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Netflix『クイーンズ・ギャンビット』

ドラマ『クイーンズ・ギャンビット The Queen's Gambit』を観ました。全7話。

以下、ブログのテーマとは関係ないけど、メモ代わりに。

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Netflix『クイーンズ・ギャンビット』全7話(2020年10月23日配信)
原作:ウォルター・テヴィス「The Queen’s Gambit」
監督:スコット・フランク
キャスト:アニャ・テイラー=ジョイビル、キャンプモーゼス・イングラム、マリエル・ヘラー、トーマス・ブロディ=サングスター、ハリー・メリング

母子家庭に育ったベス・ハーモンは交通事故で母親に先立たれます。

孤児院に入ったベスは用務員のおじさんにチェスを習い、腕を上げました。のちに彼女はある夫婦に引き取られます。ところが、養父が出ていって養母と二人暮らしになり、生活は困窮することに。ベスは各地のチェス大会に出て賞金を稼ぎ、養母はマネージャーとなります。チェスの世界で有名になるにつれファッショナブルになる一方、ベスはいろんな別離を経験し、精神安定剤や酒に溺れます。救いがあるのか、破滅か。最終話では、モスクワで行われる大会で世界王者と対決します──。

 

私は25年ほど前に、チェスの本を手当たり次第読み漁ったので、ドラマに出てくるチェス用語や名プレイヤー、盤面の状況がある程度わかります。しかし、チェスをまったく知らない人でも楽しめるのではないでしょうか。

ひとつ解説するならば、タイトルの「クイーンズ・ギャンビット」はオープニング(序盤)の定跡の一つです。クイーンの前のポーン(一番弱い駒)を最初に犠牲にします。これが母親の犠牲になったポーン=ベスを暗喩しているのだとすると、最後の対局でポーンが最前線のマスに進めるかどうかの攻防は、ポーン(=ベス)がクイーン(最強の駒=女)に成り、キング(王様=男)を追い詰められるかどうか、を表しているのかもしれません。

1983年に発表された原作はウォルター・テヴィスとありました。『ハスラー』『地球から落ちて来た男』『ハスラー2』の原作も同じ作家だとか。ビリヤード、SF、チェス……ふむふむ。

主人公のモデルは、1970年代、ソ連チェス界に一人で立ち向かった、奇行多きアメリカの天才ボビー・フィッシャーかな、と最初感じたんですが、そうではなさそうです。映画で観た『ハスラー』の主人公エディに似ています。酒で失敗したエディがミネソタ・ファッツとの再戦するストーリーはベスとソ連王者との戦いとそっくりでした。

映像が素晴らしい。1960年代のファッションはじめ風俗を再現し、社会問題全般を垣間見せています。主演のアニャ・テイラー=ジョイの大きすぎる眼が強烈でした。チェスの対局中、互いをマジマジと見ることは少ないと思うんですが、この映画ではよく見つめ合います。対局中の心理は眼で読めということか。なお、国際大会の決勝ともなれば複数回の番勝負となりますが、この映画はすべて一回勝負です。

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物語には、東/西、女/男の対立軸があります。

東西冷戦時代、米ソは核開発や宇宙開発やスポーツだけでなく、チェスでも代理戦争をしていました。ソ連では有望なプレーヤーを国家プロジェクトとして育成しました。トップ・プレイヤーはオリンピックのメダリスト同様、生活を保証されます。当時、チェスのタイトルはソ連が独占状態でした。

ベスが初めてソ連選手と対戦する日のこと。エレベーターに乗って彼女が会場に向かっていると、別のフロアから黒スーツの男が数人入ってきて、ベスについて「攻撃型らしい」「大酒飲みらしい」などと噂します。ロシア語を勉強していたベスにはその会話が理解できました。いや、すべてわかっていて、わざと彼女に言ったのかもしれません。話していた男たちはソ連のプレーヤーとKGBです。KGBまでがアメリカのチェスプレイヤーの情報を集めていました。

ソ連は共産主義国が世界一の頭脳を持つことをし用命するため、数十人のチームを組んで世界戦に挑みます。二日制の対局する場合、初日の夜にソ連チーム全員が集合し研究するというのは事実です。

ドラマでは、ニューヨークに集まったベスの友人たちが対局を検討し、東側陣営のホテルにいるベスに国際電話で助言するシーンがあります。本来ならソ連に盗聴されているでしょうけど。

作品に描かれるアメリカのメディアや政府は、ソ連王者を脅かす全米王者ベスに昂奮したりしません。他方、モスクワでのチェス人気は熱狂的だと描かれます。大会期間中、ベスを「出待ち」する市民のファンが日々増えていきました。

女/男の対立を超越することに関しては、男ばかりのチェス界に女が飛びこんでいくというストーリーからわかります。ただ、男女がライバルとして憎しみ合うのではなく、互いを尊敬しあう仲間になるところが新しい。

このドラマは、東/西、男/女の対立(白人/黒人の対立も少し描かれていました)を鮮やかに超越してみせます。イデオロギーも国家も人種も性別もフラットにする見事な収束でした。