狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

中野区野方と共産党と資本主義

原武史『レッドアローとスターハウス』『滝山コミューン一九七四』などは昨年読みました。どちらもたいへん面白かったんですが、迂闊なことに感想を当ブログに書いてなかったようです。ほかのところに書いたのをほぼコピペします。

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かつて、西武線の郊外にできた団地には共産党のシンパが多く、逆に、新宿に近い木造アパートには学生運動をする新左翼が多かったそうです。

原氏の本によれば、共産党の上田耕一郎と弟・不破哲三(上田建二郎)は中野区野方で育ったそうです。1950年前後、中野区は共産党が強く、その中心が野方だったというわけです。ただ、耕一郎が東大細胞仲間だった堤清二に頼んで三男・上田俊郎を西武グループに入れたといいますから、事情は少し複雑です。共産主義と資本主義のイデオロギーが渦巻いていたことになります。

1980年代半ば、大学入学後から2年間、私は野方で一人暮らししました。中曽根政権でした。当時の私は政治にも西武グループにも関心がなかったのですが、「共産党と野方」で以下のできごとを想起した次第。

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世はバブル。

西武グループは、鉄道事業はもちろん、プリンスホテルやゴルフ場やスキー場をどんどん造り、西武百貨店・パルコ・西友でがんがん稼ぎ、西武ライオンズを所沢に引っ張ってきてウハウハでした。

私はアパート暮らしでした。隣の敷地に大家さんの庭つき一軒家があり、私は月末になるたび、その家に家賃2万なんぼを払いに行きました。ふくよかな美人のお嫁さんが出てくると受領印を捺されて玄関ですぐに失礼するんですが、大家のおじいさんが在宅だと和室の客間に通され、しばらく雑談します。小柄でニコニコした方でしたが、人見知りの私は苦痛でした。大家さんが何かの用事で、散らかり放題の私の部屋に入ってきたことがありました。楽しげに話しかけられましたが、早く帰ってくれないかなと思っていました。お茶でも出すべきだったかな。

私は近所の銭湯に通っていました。ある日、風呂から出ると、真っ赤にゆだった小柄な大家さんが脱衣所の隅っこに座っています。「内風呂が狭いから、ときどき銭湯に入りたくなるんだよ」と笑いました。もっと話したそうでしたが、私は例の内気病でそそくさと帰りました。

翌々日くらいのこと。大学から部屋に帰ると、なんだか外が騒がしい。窓から覗けば、大家さん宅の庭に喪服を着た人が列をなしています。次に家賃を払いにいったとき、大家のおじいさんの葬式だったと知りました。大家さんは西武の偉い人だったそうです。

近所に、小さくて渋い品揃えの書店がありました。木造の古い建物で、地味な色の本が並んでいるから友人は古本屋と間違えたくらいです。

その書店の文庫の棚に、当時滅多に見なくなった尾崎一雄『虫のいろいろ』(新潮文庫)を3冊も見つけました。高校生のころ尾崎ファンだった私は狂喜し、1冊レジに持っていき「この本、絶版になったと聞きましたが」とたずねると、50歳代に見える男性の店主は「そういう噂を聞いたんで三冊注文したんですよ」と言いました。「じ、じゃあ、全部買います」と昂奮して言うと、店主は笑ってました。私はすでに持っていた『虫のいろいろ』を一気に3冊も買い足したのでした。2冊はそのまま書店の棚に並べておいて、ほかの誰かに買ってもらうべきだったかもしれませんけど。

その書店では、ドストエフスキー『白痴』(新潮文庫)の上巻も買いました。「すごい本読むねえ」と感心されましたが、読むのにけっこう時間がかかったので恥ずかしく、中巻はべつの書店で求めました。

それから10年ほど経過。会社員をやっていた私は、懐かしい野方で先輩と飲んだことがあります。例の書店はすでになく、その隣にあった焼き鳥屋に入りました。カウンターに座り、焼き鳥を焼きながらグビグビ酒を飲む店主と町の変遷について雑談していたんです。

「隣の書店はなくなったんですね」と言うと、焼き鳥屋の親父は顔を真っ赤にして怒鳴り始めました。「あいつは共産党だ。さっきから聞いてりゃ、一見のくせにあそこはどうなったここはどうなったと生意気だ。お前も共産党だろ。出ていけ」

以上は野方駅周辺の話。

同じころ、友人と西武新宿線・上井草駅近くの寿司屋に入り、お昼の定食を食べたときに(寿司なんて食べたんだからバイト代でも入ったんでしょう)、寿司屋の大将が「どんな目的で上井草に来たのか」と質問したので「いわさきちひろ美術館に行ってきました」と言うと、いきなり「あいつ(ちひろ)は夫婦揃って共産党だ」と怒り始めたこともありました。

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日本共産党は、ロシアや中国の共産党を批判していますし、新左翼のこともニセ左翼暴力集団と呼んでいますが、[自称]保守は新左翼と日本共産党をごっちゃにして危険だといいます。そのレッテル貼りは成功しているようで、ときどき年輩の人が共産党という言葉に反応するようです。

西武線と共産党に関する思い出話でした。