狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

「パフォーマンスさえ発揮すればいい」?

東スポのネット記事「『IOCは解散』『2億円はどこへ』ラグビー元日本代表・平尾氏が〝東京五輪の闇〟を斬る」を読みました(→東スポ)。

東スポって、いい加減なことを書く新聞ではありませんでしたか。「プレスリーは生きていた」という大見出しの最後に、ちっちゃいクエスチョンマークつけるような。ところが、最近は大新聞がやらない真っ当な政府批判をしますから、天地がひっくり返った気分です。

記事では、ラグビー元日本代表の平尾剛氏がこんなことを言っています。

 ──アスリートの発信も少ない

 平尾 この期に及んでもスポーツ選手は自分の意見を発信していない。「なんでスポーツ選手は何も言わないのか」「これでいいと思っているのか」など、懐疑的なまなざしも増えている。社会全体が苦しんでいる状況なのに何も発言をしないというのは、スポーツ選手は「パフォーマンスしかできない」「社会に対して関心も持っていない」存在だということを、自ら認めることになる。このままだと、社会とスポーツが切り離されてしまう。

 ──アスリートが発信できない原因は

 平尾 端的にいって知識と教養の不足だと思う。ただこれは選手個人の問題だけでなく「パフォーマンスさえ発揮すればいい」という指導をしてきたスポーツ界全体の構造的な問題でもある。「結果を出せばそれでいい」という勝利至上主義と、それを果たすための「シンプル思考主義」の帰結だろう。こうしたスポーツ教育を根本から見直す必要がある。

最近、丸山眞男中心に読んでいる私。平尾氏の指摘は、丸山の「テクノロジカル・ニヒリズム」を想起します。このことは、こちら(→「ファシズムの今日的状況」 - 狩猟採集民のように走ろう!)に詳しく書きました。

テクノロジーが近代に発達して能率化・合理化が推し進められると、極端な分業化が生じ、あらゆる分野にエキスパートが育つ反面、全体を俯瞰する能力や習慣がなくなっていくと丸山は書いています。官僚も学問も会社組織もすべて縦割りになって、自分の専門分野だけに集中する代わり、横のつながりを欠くことで「政治は政治家に任せておけ」「スポーツ選手はスポーツだけやってろ」となるわけです。

「芸能人やお笑い芸人が政治に口をだすな」もよく耳にするセリフですが、そう発するのは権力者ではなく庶民だったりします。不思議なことに、権力者からおこぼれすらもらってない人々が「お上に逆らうな。てめえたちの仕事だけやっせろ」という場合が多々あるのです。庶民がそうやって権力批判を封じようとし、自らも損をこうむるんですから、世の中わかりません。