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狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

「ファシズムの今日的状況」

21世紀日本。国民は政治に無関心です。ナショナリズムを煽る権力者やそれに応える人々、排外的なムード、反対意見を聞くことなく数の力で悪法を押し通す政権、政治家に忖度する官僚……なんだかファシズム的な状況だなと感じていますが、まさに「ファシズムの今日的状況」という論考(講演録)が、そういう社会になる根本的な原因を解説していました。《  》内は引用です。

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《(略)近代生活の専門的分化と機械化は人間を精神的に》おかしくし、《それだけ政治社会問題における無関心ないし無批判性が増大します》。たとえば、特殊分野のエキスパートは、自分の技術を使うことにのみ専念し、《それを使う政治的社会的な主体が何かというようなことについては、全く無関心で、いわば仕事のために仕事をする。毎日仕事に忙殺されるということそれ自体に生きる張りを感じる》。これは《官庁とか大会社のような厖大な機構のなかで一つのデスクを受持っている事務のエキスパートにも屢々見られる精神傾向で、(略)いかなる悪しき社会的役割にも技術を役立て、いかなる反動的権力にも奉仕するということになり易い。これをテクノロジカル・ニヒリズムとでも呼ぶことができるでしょう》。

すると、《現代政治の技術的複雑化からして、政治のことは政治の専門家(エキスパート)でないと分らないから、そういう人に万事お任せするというパッシヴ(受動的)な考え方が国民の間に発生し易》くなリます。

《アリストテレスが、『政治学』の中で、「家の住み心地がいいのかどうかを最後的に決めるのは建築技師ではなくてその家に住む人だ」ということを言っていますが、まさにこれが民主主義の根本の建前です》。料理の味を判断するのがコックではなく食べているお客さんであるように、《デモクラシーもその通りで、政策を立案したり実施したりするのは政治家や官僚でも、その当否を最終的に決めるのは、政策の影響を蒙る一般国民でなければならぬというのが健全なデモクラシーの精神です。政治のことは政治の専門家に任せておけという主張はこの精神と逆行するものですが、とかく近代社会の分業と専門家に伴ってこういう考え方が起り易く、これがファシズムの精神的培養源になるわけです》。

さらに、《現代生活において国民大衆の政治的自発性の減退と思考の画一化をもたらす大きな動力があります。それはいうまでもなくマス・コミュニケーションの発達によるわれわれの知性の断片化・細分化であります》。一例を挙げれば、ニュースで、戦争の凄惨なシーンのあとにパリの流行ファッションの映像を流し、議会の問答を少し映したあと、フットボールの試合を報じるようなことをやっている。こういうのをやられると、《一つの事柄について持続的に思考する能力というようなものは段々減退して刹那々々に外部からの感覚的刺激に受動的に反応することだけに神経をつかってしまう。(略)知性のコマギレ化に並行して、思考なり選択なりの画一化が進行します》。

《こういうようにファシズムの強制的同質化を準備する素地は近代社会なり近代文明なりの諸条件や傾向のなかに内在しているものであって、それだけに根が深いといわなければなりません》。

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民主主義国家だってファシズム化はひそかに進む……今日の状況そのものだと私がドキッとしたこの論文、いったいいつ発表されたものでしょううか。

《カーソルで範囲指定を→》1953(昭和28)だそうです。丸山眞男「ファシズムの今日的状況」は、岩波文庫『超国家主義の論理と心理』に収録されています。