狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

河瀬直美、是枝裕和、クリティカル・シンキング

河瀬直美監督について書くのは2度目です(前回は、「NHKドキュメントのデマ」)。

「東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督 撮影中の暴行でカメラマンが降板」という記事(→文春オンライン)が出ました。そちらの真相はわかりませんが、現在の自民や維新やその周辺の人──河瀬氏は東京オリンピックの記録映画を撮り、大阪の万博でもプロデューサーの1人に就任──って信用できない人が多いんですよね。あくまでも個人の感想です。

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先日、河瀬氏は東京大学入学式での祝辞(→全文)が公開されていたので、ポエム調はガマンして読みました。

興味を持ったきっかけは、《「ロシア」という国を悪者にすることは簡単》という箇所がSNSで炎上していたからですが、私は思考トレーニングというか本質に迫る思考過程として、「ロシア=悪」を疑うことは必要だと考えます。自明だ、常識だ、あたりまえだ、と見える事象を批判的・内省的に考えてみることを「クリティカル・シンキング」と言います。いろんな視点から検討した結果、やはり「ロシアは悪だった」に辿り着いたとしても、結論に至る思考のプロセスは無駄ではありません。

社会学者・吉見俊哉は、文系の学問は日々クリティカル・シンキングをしていると書いています。日本語訳として「批判的思考」ではなく「内省的思考」が良いとも吉見氏は書いていたと記憶します。今まで通りの価値判断に従うのではなく、権力や絶対的な価値観に疑問を呈し、ときにカウンターを食らわせて相対化するということです。誰も答えを提示していない問題を解くのですから、その作業は大変です。

ではひとつ、河瀬氏に質問してみたいんですが、「東京オリンピック開催は正しい」ことを疑い、考え抜いたことがあったでしょうか。テレビのインタビューで、「オリンピックを招致したのは私たち」「みんなは喜んだはずだ」と単眼的な発言をした河瀬氏は、招致に反対し、開催を喜ばなかった人が存在した(少なくとも私自身は招致の段階から反対していた)ことを想像してみたでしょうか。私には、彼女がそういう批判的思考をしたとは到底思えないのです。

現在、アカデミズムは政府によりさまざまな圧力をかけられています。大学の自治が危うくなり、専門学校化を推し進められ、文系学問や科学の基礎研究を軽視され、補助金を削られつつ企業化を求められているのです。本来、アカデミズムはコストパフォーマンスとは程遠いはずなのに……。教育が利権の温床になっているのも気になります。

危うい状況にあって、東京大学が自公維に近い河瀬氏を招いたのも不思議なことです。最近、東大はテレビタレント養成所もやっているし、天地がひっくり返ったみたいです(難読漢字の読み方や世界遺産の名前を答えられる東大生ってスゲーッ? ほんとうに優秀な学生は答えが用意されてない問題を考えるのですよ)。

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現在、早稲田大学で教えているという是枝裕和監督が同大学入学式で読んだ祝辞も話題になりました。(→全文PDF

現役生のとき是枝氏はあまり大学に行かず名画座に通っていた、と新入生にいうから面白い。

そして、ここ。是枝作品の本質にも迫る言葉です。

教員として早稲田の学生と話していて一番感じるのは、世の中にあまり不満がないということです。先生は何故いつもそんなに怒ってるのですか?と何度か聞かれたことがあります。あえて挑発的に言いますが、あなたに不満や怒りがもし無いのだとしたら…それはあなたたちがとても恵まれているからです。いかに恵まれているか、を自覚して下さい。そして、恵まれていない人があなたの周囲に存在していることに是非気付いてください。そして、自らが、誰かの、世界の不幸や不平等に加担していないか?
そのことを自らに問うて下さい。そうしたら、見えないものがあなたの周りに見えてくるかも知れない。あなたのようには恵まれない人たちの存在が見えた時に、それでも不満も怒りも感じずに生きられるかどうか。恵まれている。それは確かにあなたが勝ち取った権利かもしれない。しかし、 それは、私たち大人が出した問いに、上手に答えられたに過ぎないと、明日からは考えて、問いを出した私たちを否定しなさい。私たちの脅威になりなさい。

決して、今の社会に順応するだけの、器用さを手に入れるだけのために人と会ったり本を読んだり、この大学に通わないでほしい。あなた方のエネルギーだけが、この世界を変えることが出来るのだから。

私たち大人の敵になることが、世界を半歩先へ更新していく原動力になるはずです。良い敵になって下さい。

学生にとっては、大学や、是枝氏ふくむ大人も権威です。たまたま自分は恵まれていても、大人たちが作った仕組みや既成概念により困窮している人がいないか辺りを見廻し、つねにさまざまな価値観を疑い、間違っていると感じたらどんどん゜新たな価値を創出する。その結果、社会は改善されるはずですから、権威が押しつけた既成概念にカウンターを浴びせる若き「大人の敵」を「良い敵」と表現しているのでしょう。

是枝氏もクリティカル・シンキングについて語っているのです。自分自身がものごとを批判的・懐疑的に見ていることは、「先生は何故いつもそんなに怒ってるのですか?」と学生に言われていることで分かります。撮影する映画も、社会問題がテーマになっています。

「自分も日々クリティカル・シンキングを実践しているよ」と言っているかどうか、これが是枝氏と河瀬氏の決定的な違いです。