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横山百合子『江戸東京の明治維新』

江戸東京の明治維新 (岩波新書)

江戸東京の明治維新 (岩波新書)

 

日本の階層社会を検討するためには近世や近代について考える必要があります。日本人の文化や意識は千年以上連綿と続いてきたもの、江戸や明治になって生じたものもあり、それらをいちいち確認しなきゃなりません。我ながら、なにやっているんだろうという気もしますけど。

横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波新書)を読みました。

いまは「士農工商」という身分制度は教科書に載っていないと言います。

では江戸の身分制度とはなんだったのか? 「役(公的役割)」と「特権」にもとづき統治されていたのが身分集団だと今は考えられているそうです。たとえば、村の百姓は年貢などの役を負うことで、集団で水利や入会地を管理して農業に携わる権利を得られる、という具合です。

明治では、大名・公家、武士を「華士卒籍」、商人職人ほかを「市籍(農商籍)」、弾左衛門配下のえたと非人を「賤民籍」と単純化して身分を再編するつもりだったのですが、東京では武士がごっそりいなくなり、脱藩浮浪士やら有象無象が東京のあちこちに陣取り合戦を始めます。かつて城下町の武家屋敷には武士が住んでいましたが、土地と身分が混乱してしまったため、明治政府は身分的統治をあきらめざるをえなかったと書かれていました。つまり、意図的な身分撤廃ではなくて手がつけられなくなったんですね。

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「第四章 遊廓の明治維新」について──。

遊廓はどんな「役(公的役割)」と「特権」を持つ身分集団だったのでしょうか。

明暦の大火のあと浅草に移転した新吉原は、江戸城の畳替え・煤払いなどに金を出したり私娼を取り締まる「役」を負うことで、売買春を一手に引き受ける「特権」を得ていたそうです。

18世紀後半になるとお大尽遊びをする大名や豪商が少なくなり、太夫など高級遊女も姿を消します。天保改革で奢侈禁止などの政策が採られ、吉原は衰退に向かっていきました。待遇が苛酷になった遊女は、よく放火をします。全町焼失にいたった火事13件のうち半数以上は遊女の放火だそうです。

近世の遊女は、家父長的な社会のなかで本人の意思とは関係なく売られてきた女性たちですが、あくまで奉公の一種であったといいます。明治初年あたりの遊女を例に挙げながら、著者は《(略)遊廓を当然の存在とみなすがゆえに、近代以降のような娼婦への蔑視はな》かったと書いています。遊女自身も《自らを汚れた存在と感じたり、売春を他人に語れない恥ずべき経験として意識したりすることはなかった》と書いています。

ところが、明治になると、芸娼妓解放令(1872)が出て、体を売る・売らないは娼妓の自由意志になりました。誰もが職業のひとつだと認識していた遊女が、明治以降、個人の意思で身をひさぐ売女に変質し、他人から蔑視されることになります。

この章、性急で舌足らずなところがあり、私は心底納得しているわけではないんです。ヒマがあれば類書を読むつもりですが、でもしかし、もしもですよ、もしも著者の言うとおりなら、性風俗を卑下する風潮は薩長政府がつくったことになります。私は2021年も薩長政権の延長だと考えていますから、国はこんなことを言うかもしれません。

「性風俗業は本質的に不健全」 

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