狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

設楽博己『縄文vs.弥生』感想

縄文と聞いてイメージするのは土器や竪穴式住居ですが、定住した縄文中期以降の文化であって、私が知りたいノマド(遊動)的狩猟採集民ではありません。尾本惠一『ヒトと文明』(ちくま新書)に掲載されていた社会区分でいえば、縄文中期以降の人々は「複雑な狩猟採集民」(コンプレックス・ハンター・ギャザラー)です。リーダーがいたり、ちょっとした争いが増えた段階でしょう。財産が出来ると、相続の意識が生まれ、父系や母系社会になったりします。農耕の一歩手前と言える自然の改変もあり、集落の周りにドングリが実る樹を植えたりしています。(参考→『ヒトと文明』……ランニングから遠く(?)離れて - 狩猟採集民のように走ろう!

そんな私、書店で設楽博己『縄文vs.弥生』という本を見つけました。縄文から弥生に移行する過程を丁寧に書いてありそうだし、縄文文化を複雑狩猟採集社会と表記しているのに興味を持ち、読んでみました。

とくに弥生期の遺跡に、東日本と西日本で違いがあることや、縄文文化との融合の濃淡が見られることは興味深かった。みんな、「縄文はコレ、弥生はアレ」と単純化して話しがちですから。

第6章「不平等と政治の起源」は、複雑狩猟採集民に関して詳述されています。考古学界では長らく縄文時代は平等であるとされていましたが、1990年に《渡辺仁が専門の人類学をもとにして提唱した「縄文式階層化社会論」》が物議を醸したそうです。富の蓄積などを契機に平等社会が階層社会へと移行するのは人類学的な常識だと思いますが、その移行期にある社会を「トランスエガリタリアン社会」と呼ぶとあります。縄文中期以降はこの段階でありますが、まだ寡頭社会(ヒエラルキー社会)と呼べるほどの大規模な階層構造ではなく、多頭社会(ヘテラルキー社会)であったのだろうと書かれていました。

縄文期は世界のなかでも珍しく長く続いた新石器時代だったそうです。

西アジアや中国などでは、完新世の温暖化によって定住生活に移行したのち、まもなく農耕生活に入ったため、旧石器時代(打製石器を用いた狩猟採集経済)と新石器時代(磨製石器を用いた農耕経済)の境が比較的明瞭であるのに対し、日本はなかなか農耕に移行しなかったといいます。著者はその理由を《自然の資源、四季の恵みが豊かであったため、農耕への移行の必然性がなかったのかもしれない》と書いていました。日本列島は定住が始まっても狩猟採集生活を続け、《特異な新石器文化を形成した。それが一万年以上にわたる持続可能社会を築いた縄文文化である》。

「日本人は農耕民族だ」「日本は瑞穂の国だ」「田圃は日本の原風景だ」という人がいますが、稲作を始めたのは比較的遅かったのです。

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──以下、気になったところをメモします。

◎縄文期には、男性同士のカップルがいた可能性があるそうです。私のジョギング圏内で発見された遺跡にも、その証拠となる遺跡があるというので、そのうち調べてみます。性的マイノリティを対象にする「クイア考古学」があると知りました。

◎偶像や土器などの絵を見ると、縄文期の信仰の対象は多産のイノシシであったことがわかるそうです。弥生期にはイノシシは家畜化され、シカや鳥が信仰されたとのこと。伸びては脱落するシカの角が穀物の象徴であり、鳥は穀霊の運搬をしたと信じられていたのがその理由。

◎太古の昔、自力で生活できなかった人を養った例が多く見られます。縄文期の遺跡には、筋萎縮症患者を亡くなるまで面倒を見た形跡があるらしい。専門の武器がなく、争いで死んだ人は弥生時代の10分の1だとありました。