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安丸良夫『近代天皇像の形成』

幕末から明治、敗戦へといたる約75年間の近代天皇制を誰が発明したのか、どのように受け容れられていったのか、という疑問があり、年末をまたいで安丸良夫近代天皇像の形成(岩波現代文庫)を読みました。とても刺戟的でした。

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19世紀半ば、黒船来航で徳川幕府の威光に影がさし、動揺した庶民が一揆や「ええじゃないか」などの運動をはじめ、新興宗教が擡頭します。内憂外患の果てに、民衆の期待を背負った尊皇攘夷派の革命政権が誕生しますが、すんなり新体制に移行したわけではありません。近代天皇制は、儒教・仏教・キリスト教および西洋近代文明の圧力や民権派などの運動体に対抗しながら近代化を果たすための権威的な物語を秩序編成していく必要がありました。

国家神道の権威づけに関しては、他宗教を排除しない方針だったというのが興味深い。《明治の国家制度のプランナーといってよい井上毅》は宗教への「トレランス」(寛容性)を唱えた、といいます。「宗教之正邪」を問わず「宗教を牢絡して以て治安之具」にすれば、宗教間の争乱もなくなるというのです。明治政府は浄土真宗の僧・島地黙雷らの意見なども取り入れて「信教の自由」を認めるとともに神道非宗教説を打ち出します。神道を多の宗教とは異なる次元に引き上げたのです。教部省は、国民に国家神道を啓蒙すべく多くの教法家を全国に派遣したが、そこで力を発揮したのは説教が得意な僧侶だったとは不思議な話ではありませんか。

次第に、日本と日本人の優位性が近代天皇制でコスモロジカルに根拠づけられ、それが内面化することで、日本固有の観念の体系が構築されます。近代日本は、人びとも国も利益追求を機軸においた世俗的なものでしたが、天皇のコスモロジカルな意味づけは変わらず、十五年戦争においては神話的なものさえ励起して大きな影響力を発揮しました。戦後もまた、天皇の権威は違う形で続いている……。

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以下は、枝葉末節なことながら個別の事例で面白かったところです。

18世紀後半、江戸の儒学者・中井竹山が寛政改革のための提言『草茅危言』に次のようなことを提言をしたそうです。すなわち──朝廷改革を推進し、仏教および仏教にかかわる迷信的な要素を除去すること。簡略化された即位礼をもとに戻すこと。ときどき行幸をおこない平民にまで天皇尊崇の気風をもたせるよう努めること。天皇が院号を称する習慣をやめ、一世一元制とし、年号を諡号とすること云々。中井竹山はもちろん幕府存続を前提にしていて、朝廷改革の目的は庶民に蔓延するあやしい民間信仰を一掃することであったといいますが、まるで明治政府の改革そのものです。

尊皇攘夷論を唱える大橋訥菴という儒学者の非合理的な意見もすさまじい。『闢邪小言』という著作では西洋を完全否定。キリスト教を妖教と断じ、「精神活機」を欠く西洋の「大砲」は「神気充実」した日本人の「利刀」に勝てるはずがないと説きます。ペリー来航直後に書いた『嘉永上書』には、「なにごともさておき、一同覚悟を決めることが肝要であり、甲冑武器などは二の次だ」「必死の覚悟があれば計策は湧き出してくる」「無謀なようでも賊船を攻撃すれば固い決心が生まれ、一、二度の敗戦はかえって奮激をかきたて、かえって必死之覚悟が固まる」と書いているそうですよ。………完全にカルトですが、B29に竹槍だ、みたい。「東京オリンピックやるぞ」の人たちにも共通しているような気がするなあ。

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安丸良夫は博学でたいへん勉強になります。ほかにも読みたい本がたくさんありますが、そろそろ人類学関係の本に戻らないと……。

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)

近代天皇像の形成 (岩波現代文庫)