狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

山極寿一・尾本惠市『日本の人類学』

f:id:mugibatake40ro:20210111204120j:plain

面白かった。走るのをサボって読んでしまいました。

狩猟採集民から現代社会を考察する東大出身の人類学者・尾本惠市と、ゴリラ社会を通じて人間社会を研究する京大前学長・山極寿一の対談です。

日本の人類学の誕生、東大と京大の違い、人類学のこれから、ゴリラと人間、狩猟採集民と現代人、といったテーマの話がいろいろと出てきました(2017年に刊行されたので、日本学術会議の任命拒否問題は出てきません)。

やはり人類学、それも狩猟採集社会を学ぶのはとても楽しい。本書にあるとおり、人類学は高校までのどこかで教えるべきです。さすれば、「現代社会の当たり前が実はおかしいのではないか」と疑う視座を得られます。今の社会システムに疑問を抱かれると困る政治家が教育を牛耳っているから、そんなの、夢のまた夢かもしれませんが。

★   ★   ★

話題が多岐にわたり、本題とは離れた話が面白い。短くまとめるのに困ります。気になった話題からひとつだけ選んで書きましょう。

尾本 英語圏、特にアメリカの学者は「農耕民と狩猟採集民という二項対立はおかしい。そこには必ずスペクトルみたいに中間のものがいくらでもある」と言います。もちろん、中間的なものはあるでしょう。作業仮説としてまず二項対立を持ってきて議論を重ね、「やはり二項対立はおかしい」という結論に達するならいいのです。ところが今はそうではなく、最初から「二項対立はおかしい」と言う。特にアメリカはそういう風潮がありますね。(122p) 

尾本 アメリカという国の歴史と文化を見た時、この国が現代文明の中心にあるのは、人類にとって不幸なことかもしれない。アメリカの原罪は、先住アメリカ人を虐殺して広大な土地を奪ったことと、アフリカ人の奴隷の労働力で建国したことでしょう。このような人権無視の歴史がアメリカを造った。
山極 ええ、特に人類学にとってはよいことではありません。(略)(213-214p) 

山極 (略)たとえば、「ゴリラは暴力的である」と決めつけたのも西洋人で、アフリカ人は誰もそう思っていなかった。アフリカの土人は凶悪であり、こんな粗暴な人間を放置しておいてはいけない。彼らを文明の光に当て、教育しなければならない。彼らはそう主張してアフリカを植民地支配したわけですが、これは間違いだった。そのことに気づいた文化人類学者は狩猟採集民の研究に取り組み、狩猟採集民というのは暴力的ではなく平和で、素晴らしい文化を持っているということを明らかにしましたが、一般の人たち、とりわけ政治家はそれを認めていない。(略)彼らはいまだに、西洋文明が世界の頂点にいると信じ込んでいる。(274-275p)

引用した三つの文章は、地続きです。

アメリカは、キリスト教と先住民虐殺という、宗教と歴史のふたつの理由から狩猟採集民を現代人と対置しづらいようです。インディアンは(狩猟採集社会ではなく首長制社会でしたが)凶暴な殺人集団だと思わせておいたほうが、虐殺の歴史を正当化するために都合がよかった。

ヨーロッパもまた、人間の下に位置する霊長類は粗暴であり、未開社会の人間は自分たちより遅れた社会であると語ることで、世界を征服する自分たちを世界の覇者とみなしたのでしょう。

では、日本はどうか。帝国主義時代の日本はアイヌや沖縄に何をし、東アジアで何をしてきたか。学校の歴史はそれをどう教えているか。理屈をつけて正当化してはいまいか。

日本の人類学 (ちくま新書)

日本の人類学 (ちくま新書)