狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』……自殺希少地域とは。

狩猟採集民ピダハン族と何年も暮らして彼らの言葉を研究した著者ダニエル・L・エヴェレットが、ついにキリスト教を布教するためピダハンの前で演説します。

彼は《神とともにある人生がいかに重要かをきっと理解してもらえる》だろうと予想し、話し始めます。継母が自殺した体験がダニエルを信仰へと導き、《人生がいい方向に向かったことを、いたって真面目に》話しました。いつものように《心打たれた聴衆から「ああ、神さまはありがたい!」と嘆息される》つもりだったのですが──。

 わたしが話し終えると、ピダハンたちは一斉に爆笑した。
   (略)
「どうして笑うんだ?」わたしは尋ねた。
「自分を殺したのか? ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」みんなは答えた。

温暖な地域の狩猟採集民が鬱になったという話を読みません。もしかすると、鬱や自殺は文明とともに生まれた近現代の病気や死因なのかも……?

こないだ、中規模の書店に行ってぼんやり棚を眺めていたら、森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』という本が目に留まりました。サブタイトル「精神科医、自殺希少地域を行く」が魅力的です。著者はフィンランドのオープンダイアローグという治療法を勉強した精神科のお医者さんで、北欧との比較もよく出てきますし、「対話」の重要性が説かれます。幸福度が高いという北欧には私も注目していますが、読みながら狩猟採集社会がところどころ連想されました。

日本はG7のなかで自殺死亡率ワーストです。10〜30代の死因の1位、40代で2位だそうですから、生きづらい国なんですね。私は金(損得)勘定が人間社会を狂わせるんじゃないかと思います。「少しでも得をしてやろう」とみんながギラギラしていてたくさん儲けたヤツが勝ちだとか、不運にも転落したひとを蔑んで「努力が足りないからだ」と罵声を浴びせる世の中は地獄です。いまの日本がだいたい地獄ですけど。

岡檀さんの研究によれば、そんな日本にも、自殺率が少ない地域があるらしい。著者・森川氏は、岡氏の研究に出てくる自殺希少地域を旅し、そこの人たちの暮らしぶりを観察しました。赴いたのは徳島・旧海部町、青森・風間浦村と旧平舘村、広島・下蒲刈町、東京・神津島です。下蒲刈はうちの実家の近くです。コロナが収まったら一度行ってみたい。

著者はベジタリアンで、宿泊を断られることもあるそうですけど、自殺希少地域の宿泊施設は「なんとかしてあげよう」と泊めてくれるんだとか。

風間浦村では村共通の理念(目指すべき方向)がハッキリしていると言います。旧海部町では「人生は何かあるものだ」という考えが共有されているらしい。下蒲刈町の老人は「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」と言いました。神津島では家庭内だけではなく地域全体で子育てしているらしい(狩猟採集社会のアロペアレンティング=代理養育を思い出します)。自分たちは男女平等だと感じる人が多いのもそれら地域に共通する特徴だと書かれていました。これも北欧や狩猟採集社会のようです。

地域社会を持続させ自殺者を極力うまないためには何をすべきか。本書や狩猟採集社会関連の本を読んで感じるのは、みんなが利他的であること、収穫物を人と分配すること、なんでもかんでも金勘定をしないこと、他人に自分の考えを押しつけず同調圧力をかけない寛容な社会であること、平等主義であること、異なる意見の人たちと話し合えること、ぼんやりとでいいからみんな顔見知りでいること──。

ひとまず、そんなところです。国家がこれをやる場合、北欧の福祉国家のように大きな政府が困窮者に手を差し伸べて格差をなくすことですが、新自由主義まっしぐらの日本の場合は、小さな政府が利権を誘導して困窮者を増やしているところです。

ひとくちに自殺希少地域と言っても環境などの違いにより人間関係は異なりますが、自殺希少地域の人たちは対話をするのが共通していると著者は書いています。非営利団体NPOの重要性が高まるという指摘もありました。そう、「非営利」というところがたいせつです。