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建国記念の日について考えるのココロだ

 日本近代の歴史は、国家が歴史の偽造を行ったことに始まる。

歴史学者・原田敬一(佛教大学名誉教授)は『創られた明治、創られる明治』冒頭でこう書きます。明治政府は、天皇を中心とした物語を必要としたのです。「建国記念の日」の前身「紀元節」を決定することは、「歴史の偽造」のひとつでした。

「日本書紀」によると、神武天皇の即位日は──

 辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮

だそうです。辛酉年春正月 庚辰朔(かのえとりのとし、はるしょうがつ、こうしん、ついたち)を、すでに施行されている太陽暦に置き換えると2月11日になると換算したのは太政官の少内史・塚本明毅。推古、持統の時代に中国の暦を使い始めたことは「日本書紀」に記述があるものの、それ以前の暦法は不明だから特定できるはずがありません。塚本自身、「簡法相立僅数十日ニテ出来仕」といい、根拠がないと後に認めているそうです。紀元節は、天皇を中心にしたイデオロギーをつくるために「偽造」された伝統でした。

戦後、GHQにより紀元節は廃止されます。

1950年代に神社本庁や自民党議員が紀元節復活運動を始めました。1957年2月には建国記念日法案が衆議院に提出されます。虚構の歴史をもとにした「紀元二千六百年祭」などで全体主義国家に奉仕した(させられた)経験を持つ人々は当然ながら反対します。簡単に復活はなりません。

最終的に、1966年、「建国記念日」を「建国記念の日」と改めること、何月何日にするかは審議会委員に任すこと、と妥協した案が衆参両院を通過しました。日にちの候補は複数ありましたが、2月11日にしてくれと、佐藤栄作首相はじめ閣僚たちが全委員を個別に説得したことが『佐藤栄作日記』に残されているらしい。かくして明治政府による「歴史の偽造」がひとつ甦ったのです。

──以前書きましたが、江戸期までの元号の意味合いを変えた「一世一元の制」も、薩長新政府による伝統のフィクションです。明治以後の元号を使わざるを得ないわれわれ国民は「薩長暦」を生き、戦後も薩長政権(それが言い過ぎなら官軍政権)のもとで暮らしています。現在の元号の名称が公表された直後、安倍晋三元首相がテレビをハシゴして新元号を宣伝しました。言わずもがな、安倍氏の選挙区は山口=長州です。

建国記念の日を2月11日にしてほしいと説いてまわった佐藤栄作の出身地も山口県であり、安倍晋三の大叔父(晋三の母方の祖父・岸信介と佐藤栄作は実の兄弟)にあたります。これは偶然でしょうか。違うと思いますよ、私は。現在の日本は、さながら薩長はじめ官軍系の藩閥をトップに据えた封建国家なんです。