国会見てたら、加藤勝信厚労大臣の「ご飯論法」が炸裂し、イライラしてきたので走ることにしました。今日は何の日だっけ? 昭和天皇の誕生日? みどりの日?……なぬなぬ、昭和の日というんですか。
ゆるランの予定です。
天気がいいので土手の上の舗装路には人出が多い。人の少ない緑道を走り、数キロ走ったあとで土手を越えて河川敷の不整地を走りましたが、ここもいつもより人が多い。河川敷をあきらめ、川と並行している車道わきの歩道に移りました。土手に遮られて川が見えないからか、人が少ないんです。その後、人影まばらな住宅地をたどって多摩丘陵の坂道を走りました。
他人とすれちがうさい、なるべく距離を取り、例のバフ(あれ、どう考えても効果ないよね)で鼻と口を覆うんですけど、鋭い視線を浴びせられたり、歩いていた人が立ち止まってクルッと横を向いたり、とあまり気分がよろしくない。
…………うちで室内バイク漕いでたっていいんですけど、人間って元来うちの中にいる動物じゃないよなあ、などと考えつつ走っていました。
何百万年も続いた狩猟採集生活を続ける人たちを観察すると、草を葺いた簡素な小屋に暮らし、男性は10〜15キロ、女性は5〜10キロ、狩猟や採集のため移動したようです。厳寒期のイヌイットが吹雪で家に閉じ込められたことはあったでしょうけど、ふつう1日うちに籠もっているなんてことは例外的なことだろうと思われます。自粛生活を「巣ごもり」と呼ぶ人がいますが、鳥の巣にもドアはありませんよね。
人間が定住し始めたのはつい1万数千年前のこと。農耕が始まっても、1日うちにいることなんてなかったでしょう。ただし、財産ができたのでいつしかドアや錠が生まれました。人口爆発が起き、人と動物(家畜やネズミなど)が近接して暮らすようになり、人獣共通感染症が生まれました。今回の新型コロナウイルスもその一つです。
産業革命以降、人は「動かない」ことを進歩だと考えてきたようです。おじさんが子どものころは、テレビ番組ルを換えるのに、いちいちテレビに寄っていきガチャガチャとチャンネルを回していたんだよ。もはや家から一歩も出なくたってそれなりに暮らせますが、人間の身体は1万年前ととくに変わっていません。
狩猟採集時代は自分たちの集団以外の人と会うことなんて滅多になかったんです。人に気を遣いながら走る必要もありません。
途中、多摩市陸上競技場を通りました。ふだんは通りがかったとしても夜なんです。きれいにリニューアルされ、4月11日から利用開始のはずが、おそらく1度も開放されていないんでしょうね。私がブルーに張り直されたトラックを走るのはいつでしょう。
平均6:24/kmで25kmのジョグでした。