狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

歌詞をきちんと聴く派

単なる雑談です。

以前、ラジオ番組「赤江珠緒たまむすび」で、「歌を聞くとき、歌詞をきちんと聴いているか、それとも聞き流しているか」という話題がありました。私は歌詞をきちんと聴く派なんです。洋楽でも、気になる曲は歌詞を確認します。……が、しかし、番組で集計をとったところ、歌詞をきちんと聴く派は4人に1人なのでした。(→TBSラジオ

ラジオでは、歌詞を聴かない派のカンニング竹山が松任谷由実『ルージュの伝言』をスタジオできちんと聴き、「こんな歌詞だったのか」と驚いていました。夫の浮気を知った妻が口紅でバスルームに脅し文句を書き残し、義母に言いつけにいく歌だということを、もちろん私は知っていました。なぜ『魔女の宅急便』で使われたのかは、わかりません。

ユーミンの曲では、荒井由実『卒業写真』に出てくる「卒業写真のあの人」が同級生の男だという勘違いも多い。……実は、私もかつては「あの人」を同級生男子だろうと思いつつ、モヤモヤしていたんです。「変わっていく私を(略)遠くで叱って」と言うけど「街で見かけたとき何もいえなかった」くらいの仲の人が「叱って」くれるもんだろうか、とか、「あの頃の生き方をあなたは忘れないで」だなんてずいぶん完成された高校生男子がいたもんだね、とか……。のちに「あの人」は女性教師を指すのだと知り、得心しました。

同じようなのが、さだまさしの『案山子』で、あれは男親が息子に語りかけている曲だとラジオで紹介されるのを何度も耳にしました。でも、そうすると、「手紙が無理なら電話でもいい/“金頼む”のひとことでもいい/お前の笑顔を待ちわびる/お袋に聞かせてやってくれ」って変です。お父さんが息子に向かって妻のことを「お袋」って言いますか。「かあさんに聞かせてやってくれ」ならわかるけど……。のちに、兄が弟に語りかけている歌だと知り、納得した次第。

松任谷由実に戻ると、冬が来るたび、『恋人がサンタクロース』はまだ放送禁止にならないのか? と感じるのです。クリスマスには男が貢ぎにやってくるのだと女たちが代々語り継ぐのもどうかと感じますが、そもそもテレビラジオは「サンタはいない」と言わないようにしているのに、あの曲だけは堂々と流すのです。「違うよそれは絵本だけのお〜はなし〜」

ときどき聴いて、つい笑ってしまうのは、西城秀樹の『ブルースカイブルー』です。なんだかスケールの大きな曲で、秀樹は「青空よ心を伝えてよ/悲しみがこんなにも大きい」と歌いあげます。人類愛でも歌っているのかと感じますが、ちゃんと聴けば、「人妻に恋をしたら引き離された。悲しい」という内容とわかるんです。青年は大いに絶望しているのでしょうが、「人生これから。いい彼女見つけなよ」と一杯おごってやりたい。

……と、こんなことをつらつら考えているのは、久しぶりに泉谷しげる『春夏秋冬』を聴いたからです。あの曲、第一印象は「哲学的な歌詞だな」でしたが、よく聴くと「いろいろありましたが、結婚しました。近くに来たら寄ってください」という主旨だとわかりました。ただ、検索のしかたが悪いのか、あまりそう解釈している人がいないんですよね。

歌詞をきちんと聴く派の私を混乱に陥れるのは、井上陽水です。たとえば『少年時代』を聴くと、「風あざみ」ってところで気持悪くなります。なんだよ、風あざみって。アザミの一種? それとも、あざむという動詞があるのか??

ロードバイク初心者

ロードバイク購入

ロードバイクを購入しました。

前にも少し書きましたが、個人経営のショップに、TREK Domane SL5 の完成車が展示されていたんです。型落ちモデルなので少し割引かれていたうえ、現金支払いならもう少し安くすると言われたので、買おうかどうか、しばらく悩みました。

Domane は、グラベルロードに近いエンデュランスモデルという位置付けで、快適性を重視する半面、少々重いらしい(ペダルなど装備を入れて10.0kgを越えているはず)。ヒルクライムには不利かもしれませんが、タイムトライアルをしたりレースに出るつもりはありません。ロードバイクが趣味の人は「金で軽さを買う」と言います。私もいずれホイール交換などをするかもしれませんが、現在ジョギング不足で体重オーバー気味につき、減量で簡単に軽量化を実現できます。色(Rage Red)がカープのヘルメットっぽいのは好印象でした。

パンデミックで流通等が滞り、ロードバイクはどこも品薄状態です。需要が増えたのに供給が追いていないらしい。気に入ったモデルがあったとしても私の身体に合うサイズがなかったりします。

価格も高騰し、TREKは2年連続で値上げしました。Domane SL5 完成車の現行モデルは、私が購入した前モデルより定価で約5万円高いんです。品薄はしばらく続きそうですし、戦争や円安が長引いた場合、安くなる見込みはないかも……? 状況を考慮するうち最後のチャンスかもなあ、という気がしてきたのでした。

妻が「自転車を家に持ちこむなんてとんでもない」というので、ひとまずトランクルームを借りました。うちから歩いて20分くらいかかるのが難ですが、年度末に契約したせいか割り引いてくれ、予定より大きめのスペースを予定内の値段で借りられました。勿体ないので、いずれ解約して自宅に持ちこむつもりですけど。

納品の日、冷や汗をかくも……

納品の日の話です。お世話になった店主に基本的なレクチャーを受けたあと、川沿いを10km程度走って、シャーッと帰る……はずだったのです。

でも、あれれ? なんか、気を張ってないと、ふらついて危ない。途中、ちょっと遠回りしまして、東京オリンピックの自転車競技のコースにもなった2.5kmほどの上り坂にチャレンジしました。車道は怖いので誰も歩いていない歩道を走りましたが、ギアの使い方が下手なこともありうまく登れません。立ち漕ぎしてグイグイ上ってやろうとしたら、あれれっ、立ち漕ぎもままならぬ。平地に戻ってからは、人や車が少ない住宅街を縫って安全運転しました。

15kmくらいしか走らなかったのに、心身ともにグッタリ。「この先、乗りこなせるのかなあ」と不安になりました。ちなみに、片面がフラットになっているSPDペダルを着けていて、この日はフラットペダルのみを使いました。

4月30日、2度目のライド。恐る恐るまたがりましたが、不思議なことに前回みたいにふらつきません。クルマの多い車道も走れるし、立ち漕ぎも難なくできます。しばらく進み、昭和記念公園のサイクリングロードに乗り入れてから、いろんなギアを試したり、SPD着脱の練習をしました。自室に置いているスピンバイクにはSPD-SLタイプのビンディングペダルをつけています。それに比べてSPDは比較的簡単に外れます。

サイクリングロードはいつももっと空いているんですが、世はただいまゴールデンウイーク。大勢の親子連れがレンタルサイクルでゆっくり走っています。小さな子供が蛇行して危ない。子供も私も初心者同士。ぐいぐい抜くようなことをせず、のんびり新緑を楽しみました。結局、35kmほど走って終了。それなりに気疲れはありましたが、前回ほどではありません。次は50kmに挑戦です。

それにしても、初ライドのとき、どうしてあんなに不安定だったのか……。トランクルーム内にバイクスタンドを組み立てたり、車体にボトルケージをつけたりする目的で、ザックにたくさん工具を背負っていたことしか思い当たりません。

少しはロードバイクに馴れたところで──わが愛車の名前を考えましょう。

河瀬直美、是枝裕和、クリティカル・シンキング

河瀬直美監督について書くのは2度目です(前回は、「NHKドキュメントのデマ」)。

「東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督 撮影中の暴行でカメラマンが降板」という記事(→文春オンライン)が出ました。そちらの真相はわかりませんが、現在の自民や維新やその周辺の人──河瀬氏は東京オリンピックの記録映画を撮り、大阪の万博でもプロデューサーの1人に就任──って信用できない人が多いんですよね。あくまでも個人の感想です。

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先日、河瀬氏は東京大学入学式での祝辞(→全文)が公開されていたので、ポエム調はガマンして読みました。

興味を持ったきっかけは、《「ロシア」という国を悪者にすることは簡単》という箇所がSNSで炎上していたからですが、私は思考トレーニングというか本質に迫る思考過程として、「ロシア=悪」を疑うことは必要だと考えます。自明だ、常識だ、あたりまえだ、と見える事象を批判的・内省的に考えてみることを「クリティカル・シンキング」と言います。いろんな視点から検討した結果、やはり「ロシアは悪だった」に辿り着いたとしても、結論に至る思考のプロセスは無駄ではありません。

社会学者・吉見俊哉は、文系の学問は日々クリティカル・シンキングをしていると書いています。日本語訳として「批判的思考」ではなく「内省的思考」が良いとも吉見氏は書いていたと記憶します。今まで通りの価値判断に従うのではなく、権力や絶対的な価値観に疑問を呈し、ときにカウンターを食らわせて相対化するということです。誰も答えを提示していない問題を解くのですから、その作業は大変です。

ではひとつ、河瀬氏に質問してみたいんですが、「東京オリンピック開催は正しい」ことを疑い、考え抜いたことがあったでしょうか。テレビのインタビューで、「オリンピックを招致したのは私たち」「みんなは喜んだはずだ」と単眼的な発言をした河瀬氏は、招致に反対し、開催を喜ばなかった人が存在した(少なくとも私自身は招致の段階から反対していた)ことを想像してみたでしょうか。私には、彼女がそういう批判的思考をしたとは到底思えないのです。

現在、アカデミズムは政府によりさまざまな圧力をかけられています。大学の自治が危うくなり、専門学校化を推し進められ、文系学問や科学の基礎研究を軽視され、補助金を削られつつ企業化を求められているのです。本来、アカデミズムはコストパフォーマンスとは程遠いはずなのに……。教育が利権の温床になっているのも気になります。

危うい状況にあって、東京大学が自公維に近い河瀬氏を招いたのも不思議なことです。最近、東大はテレビタレント養成所もやっているし、天地がひっくり返ったみたいです(難読漢字の読み方や世界遺産の名前を答えられる東大生ってスゲーッ? ほんとうに優秀な学生は答えが用意されてない問題を考えるのですよ)。

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現在、早稲田大学で教えているという是枝裕和監督が同大学入学式で読んだ祝辞も話題になりました。(→全文PDF

現役生のとき是枝氏はあまり大学に行かず名画座に通っていた、と新入生にいうから面白い。

そして、ここ。是枝作品の本質にも迫る言葉です。

教員として早稲田の学生と話していて一番感じるのは、世の中にあまり不満がないということです。先生は何故いつもそんなに怒ってるのですか?と何度か聞かれたことがあります。あえて挑発的に言いますが、あなたに不満や怒りがもし無いのだとしたら…それはあなたたちがとても恵まれているからです。いかに恵まれているか、を自覚して下さい。そして、恵まれていない人があなたの周囲に存在していることに是非気付いてください。そして、自らが、誰かの、世界の不幸や不平等に加担していないか?
そのことを自らに問うて下さい。そうしたら、見えないものがあなたの周りに見えてくるかも知れない。あなたのようには恵まれない人たちの存在が見えた時に、それでも不満も怒りも感じずに生きられるかどうか。恵まれている。それは確かにあなたが勝ち取った権利かもしれない。しかし、 それは、私たち大人が出した問いに、上手に答えられたに過ぎないと、明日からは考えて、問いを出した私たちを否定しなさい。私たちの脅威になりなさい。

決して、今の社会に順応するだけの、器用さを手に入れるだけのために人と会ったり本を読んだり、この大学に通わないでほしい。あなた方のエネルギーだけが、この世界を変えることが出来るのだから。

私たち大人の敵になることが、世界を半歩先へ更新していく原動力になるはずです。良い敵になって下さい。

学生にとっては、大学や、是枝氏ふくむ大人も権威です。たまたま自分は恵まれていても、大人たちが作った仕組みや既成概念により困窮している人がいないか辺りを見廻し、つねにさまざまな価値観を疑い、間違っていると感じたらどんどん゜新たな価値を創出する。その結果、社会は改善されるはずですから、権威が押しつけた既成概念にカウンターを浴びせる若き「大人の敵」を「良い敵」と表現しているのでしょう。

是枝氏もクリティカル・シンキングについて語っているのです。自分自身がものごとを批判的・懐疑的に見ていることは、「先生は何故いつもそんなに怒ってるのですか?」と学生に言われていることで分かります。撮影する映画も、社会問題がテーマになっています。

「自分も日々クリティカル・シンキングを実践しているよ」と言っているかどうか、これが是枝氏と河瀬氏の決定的な違いです。

自分に甘いか厳しいか

自分に甘いか厳しいか、と問われれば、私は後者でしょう。子供のころはすべて先送りでのほほんと暮らしていましたのですが、19歳でだいぶん変わりました。

中学高校と勉強しなかった私は、恥ずかしながら二浪もしたんです。さすがに2年目ともなると崖っぷち。正解が決まった問題を解くなんて学問とは呼べないと思いつつも、割り切って受験テクニックを磨きました。夏休み前まではバイトをしましたが、そのあいだも勉強時間を確保しました。

同じ間違えを繰り返さないのがポイントだと自分に言い聞かせ、問題集の100問で95問が合っていたとしたら、間違えた5問を徹底的にやりなおしました。1時間寝坊したら、時計を1時間戻して8時間以上は勉強します(大人になって、答えのない問題を長時間解く仕事のほうが大変だと気づきました)。目標大学の過去問を解いたとき点は──自己採点が80点だったら64点というふうに──8掛けにして「まだまだ合格ラインにはほど遠い」と自分に笞打つわけです。

当時のクセがどうやら今も抜けてないようなのです。マラソンを走るたび自己ベストが出ていたころ、ラン仲間が褒めてくれても「まだまだ課題がある」と気を引き締めてばかりで、大喜びしたことがありません。いま考えれば、もったいなかったゼ。

思い出したエピソードがいくつかあります。1つだけ書きます。

就職活動していた大学4年生の夏、ある大手会社の筆記試験を受けました。簡単な常識テストだろうとタカをくくっていましたが、さにあらず。まるで大学入試みたいでした。記憶ではたしか国語と数学の2科目で、国語のほうは、古文や漢文が出たとしてもなんてことありませんが、とにかく数学が難しい。微分・積分や三角関数が出題されたのです。高校時代、数学の時間に本ばかり読んでいたことを後悔しました。解答欄を埋められたのは、最初の連立方程式3問くらいと、唯一得意だった確率の問題だけです。(他の問題が解けないぶん確率の問題に集中できたため、計算式で解いたあと、厖大な樹形図を書いて正答であることは確認しました)。配点にもよりますが、自己採点は20〜30点でしょう。

試験が終わり、会場にいた同級生総勢5名で飲みに行きました。当然、数学が難しかったと話題になりましたが、ほかの4人は半分くらいはできたと言います。Yなどは「8割はできたぞ」と笑みを浮かべました。われわれの専門は文学ですから、国語の出来は同じようなものでしょう。私は落ちたなと、うなだれました。その夜の酒はまずかった。

ところが、数日後、5人のうち筆記試験の合格通知が届いたのは私だけでした。Yは、「お前、数学が2、3割しかできなかったというのは嘘だろ、90点は取ってるはずだ」と私に言いました。自分が8割できたと言った手前、恰好がつかなかったんでしょう。空白の解答欄にマルはもらえません。

自分分析ついでにもう少し。

最近気づいたんですが、私はいわゆる承認欲求が稀薄だと感じます。褒められるのがイヤではありませんけど、他人の評価はあまり気にしません。SNSやブログは半分メモのつもりで使っていて、フォロワー、PV、「いいね」の数を気にすることもありません。

小さなころから、親は完全に放任主義で、私を褒めたり叱ったりしなかったのです。期待されたこともありません。たとえば「◎◎になりたい」と言うと、「なれるわけない。普通でいい」という反応です。だから私は他人の評価を気にしなくなったと考えているんですが、「褒められなかった子供は、その反動で、大人になってから他者承認欲求が高くなる」と説明する人もいます。私はそうは思わないなあ。

ひとと会話しているとき、たまさか「mugibatake40ro(仮)さん、すごいですね」とお世辞を言われたりすると、軽い下ネタを返します。

──「すごい」じゃなくて、「すごそう」と言って。

吉野家

《吉野家、役員の不適切発言謝罪 「生娘を薬漬けのように牛丼中毒に」》という記事(→毎日新聞)より。[ ]内は引用者による補足。

 牛丼チェーン大手の吉野家は18日、同社役員が不適切な発言をしたとして、「多大な迷惑と不快な思いをさせたことに対し、深くおわび申し上げます」とする謝罪文を発表した。この役員は企画本部長の常務取締役で、東京都内で16日に開かれた[早稲田大学の]社会人向け講座に講師として登壇した際に不適切発言をしたという。

 受講生とみられるネット交流サービス(SNS)への投稿によると、常務は若い女性向けのマーケティング戦略について「生娘をシャブ漬け戦略」と表現。「田舎から出てきたばかりの若い女の子を生娘なうちに牛丼中毒にする。男に高い飯をおごってもらうようになれば絶対に食べない」などと発言したという。

 吉野家は毎日新聞の取材に対し、こうした発言があったと認めた上で「発言は一度利用した客の継続利用を図る意図があった」と釈明。謝罪文では「用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません」とし、厳正に対処するという。(以下略)

このニュースに対し、《人権・ジェンダー問題の観点から》吉野家を批判しているようです。たしかにひどい。生娘云々のたとえ、おそらく日ごろから使っている、本人にとっての鉄板ジョークだったのではないでしょうか。森なんとか元首相のように、発言主は社会や女性に対する認識をアップデートできかった前近代的な口だけマッチョおじさんに違いありません。

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しかし、私はあえて、差別的表現以外の問題、すなわち発言の意図であったという《一度利用した客の継続利用を図る》について書きます。

とはいえ「地方だって大きな都市には吉野家はあるから、田舎から出てくる前に牛丼中毒にさせるべきだろう」とか、「そもそも吉野家は若い女性をターゲットにしているのか」とか、次々浮かぶ疑問については書きません。

吉野家が取材に対し「一度利用した客の継続利用を図る意図があった」と弁明したことにまつわることです。リピーターを増やすことは商売上とても重要なテーマでしょうが、そこに外食業界や食品加工業界が仕掛けてきた、えげつない罠が隠れているからです。

マイケル・モス『フードトラップ』には、食品加工業界が、徹底的なマーケティングと研究により、消費者を塩・砂糖・脂肪中毒にしてきた手法が書かれています。

たとえば、人間はさまざまな食べ物から栄養素を取りこみたいので、強い味を食べたときに脳が「飽きた」という信号を送るらしく、それを「感覚特異性満腹感」と呼ぶそうです。したがって、売れ続ける商品を作るには、《興奮を呼ぶ最初のひと口の強い風味》を持ちつつも感覚特異性満腹感の寸止めラインを探る必要があります。あるメーカーはコカ・コーラの味を分析し、寸止めギリギリのバランスが《他のどの製品よりも優れている》と結論づけたとか。

日々、消費者をリピーターにするため、企業は至福の味を模索しているのです。塩・砂糖・脂肪の微妙な配分、見た目、香り、食感、そしてコストや広告戦略……。いちばん大切なのは儲けることですから、メーカーは消費者の体型や健康のことなんて考えていません。「田舎から来た若い女の子に、健康に配慮した牛丼を赤字覚悟で安く提供します」という企業は、生き残れないでしょう。

外食業界のターゲットは、若いほどいい。その後何十年も常連客になってくれるからです。かつて日本マクドナルドの経営者・藤田田は「人間は12歳までに食べてきたものを食べ続ける」と言い、オモチャを撒き餌に子供を店舗へと誘いました。吉野家のコマーシャルも、お土産の牛丼に喜んだ男の子が「明日はホームランだ」と言っていたっけ。20世紀のハーメルンの笛吹き男みたい。

外食業界や食品加工業界……いや、資本主義そのものが、われわれにフードトラップを仕掛けているのです。

完全試合

例年であれば、今頃、こんな替え歌が頭に浮かぶのです。

  世の中にたえて野球のなかりせば春の心はのどけからまし

ところが、今シーズンは広島カープが好スタートを切りまして、野球の生中継をわりと見ています。昨日も見ていたんですが、佐々木朗希投手の連続奪三振の情報が伝わったので、ロッテvs.オリックスをメインに視聴することにしました。

160km/h超のフォーシームと140km/h超の速いフォークを中心のすさまじいピッチング。13者連続三振の日本新記録、19奪三振の日本タイ記録、そんでもって、プロ野球史上16人目のパーフェクトです。新人・松川虎生捕手のリードやキャッチングも冴え渡っていました。みんな言っていると思いますが、吉田正尚選手の3打席目、初球と2球目にカーブを投げたところなど、感心しました。7回先頭の後藤選手に対して3ボール0ストライクになったときは焦りましたが、それ以外は私はハラハラすることなく、「パーフェクトをやるんだろうな」と見ていました。

岩手・陸前高田市で東日本大震災に見舞われ、父と祖父母を亡くした佐々木朗希投手。その後、大船渡高校の國保監督は将来のことを考えて連投をさせず、批判する人も多くいたと言います。ロッテ入団1年目はあえて登板させず、身体作りをさせるなど、とても大切に育てられてきたようです。

快挙、おめでとうございます。今後も注目です。

そうだ、カープも勝ちました。連続安打で大量得点みたいな勝ち方が多かったんですけど、昨日は完封リレーおよびソロホームラン1本での勝利。いろんな勝ち方ができてます。

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ところで──。完全試合は28年ぶりだとか。

前回の完全試合の夜、会社員だった私は、同僚や会社に出入りする営業の男性某さん(巨人ファン)と飲みに行ったんです。遅れて入って来た某さんが、私を見るなり、「カープ、大変なことされちゃいましたね」と不敵な笑みを浮かべます。「えっ、どうしたんですか」「槇原に完全試合されちゃいました」「ええっ」──。腕時計を見ると、まだ20時半になっていなかったんじゃないかなあ。

正確には、あの魔の夜は1994年5月18日(水曜日)だそうです。槇原をミスター・パーフェクトと呼ぶテレビ局がありますが、そんなのを聞くたび、いまだにイライラします。カープの外木場義郎なんて完全試合1試合をふくむ3回のノーヒット・ノーランを達成しているけど、槇原みたいなニックネームはないぞ〜。

カープがやられた完全試合は癒えることのない心のキズ。オリックスファンのみなさん、心中お察しします。(でも、やられたのが佐々木朗希なら、ショックは少ないのかなあ)

中野区野方と共産党と資本主義

原武史『レッドアローとスターハウス』『滝山コミューン一九七四』などは昨年読みました。どちらもたいへん面白かったんですが、迂闊なことに感想を当ブログに書いてなかったようです。ほかのところに書いたのをほぼコピペします。

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かつて、西武線の郊外にできた団地には共産党のシンパが多く、逆に、新宿に近い木造アパートには学生運動をする新左翼が多かったそうです。

原氏の本によれば、共産党の上田耕一郎と弟・不破哲三(上田建二郎)は中野区野方で育ったそうです。1950年前後、中野区は共産党が強く、その中心が野方だったというわけです。ただ、耕一郎が東大細胞仲間だった堤清二に頼んで三男・上田俊郎を西武グループに入れたといいますから、事情は少し複雑です。共産主義と資本主義のイデオロギーが渦巻いていたことになります。

1980年代半ば、大学入学後から2年間、私は野方で一人暮らししました。中曽根政権でした。当時の私は政治にも西武グループにも関心がなかったのですが、「共産党と野方」で以下のできごとを想起した次第。

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世はバブル。

西武グループは、鉄道事業はもちろん、プリンスホテルやゴルフ場やスキー場をどんどん造り、西武百貨店・パルコ・西友でがんがん稼ぎ、西武ライオンズを所沢に引っ張ってきてウハウハでした。

私はアパート暮らしでした。隣の敷地に大家さんの庭つき一軒家があり、私は月末になるたび、その家に家賃2万なんぼを払いに行きました。ふくよかな美人のお嫁さんが出てくると受領印を捺されて玄関ですぐに失礼するんですが、大家のおじいさんが在宅だと和室の客間に通され、しばらく雑談します。小柄でニコニコした方でしたが、人見知りの私は苦痛でした。大家さんが何かの用事で、散らかり放題の私の部屋に入ってきたことがありました。楽しげに話しかけられましたが、早く帰ってくれないかなと思っていました。お茶でも出すべきだったかな。

私は近所の銭湯に通っていました。ある日、風呂から出ると、真っ赤にゆだった小柄な大家さんが脱衣所の隅っこに座っています。「内風呂が狭いから、ときどき銭湯に入りたくなるんだよ」と笑いました。もっと話したそうでしたが、私は例の内気病でそそくさと帰りました。

翌々日くらいのこと。大学から部屋に帰ると、なんだか外が騒がしい。窓から覗けば、大家さん宅の庭に喪服を着た人が列をなしています。次に家賃を払いにいったとき、大家のおじいさんの葬式だったと知りました。大家さんは西武の偉い人だったそうです。

近所に、小さくて渋い品揃えの書店がありました。木造の古い建物で、地味な色の本が並んでいるから友人は古本屋と間違えたくらいです。

その書店の文庫の棚に、当時滅多に見なくなった尾崎一雄『虫のいろいろ』(新潮文庫)を3冊も見つけました。高校生のころ尾崎ファンだった私は狂喜し、1冊レジに持っていき「この本、絶版になったと聞きましたが」とたずねると、50歳代に見える男性の店主は「そういう噂を聞いたんで三冊注文したんですよ」と言いました。「じ、じゃあ、全部買います」と昂奮して言うと、店主は笑ってました。私はすでに持っていた『虫のいろいろ』を一気に3冊も買い足したのでした。2冊はそのまま書店の棚に並べておいて、ほかの誰かに買ってもらうべきだったかもしれませんけど。

その書店では、ドストエフスキー『白痴』(新潮文庫)の上巻も買いました。「すごい本読むねえ」と感心されましたが、読むのにけっこう時間がかかったので恥ずかしく、中巻はべつの書店で求めました。

それから10年ほど経過。会社員をやっていた私は、懐かしい野方で先輩と飲んだことがあります。例の書店はすでになく、その隣にあった焼き鳥屋に入りました。カウンターに座り、焼き鳥を焼きながらグビグビ酒を飲む店主と町の変遷について雑談していたんです。

「隣の書店はなくなったんですね」と言うと、焼き鳥屋の親父は顔を真っ赤にして怒鳴り始めました。「あいつは共産党だ。さっきから聞いてりゃ、一見のくせにあそこはどうなったここはどうなったと生意気だ。お前も共産党だろ。出ていけ」

以上は野方駅周辺の話。

同じころ、友人と西武新宿線・上井草駅近くの寿司屋に入り、お昼の定食を食べたときに(寿司なんて食べたんだからバイト代でも入ったんでしょう)、寿司屋の大将が「どんな目的で上井草に来たのか」と質問したので「いわさきちひろ美術館に行ってきました」と言うと、いきなり「あいつ(ちひろ)は夫婦揃って共産党だ」と怒り始めたこともありました。

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日本共産党は、ロシアや中国の共産党を批判していますし、新左翼のこともニセ左翼暴力集団と呼んでいますが、[自称]保守は新左翼と日本共産党をごっちゃにして危険だといいます。そのレッテル貼りは成功しているようで、ときどき年輩の人が共産党という言葉に反応するようです。

西武線と共産党に関する思い出話でした。