狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

J・S・ミル『自由論』

J・S・ミル『自由論』(1859)を再読する気になったのは、この本に照らして日本がどのくらい酷いかを確認するためでした。今回は光文社古典新訳文庫を読みました。

内容をひとことで要約すれば、「みんな自由だが、他人に迷惑かけたり危害を及ぼすような自由はない」です。他人に迷惑をかけると社会からそれなりの制裁を受けます。

ミルはイギリス人です。 当時、夢に見た民主的な制度を獲得したものの、支配者に代わって「多数派」が「少数派」を圧迫するという予想外の事態が勃発しました。いま、日本でもネットなどでマイノリティを叩く差別主義者がいますね。批判されると「言論の自由だ」などという。そんな自由はないのです。地獄へ堕ちろ。

ミルはこの本で、思想信条の自由、言論出版の自由、反対意見に耳を傾ける対話の重要性、異宗教・他文化への寛容さ、画一化の危うさ、課税すべきもの、個性の大切さ、教育の重要性……「自由」という観点から多岐にわたり語っています。ルソーをベタ褒めしていますが、残念なことに書名がない。『人間不平等起源論』(1755)です。

男女平等や子供の権利についても言及していて、 教育に関する本をわりと読む私は、たとえば次の箇所が気になります。

《(略)民衆教育の全体または一部を国家が管理することには、私は誰よりも強く反対したい。(略)教育の多様性も、言葉で表現できないくらい大事なものである。/国が教育全体を管理することは、国民のすべてをひとつの鋳型にはめようとする企てにほかならない。君主、僧侶階級、貴族、あるいは現代では多数派など、そのときどきの政府を支配する勢力にとって好ましい人間が、その鋳型によって量産されるのだ。この企てが成功し、効果を上げれば上げるほど、精神にたいする国家の専制支配が進む。そして、自然の流れにより、身体にたいする専制支配も進む。》

日本は、義務教育で愛国教育をしたり国立大学の利権化を進めているところ。内心の自由や大学の自治も危うい。ミルの主張の逆方向に進んでいます。鋳型にはまった人間は、長じて専制支配を支持するのです。ああ、まったく。

★   ★   ★

スペインのオルテガが書いた『大衆の反逆』(1930)と重なる部分がありました。以下、ミルの文章です。

《頭脳が優秀であること》には《大いに敬意が払われる。しかし、有り体に言うと、世界全体の一般的な傾向としては、むしろ凡庸さが人類にとって支配的な力になりつつある。》

《政治において、いまでは世論が世界を支配すると言っても誰も驚かない。力という名にふさわしい力は、大衆の力だけである》

《今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。(略)大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつあり、すべての人と同じでないもの、すべての人と同じ考え方をしない者は閉め出される危険にさらされているのである。》

これ、今の日本にそっくりです。