わたしが尋ねたいのは、文明の生活と自然の生活のうちで、そこで生きる者にとって耐えがたいと感じられる生活はどちらだろうかということなのだ。わたしたちの周りを見渡してみよう。生活の苦しさを嘆く人ばかりではないだろうか。自分の一存で決めることができるのであれば、みずから命を断とうとする人も少なくないのである。しかも神の神聖な法と人間の法を組み合わせても、この不始末を防ぐことはできないのだ。自由に生きている野生人が、自分の生活に不満を抱き、命を断とうと考えたことがあったかどうか、尋ねてみたいところである。もう少し謙虚になって、文明の生活と自然の生活のどちらが真の意味で〈惨め〉であるのか、判断してほしい。
──ルソー『人間不平等起源論』
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狩猟採集民ピダハン族と何年も暮らして彼らの言葉や文法を研究し、習得したダニエル・L・エヴェレット。ついに布教する日がやってきました。彼は、継母が自殺した体験が自分をキリスト教に導き、《人生がいい方向に向かったことを、いたって真面目に》話しました。いつものように《心打たれた聴衆から「ああ、神さまはありがたい!」と嘆息される》と期待したのですが──。
わたしが話し終えると、ピダハンたちは一斉に爆笑した。
(略)
「どうして笑うんだ?」わたしは尋ねた。
「自分を殺したのか? ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」みんなは答えた。
──ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン』