狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

辺見庸『永遠の不服従のために』

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要らぬ前置きをすると、私は狩猟採集民の話を読み、彼らの生活や心境を鏡にして現代社会や自分自身の常識を疑っているのです。みなさんが海外旅行をすることで、日本のおかしさに気づかされるようなものです。現代に残るわずかな狩猟採集民の生活を見ると、労働時間は短く、上下関係はなく、平等分配をします。定住する前は、おそらく人間はそういう社会を生きていたのです。

獲物がとれたら自分や自分の家族だけでなく所属する血縁的小集団で均等配分するのがあたりまえだった初期の狩猟採集社会からすると、格差が広がる今の日本社会は異様です。財産がないし、人口密度が低いので戦争が起きることもないのです。

私が政治や社会問題に対して意識的になったのは、恥ずかしながら東日本大震災以降のことです。四十代半ばまでは、半径10メートルくらいしか見ていなかった気がします。パッと見、あたりが幸せならば、それでよかったし、自分の生活を安定させるために汲々としていたのかもしれません。日本にも日本以外の国にもふしあわせな人がいて自分たちとつながっている、という当たり前のことが想像できなかったのです。

辺見庸『永遠の不服従のために』を読みました。2001年から翌年にかけて「サンデー毎日」に連載されたエッセイです。

世界を無茶苦茶にするブッシュ、アメリカの言いなりになり憲法を無視する小泉純一郎首相と安倍晋三官房副長官、まったく機能しないメディアについて、筆鋒鋭く批判していきます。

やっと最近、私も勘づきました。新自由主義(ネオリベラリズム)とは、権力を持つ金持ちがもっと稼げるように、自分たちでシステムを作っていく社会です。一方で、弱者への再配分(社会保障など)はどんどん削り、本来救済されなければならない人に向かって「自己責任だ」と言葉の礫を投げつけます。しかも昨年は、逆進性(金持ちにとって有利な税制)の高い消費税を上げました。

先日の受験改革の迷走をご覧なさい。利権を欲しがる文教族が特定企業とグルになり毎年50万人いる受験生を食い物にしようとしました。もちろん官僚の天下り先も用意されます。「何度でも試験を受けられる富裕層の子供に有利な受験方式ではないか」とシステムの不備を問われた萩生田光一文科大臣は「身の丈に合わせて勝負してもらえれば」と言ったのです。つまり、貧乏人は不利だが、自己責任でやりたまえ、ということです。

レーガンやサッチャー同様、中曽根康弘はネオリベに舵を切り、その流れは今に続いています。国鉄民営化は労組解体を目的とし、結果、労働運動そのものが弱体化したために社会党は支持基盤を失い自民党の一人勝ちにつながりました。組合からの圧力がないんだから労働分配率は当然低下します。結果、JRのサービスは国鉄時代よりもよくなったかもしれませんが、赤字路線がどんどん廃線に追い込まれました。中曽根はローカル線はなくならないと言っていたのに。

辺見氏は、そういった歪つな政治に気づき、ずっと前から我々に警鐘を鳴らしていたのです。ああ、それなのに、私はなんてボンヤリしていたことか。

辺見氏のこのシリーズは『いま、抗暴のときに』『抵抗論 国家からの自由へ』と続きます。「不服従」「抗暴」「抵抗」「自由」などは、狩猟社会民を鏡にして現代社会を見る私にとって共感できるキーワードです。現代社会にあっかんべーをして「逃亡」する手もあるでしょうが、自分だけ逃げおおせればいいとは考えません。

永遠の不服従のために (講談社文庫)

永遠の不服従のために (講談社文庫)

  • 作者:辺見 庸
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/05/01
  • メディア: 文庫