数十年ぶりに『社会契約論』を読み直しました。初読のときは『人間不平等起源論』を読んでいなかったので、理解しづらかった。ルソーはそもそも難解ではないうえに、古典新訳文庫の訳文はより平易です。
18世紀の哲学者ジャン=ジャック・ルソーは狩猟採集社会を「発見」した最初の人物かもしれません。16世紀に、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシは原始社会のレポートを読んだかのような『自発的隷従論』を書いています。人類学者ピエール・クラストルも、ちくま文庫の巻末に掲載されている論考で同様の指摘をしていますが、推測の域を出ないようです。ラ・ボエシの本をルソーが読んで影響を受けているかもしれませんが、そちらも現段階で証拠はないのだとか。
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大航海時代、世界各地の未開の社会を見つけ、航海誌に記録しました。彼ら自然人(野生人)は野蛮でも好戦的でもなく、平等分配をしながら幸せに暮らしていました。当ブログを読んでくださった方にはお馴染みの社会です。ルソーは原始的な生活こそ自然状態だと認識します。ところが、私有財産という概念が生じました。貧富の差が生まれ、奴隷制度まで出来てしまった。時計を巻き戻すことはできませんから、制度で調整するしかありません。
そこで、ルソーは国家の成員が平等で幸せに暮らせる社会を模索し、政治哲学の一冊『社会契約論』をものしたのです。
本書を読むうえでのポイントは「人民主権」と「一般意志」です。共同の利益を目的とするのが「一般意志」です。個別意志が一致した「全体意志」は私的な利益を目指すものであり、「一般意志」とは明確に切り離されています。
誤解を恐れずに「一般意志」を簡潔にいってしまえば、「みんな等しく幸せで自由な社会を目指そう」です。自然人(野生人)のように、自由に、平等に暮らそうよ、とルソーは主張しているのですよ。たぶんね。
では、貧富の差はどのくらいに留めておくべきか。
富の平等とは、いかなる市民も他の市民を買えるほどに富裕にならないこと、いかなる市民も身売りせざるをえないほどに貧しくならないことを意味するものと理解すべきである。(111p.)
誰かが支配者になったり物乞いにならない程度にしましょう、と書いているのです。
新自由主義者がおこなったアベノミクスでは、潤った金持ちからのおこぼれがしたたり落ちる「トリクルダウン」が起きると言われましたが、タックスヘイブンなどで富裕層や大企業は税金を回避し、代わりに貧困層も支払わなければならない消費税が上がる一方です。
日本国憲法第25条は生存権について次のように書いています。
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
憲法は政治家や官僚が守るべきもの。私には彼らが遵守しているようには思えません。
国家が解体する場合には、二つの道筋がある。
第一の場合は、統治者がもはや法律にしたがって国家を統治せず、主権を簒奪した場合である。(174p.)
不幸にも失敗した人、生まれながらにしてハンデを負った人に向かって「自己責任だ」と、心ない言葉を浴びせる政治家や支持者を見ると、「一般意志」が霧消し「全体意志」が幅を利かせている気がしてならないのです。
今日も衆議院予算委員会を聞きながら仕事していたんですけど、
(脱線しますが、安倍晋三首相、「募る」が「募集する」と同じ意味だと知らなかったのにはビックリ。椅子からずり落ちそうになりました)
すくなくとも今の与党政治家は「一般意志」などお構いなしです。IR汚職事件で政治家に賄賂を渡したのは日本人カジノ客から金を巻き上げようとする外資系企業です。桜を見る会では、首相みずからが後援会を税金で接待していました(見え透いた言い訳をし、公開すべき公文書を廃棄する官邸や官僚が憲法改正を口にする不思議)。私人・昭恵さんからの推薦もあったとのこと。与党は教育費の無償化や給付型奨学金を検討する素振りもなく、まだ受験改革で利権を貪ろうとしています。民意を無視する沖縄差別もひどいものです。LGBTや夫婦別姓を認めることにより幸福になれる人もいる(不幸になる人いる?)のに、「生産性がない」「夫婦別姓がいいなら結婚するな」という政治家がいる。非正規雇用が増えているのに、正社員との同一労働同一賃金なんて夢のまた夢。働かざるをえないお母さんのための育児施設も足りていない。首相の友だちだと土地を安く払い下げられたり、大学の認可ももらえる。アメリカから何か要求されれば、日本の利害など関係なく応じます。下手に手を出した北方領土は、結局ロシアに譲り渡しました。拉致被害者は一人でも帰ってきたか? 「金委員長と条件なしで向き合う」と安倍首相が初めて発言してから1年半近くが経ちます。
国民を分断し、弱者を切り捨て、「全体意志」に従う日本の政治。
『社会契約論』の弱点は経済面かもしれません。アダム・スミスやカール・マルクスら、後の経済学者を待てということでしょう。
それでも、やはり本質を衝いている1冊でした。『社会契約論』からいくつかの警句を引用しておしまいとします。
悪しき統治のもとでは、この平等は見掛けだけのもの、幻にすぎない。この平等は貧者を貧困の状態に放置し、金持ちを横領の状態に放置するにすぎない。実際に法律というものは、つねに持てる者に有利に、何も持たざる者に不利に働くものである。だから社会状態が人間にとって好ましいものであるのは、すべての人がある程度のものを所有し、誰も過剰な財産を所有していない場合に限られるのである。(57p.)
こうして意見の違いが少なくなると、意志の一般性も低くなる。(66p.)
(略)世襲による貴族政は、あらゆる政府の中でも最悪のものである。(141p.)
他人に命令するように育てられた人をみると、その人が正義感と理性を喪失してしまうべく、すべてのことが力を合わせているかにみえる。(152p.)