狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

おいおい

毎日ゼーハー言わない程度に走ってますが、時事ネタについて書かせてくださいませ。いちおう狩猟採集社会に関係あります。

リンクの記事は、新型コロナの件で、自粛警察がウヨウヨ湧いていることについて書かれています。「あそこの店は営業してるぞ〜」「他県ナンバーのクルマが駐車しているぞ〜」と騒いで、誰かに頼まれたわけでもないのに、おそらく正義感に駆られて、自粛しない人を懲らしめる人たちがいるらしい。

記事を書いた人は、自粛警察についてこう書きます。

数万年前、狩猟採集時代に遡って考えてみよう。

人類の身体能力はけっして高いものではない。まともに戦えば、サルにさえ勝てないだろう。そんなひ弱な人類が、なぜマンモスのような大型の哺乳類動物を倒せたのか? 仲間と協力して戦っていたからである。「足並みを揃えて一丸となれた」、だから生き延びることができたというわけだ。
過酷な環境で個人主義的な自由行動は許されない。

「どうしようと個人の自由だ」などと、歩調を乱す人が一人でもいれば、たちまちマンモスに返り討ちにされてしまう。全体主義に協力できない人を放置した部族は早々に滅んでしまったはずだ。私たちの祖先は「足並みを揃えない身勝手な人をあぶりだし、懲らしめることを是とした人類」である。

人類の身体構造は狩猟採集時代からほとんど変わっていない。もちろん、脳の構造も変わっていない。ということは感情や感覚をつかさどる神経のしくみも数万年前のまま。つまり、「私たちの心のしくみは祖先のものと変わらない」ということだ。

「身勝手な人をあぶり出し、懲らしめること」を好むのは、「人間本来の本能」といってよい。

な、なんだこれ? よく断言できるな。

「サルにさえ勝てない」ってどういうことでしょう。サルと木登りで勝負するということか、サルと食糧を争うということか……。サルと殺し合うということであれば、弓矢の発明以降のヒトはサルに負けていなかったはずです。サルを食べる狩猟採集民もいます。

マンモスがいた時代のことは誰にもわかりませんが、人類が食糧のほとんどをマンモスに依拠していたはずはありませんし、仮に20人で構成される狩猟グループで「歩調を乱す人が一人でもいれば、たちまちマンモスに返り討ちにされてしまう」なんて雑過ぎて面白い。

現代にわずかに残る狩猟採集社会を見ると平等分配で社会が成立しています。

マンモスを追っていた時代と現代狩猟採集民ではルールが異なるという意見もあり得ます。そうであるなら、人類学・考古学的に「自主警察」をしていた証拠を明示しなければなりません。さらに、自主警察が狩猟採集民以来の人間の本能ならば、世界中に自主警察がなければならないのです。

私は「自主警察」とか「同調圧力」を、阿部謹也の「世間論」で説明できると思うんです。神と契約を結んでいない日本人は、罪を犯して神に罰せられることがない代わりに相互監視しながら牽制している……という比較文化論にもとづく考察です。

日本には司法のほかに「世間」という、善悪の物差しがあるのですよ。山本七平の『「空気」の研究』よりも本質を衝いていると感じているんですけどね。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

  • 作者:阿部 謹也
  • 発売日: 1995/07/20
  • メディア: 新書