「近代」のアイデンティティというのは「変わる時代の中の変わらないわたし」というコンセプトだった。(略)「近代人」が一貫したアイデンティティという概念にしがみついている背景には、「わたし」の種々相がもう充分にバラバラなものになってしまった、という認識がある。それだからこそ、人々は一貫性を求めるのだ、というのがこれまで長い間、自我理論を支えてきた公準だった。(14ページ)

「アイデンティティ」が「近代人」のキイワードだとしたら、「脱近代人」のキイワードは何だろう?  〈私〉というものが、それを容れる社会ごと、これまでの概念ではとらえられないようなしかたで、急速に変容していっているように見える。だがアイデンティティを回復しようなんていうアナクロなかけ声はやめてほしい。むしろ時代の変動をクールな眼で見すえながら、時代にサバイバルする方策を考えよう。そろそろ「近代」的な思いこみから自由になってもいい頃じゃないだろうか。終わりつつある「近代」もろとも淘汰されないために。時代に内属しながら、時代の推移からアタマ一つ抜け出した見通しのいい知性で、時代の野辺送りをやってやりたい。それが本書の意図である。(17ページ)

近代の「変わる時代の中の変わらないわたし」はマーケティングする側が求めているもので、脱近代の人間はいくつもの自分を生きればいいといっています。「自分探し」なんてやめちまえってことです。

ああ、なんて切れ味鋭い解析でしょうか。

そのほか、パラパラめくるだけでも、社会の本質をスパッと切り取った文章が次から次に見つかります。キリがないので、このへんで本を書棚に戻しましょう。

( ↓ ものごとを見る羅針盤になってくれる良書です。受験しようがしまいが、高校・大学生は読んだほうがよろし。『増補〈私〉探しゲーム』も紹介されています)