狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

センバツ高校野球を見て

3月30日、高校野球を見ようとテレビを点けました。昼食の準備をしながら遠目に画面を見ると、サヨナラホームランで勝った近江高校がグラウンドから去るところ。あれ、どうしたんでしょうか、近江の背番号1が足をひきずっています。ネットの情報を綜合すると、5回に打席に立った山田陽翔投手が左足首に死球を受け、アイシングとテーピングで応急処置、11回170球を投げ抜いたとのこと。リンクの記事(→スポニチ2022/3/30)によれば──

多賀章仁監督は試合後、「もう本当に何回も山田には感動させられて…すごい男やなってのは今まで何回も見て来たんですけど、死球受けてから彼の気迫の投球にベンチで涙が止まらなかった。球数もいってましたし、このまま投げさせていていいのかなっていう、僕が決断せないかんという気持ちと、でも山田が本当に気迫の投球をしてくれてたんで…すごい男やと思います。もう感動しました、本当に」と涙を流しながら、エースの投球を称えた。

いやはや……。ほかの記事(→日テレニュース2022/3/30)を読むと、山田投手は《試合後、いすに座ってインタビューを受け》、《「痛みはあるので、あす(31日)の決勝に備えてしっかり治したいなと思います」と話し「投げさせてもらえるなら投げたい」と意欲を見せ》たとのこと。

高校野球ファンも山田投手の覇気に感動して涙を浮かべたかもしれませんが、私は、ネットメディアが彼の活躍を美談として報じていることに驚いています。狂っているぞ、高校野球。

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先日、書棚をあさったときに、有山輝夫『高校野球と日本人』(吉川弘文館)を見つけたので、試合後、ざっと読み直しました。高校野球の草創期から戦前の歴史をまとめた1冊です。

明治にベースボールが伝わり、旧制第一高等学校[東大の前身]のエリート学生が武士道精神の修業として試合をしました。楽しいスポーツ「ベースボール」は、日本で「野球」になった当初から堅苦しい武道に変質したわけです。丸坊主・軍隊式・精神論的な高校野球の素地ができていたことになります。(ちなみに、「野球」という訳語の生みの親は正岡子規と言われますが、一高の卒業生・中馬庚[ちゅうまん・かなえ]が正しいらしい)。

野球は全国の中学に伝わり、1915年、大阪朝日新聞が高校野球の前身を開催、のちに大阪毎日新聞が春の選抜大会を考案しました。いずれも、新聞社、鉄道会社、後年ラジオなどが高校野球人気を利用して稼ぐ《功利的娯楽的ホンネ》が隠された大会でしたが、タテマエは《犠牲的精神、敢闘精神、精神主義といった武士道野球》でありました。1920〜30年にかけて、若者の野球は精神主義・自己犠牲的集団主義をともなう軍国社会の一部となります。現在の高校野球はさすがに国威発揚に使われることはありませんが、本質的な部分は《戦後も引き継がれ》ました。

メディアによる《野球美談》は、すでに1915年の第1回大会から語られていたようです。戦後も、限界以上に頑張ったことを美談に仕立てますが、多投で将来を棒に振った投手は枚挙に暇がありません。監督が「明日も行けるか」と言えば、高校生は「行けます」と言うでしょう。本当は、潰れるまで頑張る投手を抑えるのが監督はじめ大人の役目であり、それを怠った場合、批判するのはメディアであるはずなのに。

感動資本主義なのですよ、甲子園は。選手の賢明なプレーで観客を喜ばせ、誰かが儲けているのです。主役であるはずの選手たちは無償なのに。(一部の選手は、自分のプレーをアピールして大学野球部にスカウトされたりプロで稼ぐことができますが)

観客や視聴者にも責任の一端はあるといえましょう。視聴率を上げ、素直に「感動をありがとう」とツイートすることで、あちこちにカネが落ちることに無自覚すぎます。強豪校は校名を宣伝して生徒を確保できるため、全国から選手をスカウトしてきます。監督はキャリアを積み上げます。多くの場合、選手の未来に対する責任は問われません。

近江の監督、将来ある投手が選手生命を賭けている姿を見てベンチで泣いてる場合ですか? 山田投手は明日は絶対に休んでください。資本主義の食い物にならないで。

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高校野球の投球制限問題で、私が以前からあたためているアイデアがあります。

──負かした高校から投手を借りる方式

です。夏の大会であれば、地方予選の準決勝と決勝で負かしたチームから、エースを一人ずつ借りられることにするのです。もちろん借りてきた投手は先発できず球数制限も厳しいのですが、一人の投手の負担は劇的に軽減されます。

負かした(殺した)チームから人を借りるなんて武士道精神に悖る? いやいや、将棋では、相手の捕虜を自軍の駒として戦うではありませんか。

エアロゾル感染その他

新年から公私ともに忙しく、バタバタしているあいだに年度末。ふう。確定申告は最終日に終わらせました。

あらためて書くかもしれませんが、週末のロードバイク探しを再開。昨年5月ごろ、熱心にお店を探していたんですが、妻の反対に遭い、頓挫しました。反対の大きな理由は、コロナ流行のさなか、室内への自転車持ち込みを認められないというものでした。

*   *   *

うちの妻は、外から帰ると着ていた服や買ってきたものなどをいちいち除菌するのです。そんな必要ないと言う私と何度も口喧嘩しました。私だって、外から帰ってきたら石鹸で手を洗いますし、コンビニの入り口とかでアルコール除菌せよと書かれていたらいちおうやりますけど、それ以上のことが必要とは考えていません。アルコールをシュッシュするたびに大切な皮膚の常在菌が死んでいるんだろうなあ。

下にリンクしたとおり、私はコロナウイルスの接触感染は稀だというのが科学的・客観的に正しいと思っています。たとえば、エレベーターのボタンを介して顔を合わせていないマンションの住人が複数感染したとか、発熱した新聞配達員が配った新聞で地域一帯に感染が広まったとは聞きません。ウイルスがモノに付着して感染が広まるのなら、お金なんて怖くて触れませんよね(お札や硬貨を消毒する人もいるそうですが)。

WHOは昨年の春からエアロゾルが主たる感染ルートだと主張していたのに、日本はなかなか認めず、感染経路は飛沫感染と接触感染だと言い張ってきました。国会で、野党はエアロゾル感染を周知させよと言いましたが、田村厚労大臣(当時)らがマイクロ飛沫感染だの空気感染だのと言葉遊びをし、「エアロゾル感染」という文言が厚労省HPに登場したのは10月のことでした。(→厚労省HP

なぜエアロゾル感染を政府は認めなかったのでしょう。満員電車が危険といわれ経済に支障が出るため? まさか、消毒用アルコール業界との癒着? 科学的・論理的な説明をしない日本政府や厚労省ですから、いろいろ疑ってしまいます。

エアロゾル感染についてきちんと注意換気しなかった厚労省は罪深い。学校や職場、高齢者施設などの対策は手薄になった反面、外食業界ではお客さんが帰るたびテーブルなどを消毒して回っています。テレビでは、アクリル板をはさめば出演者が大声で話してもいいみたいになっていますけど、多くの芸能人がコロナに感染しています。

国立感染症研究所にいたっては、エアロゾル感染をまだ認めてないそうです。WHOが主たる感染ルートと言っているのに……。日本の感染研、大丈夫でしょうか。

*   *   *

話をもとに戻します。

ほとぼりが冷めるまで、毎月の賃料がもったいないけど、ロードバイクの保管場所として、トランクルームを活用できるんじゃないかと思いつきました。

このあいだ、HPが更新しないため在庫状況がわからない某サイクルショップに行くと、型落ちの完成車が飾ってありました。ヒルクライムを想定している私には少々狙いが違うエンデュランスモデルでしたが、消費税分くらいは値引きしてくれるというので……。この話続く。

追記

ウクライナ侵攻に関する報道にモヤモヤ

ちょっとモヤモヤすることを書きます。

今回、メディアも人々もおおむねプーチンを批判しています。「単純な善悪二元論で語るのはよくない」という意見はもっともです。慎重に、丁寧に、ものごとを見る必要があります。とはいえ、いかなる理由があれ軍事侵攻は許されません。ましてロシアは核保有国かつ国連の常任理事国です。

とはいえ、ロシアを批判する日本政府や報道を見ていると、腑に落ちないことがありまして……。

たとえば、2003年にアメリカがイラクに戦争をしかけたときはどうだったか。イラクが大量破壊兵器を持っているといい、アメリカはイギリスやオーストリアと戦争を始めました。ときの総理大臣・小泉純一郎はすぐさまアメリカを支持しました。メディアは今回のプーチンを批判するように、ジョージ・ブッシュを非難したでしょうか。結果、多くの無辜の人々が命を落としました。フセインが葬られたあと、大量破壊兵器は発見されなかったと報じられました。つまり戦争の大義はなかったのです。そのことで、メディアや日本の有権者はアメリカや日本政府を指弾したでしょうか。

日本はイラク戦争を支持したことを未だに反省していません。数年前、山本太郎議員の質問に対し、安倍晋三首相(当時)は「日本政府は、大量破壊兵器を持っていないことを証明しなかったフセインが悪いという立場を変えていない」(大意)と言いました。[→国会議事録 平成30年5月28日

「ないことを証明しなければ、在ることになる」はいわゆる「悪魔の証明」です。「ネッシーがいないと証明したやつはいないから、ネッシーはいるのだ」

このたび、プーチンは、「(ウクライナは)核兵器を取得し、核保有国の地位を得ようとしている。見過ごすわけにはいかない」と言ったそうです[→日経新聞 2022/3/6。でも、ゼレンスキー大統領に向かって「核開発の意図がないと証明せよ」と言う人はいませんし、そんなことは立証できません。

ウクライナでは多くの民間人が殺傷され、メディアではロシア軍の非道さが報じられています。海外の報道やSNSで、多くの動画が見られます。明らかに、非軍事施設を狙ってミサイルを撃ちこんでいます。

イラク戦争では、10万人の民間人が犠牲になったとも言われます。そのときメディアで見聞きしたのは「誤爆」というフレーズでした。本当に誤爆だったのでしょうか。

プーチンが悪いのは当たり前だとして、なんだか、アメリカが同じようなことをしたときとの反応に非対称性を感じ、私はモヤモヤしてしまうのです。

われわれはアメリカの論理で世界を語っている気がしてきます。過去のことを棚上げして、今回のことだけ語るのは許されるのか、否か。歴史を眺めれば、いろんな理不尽な戦争があり、日本が日本の理屈で加害をしたこともあります。

──無限のモヤモヤが頭のなかを駆け巡ります。

地震

2022年3月16日の夜中、福島や宮城を中心に、最大震度6強の地震。みなさま、被害はなかったでしょうか。

以下は、東京都下に住む私のメモです──。

23時半過ぎ。緊急地震速報が流れていると妻がいうのでテレビを覗きました。こちらは揺れないなあ、と見ていたら、もう一度テレビに緊急地震速報。

わずかな横揺れがきたと思ったら、ガタガタガタと、強くなりました。

23時36分あたりのことらしい。震度は4だったとか。わりと長かった。

揺れがおさまる前に停電になりました。東日本大震災のときはスマホがつながらなかったけどライフラインは大丈夫だったので、不意を衝かれました。いろんな状況が起こりうるということでしょう。

スマホは昨年機種を変えたばかりなので、一晩くらいバッテリーの心配はありません。radiko アプリで、しばらく NHK や民放を聴いて情報収集しましたが、いったん radiko をオフにしたら、アクセス集中のためか聴けなくなりました。アナログラジオに切り替えてチューニング。どの局も、津波の注意喚起を伝えるアナウンサーが動転気味です。

妻が非常用のライトをたくさん出してきました。あちこち照らしたあと、風呂を入れようかといいます。うちは夜更かしなので、こういう時間帯に風呂に入ることも少なくないのですが、妻よ、停電だと給湯パネルが使えないのだよ。

Twitter はアクセスが多いのか更新できず、最新情報がつかめません。

ラジオによれば、東京でも停電に見舞われた地域が多い模様です。冷凍庫の食品が解凍される前に停電が終わりますように。

0時過ぎ、上着を羽織ってマンションの周辺と近所を徘徊しました。街灯は消えていますが、十三夜の月が真上にあり、とても明るい。日常と非日常のあわいに落ちこんだ夢を見ているような気分。京王線は電車が走っていたけど、もしかすると回送かな。パトカーが徐行していました。コンビニは閉まっていましたけど、駐車場に7、8人がたむろしています。

帰宅しました。電気がないと眠くなるもんです。寝ようかと思ったら電気が復旧。停電は、1時間40分でした。

あのまま就寝すればよかったのに、パソコンを点けてradikoで3時過ぎまでTBSラジオを聴いていました。山里亮太の番組の時間帯ですが、キニマンス塚本ニキ、荻上チキらがイレギュラーに出演、地震情報を伝えていました。福島の原発は大丈夫なんでしょうか……。

遠くから救急車両のサイレンが何度か。

目覚めて仕事を再開すると、前夜に数時間かけて作業したデータが停電によって保存されていなかったことに気づきました。やれやれ。午前中でやりなおしました。

教訓……緊急地震速報を聞いたら、即座にデータを保存するべし!

上野千鶴子『増補〈私〉探しゲーム』

上野千鶴子『増補〈私〉探しゲーム』(ちくま文庫)を本棚から引っ張り出して、ときたまパラパラめくります。原著は1987年1月刊。ちくま文庫版は1992年6月刊です。

大学の近代文学の講義で栗坪良樹先生が、上野氏『セクシィギャルの大研究』(カッパ・ノベルス、現在は岩波現代文庫)を読めとすすめてくれたのが、1987年くらいかな。最初はピンと来ませんでしたが、文庫版『増補〈私〉探しゲーム』を読んで偉い人だなと感心しました。

1980年代の文章です。世の中はバブル。ユーミンが広告代理店の仕掛けで「🎵 スキ、ヒ、てん、こく、へ〜」と歌い、大学生はシースポ同好会で遊びながら企業に青田買いされ、「3高」といわれる男たちがモテて、人々はハナキンに六本木などで飲みまくるもタクシーは捕まらず朝まで飲み、ファッション雑誌で流行を知った人々が狂ったようにデザイナーズブランドに群がり、ワンレン・ボディコンの姉ちゃんたちが踊り狂い、トレンディドラマという浮かれ番組がたくさんつくられ、クリスマスイブの日は半年前からホテルが予約で埋まっている。カネを使え、ダサいモノを捨てて流行りモノを買え、と脅迫されていた──つまり、私が「ケッ」と感じながら生きていた時代(少しは浮かれ現象に巻き込まれもしました)。

増補〈私〉探しゲーム』は、80年代を知っている人は時代をリアルタイムに評した文章として全編面白いでしょう。しかし、デフレマインド満ちる現在とは正反対ですから、若い人がこの本を読んでもピンとこないかもしれません。そんな方でも、文庫版のために書き下ろされた《序 「近代」の野辺送り》は必読だと考えます。ぜひ立ち読みしてください。

 この一〇年、時代の変化に、右往左往しながらもそのつど何とか対処していったのは、皮肉なことに「革新」側ではなく「保守」の方だった。彼らは時代の変化を鋭敏に感じとり、変わった世の中に合わせて自分たちの方が変化しなければサバイバルは覚束ないことをよく承知していた。変化に応じて次々と先手を打っていったのは「保守」の方であり、「○○を守れ」としか叫べなかった「革新」側は後手後手にまわってしまった。「保守」が革新的で、「革新」が保守にまわった奇妙な時代──それがこの一〇年ばかりであった。
 この夏(一九八六年)、衆参ダブル選挙で自民党は「圧勝」する。自民党を選ぶ選挙民が「オクレテイル」と見なすだけでは、「革新」側の硬直はすすむ一方だろう。彼らはオクレタ「革新」を見放して、ススンダ「保守」に時代の舵取りを委ねた「新・保守」民なのである。(11ページ)

1982年から1987年は中曽根康弘が総理大臣でした。中曽根政権は新自由主義的政策に舵を切り、国鉄を民営化することで全国の労働組合を弱体化させ、支持を失った社会党に大打撃を与えます。これまさに、保守であったはずの自民党が「改革」で支持を得るという不思議な現象でしたが、当時、ぼんやりしていた私はまったく気づかなかったのです。迂闊でした。

当時の若者は「自分探し」に興味がありますなどと言い、バックパッカーになって行方をくらましたりしたものです。「アイデンティティ」という単語もよく耳にしました。しかし、上野氏はこう喝破してのけます。

「近代」のアイデンティティというのは「変わる時代の中の変わらないわたし」というコンセプトだった。(略)「近代人」が一貫したアイデンティティという概念にしがみついている背景には、「わたし」の種々相がもう充分にバラバラなものになってしまった、という認識がある。それだからこそ、人々は一貫性を求めるのだ、というのがこれまで長い間、自我理論を支えてきた公準だった。(14ページ)

「アイデンティティ」が「近代人」のキイワードだとしたら、「脱近代人」のキイワードは何だろう?  〈私〉というものが、それを容れる社会ごと、これまでの概念ではとらえられないようなしかたで、急速に変容していっているように見える。だがアイデンティティを回復しようなんていうアナクロなかけ声はやめてほしい。むしろ時代の変動をクールな眼で見すえながら、時代にサバイバルする方策を考えよう。そろそろ「近代」的な思いこみから自由になってもいい頃じゃないだろうか。終わりつつある「近代」もろとも淘汰されないために。時代に内属しながら、時代の推移からアタマ一つ抜け出した見通しのいい知性で、時代の野辺送りをやってやりたい。それが本書の意図である。(17ページ)

近代の「変わる時代の中の変わらないわたし」はマーケティングする側が求めているもので、脱近代の人間はいくつもの自分を生きればいいといっています。「自分探し」なんてやめちまえってことです。

ああ、なんて切れ味鋭い解析でしょうか。

そのほか、パラパラめくるだけでも、社会の本質をスパッと切り取った文章が次から次に見つかります。キリがないので、このへんで本を書棚に戻しましょう。

( ↓ ものごとを見る羅針盤になってくれる良書です。受験しようがしまいが、高校・大学生は読んだほうがよろし。『増補〈私〉探しゲーム』も紹介されています)

『優生学と人間社会』

ここ数日、風呂では米本昌平+松原洋子+橳島次郎+市野川容孝『優生学と人間社会』(講談社新書)を読んでいました。優生学とは、犯罪者、精神病、障害者などの子孫を残さないようにするという、書くだに恐ろしい思想です。

優生学とはナチスが生んだと思われていますが、19世紀後半からヨーロッパの一部科学者が進化論や遺伝の原理を人間にも応用する形で発案したらしい。まずは宗教的基盤が脆弱な移民の国アメリカで実際に取り入れられ、とくにカリフォルニア州は「断種」が多かったとありました。

ナチズム期のドイツでは36万件から40万件の不妊手術があったそうです。さらに、1939年、ヒトラーは安楽死計画(T4作戦)を命じます。本書は、《ある意味で(略)一九三三年の断種法に始まるナチスの優生政策がたどりついた最終地点である》と表現しています。ホロコーストはユダヤ人絶滅を目指したものですが、安楽死計画の犠牲者の多くは生粋のドイツ人でした。

戦後、優生学はなくなったわけではありません。福祉国家スウェーデンでも不妊治療は行われました。日本でも1948年から96年まで、優生保護法があったのです。昨日、聴覚障害をもつ男性が不妊治療を強制されたことに国を訴えた裁判で、東京高裁が国に賠償を命じたと報じられました。(→東京新聞2022/3/11

戦後の優生学は、「不幸な子供をつくらない」などと言いつつ、国の福祉コストを削減する目的などで人権を蹂躙したものです。(本書に出てくる大西巨人と渡部昇一の論争は、前々から読みたいと思いつつ実現していません)

現代において優生学は否定されているのですが、DNA解析により遺伝学が進歩し、クローンや遺伝子組み換えの技術も生み出しました。また、出生前診断による選択的中絶をどう考えるかなど、多くの新たな社会的課題が積み残されています。

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──さて、ここからは私見です。

差別主義者だった石原慎太郎は、以下のようなタイプの問題発言をしています。
* 重い障害者のことを「ああいう人ってのは人格あるのかね」(1977)
*「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女は閉経してしまったら子供を産む力はない」(2001)
* 同性愛者を評して「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」(2011)
* 2020年にはALSを「業病」と言っています。業病とは、前世の報いによる病気です。

これらの発言には、ハッキリ優生学思想が見てとれます。2016年、相模原で知的障害者を45人殺した植松聖や、同年、性的マイノリティを「生産性がない」と書いた自民党・杉田水脈議員も同じです。命に軽重があるとでも考えているのでしょう。

彼らは、人間を人間ではなく、モノとして見ます。きちんと働いて税金を納め、健康優良な子供を何人つくるか。生産性があるか、ないか。社会コストがかかるか、かからないか。つまり、コスパがいい人間か、コスパの悪い人間か。

ここのところ、大阪府の新型コロナによる死者が人口比で見てダントツに多いことを問われた吉村洋文府知事が「亡くなっているのは80代の高齢者です」などと発言しています。老人は死んでもよいという口ぶりです。昨年は自ら「トリアージ」とも言いましたし、下にリンクした動画も同じことを言っています。命の選別を全力で食い止めるのが政治家の仕事ではないか? 大阪府民がたくさん亡くなるのは、福祉コストを削るため病床を減らしてきた維新府政のせいです。

口では多様性が大事などと言いながら、人を値踏みする社会。私はコスパ人間が跋扈する資本主義社会から脱することを夢見ています。……しかし、ああ、確定「深刻」せねばならない。

ご当地ラーメンの話

たまには堅苦しくない話でも……。

今日、ラジオを聞いていたら、ご当地ラーメンに関する話題になり、「和歌山のラーメン文化」とか「替え玉文化は博多だけだと思った」といったセリフが飛び交っていました。和歌山ラーメンというのがあるらしい。

ご当地ラーメンっていつから生まれたのでしょう。私が大学生だった1980年代、テレビ番組「愛川欽也の探検レストラン」や映画「たんぽぽ」あたりからラーメンブームが到来し、ほどなく荻窪ラーメンとか喜多方ラーメンという単語を見聞きするようになりました。

現在、うちの近くには横浜家系ラーメンや八王子ラーメンを名乗るお店があります。入ったことがないため、味の特徴はわかりません。

昨年、山口県宇部市で行われた竜王戦七番勝負第4局の事前インタビューで、豊島将之竜王と挑戦者・藤井聡太三冠(いずれも肩書きは当時)が、2人とも(!)宇部ラーメンを食べたいと言ったから腰を抜かしました。う……宇部ラーメン?? 35年くらい前まで広島県に住んでいた私ですが、隣県にそんなご当地ラーメンがあったなんて知りません。藤井聡太三冠は、対局初日の対局後にホテルで食べたといいます(→讀賣新聞。その後、宇部ラーメンの店に人が押し寄せているとワイドショーが伝えていたとか。

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以下は、速水健郎『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)第四章の受け売りです。

ラーメン博物館の館長・岩岡洋志は著書『ラーメンがなくなる日』に《郷土料理も郷土ラーメンも、その地域で長く生活している人々によって、時間の経過とともに練り上げられてきたものです。工夫と努力を積み重ね、郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれました》と書いているそうです。

たとえば、きりたんぽが《郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味》の料理と言われれば、私は信じるでしょう。しかし、秋田ラーメンというものがあるとして、それがきりたんぽと同じく長い伝統をもつ食文化と言われれば、「えっ?」となります。中華そばは戦前から全国にあったでしょうが、私が小さいころ、地名とラーメンがセットになっていたのは「サッポロ一番」くらいでした。

速水氏の本によれば、札幌の観光地化とともにラーメンが有名になったのは1950年代で、当時はとんこつ醤油でした。味噌ラーメンは「味の三平」という店が裏メニューとして出していて、60年代、東京と大阪の高島屋で開催した「北海道物産展」で実演販売し、有名になりました。68年「サッポロ一番みそラーメン」が発売され、同時期に東京からチェーン展開したどさん子により全国区に。結果、札幌の他店も追随し、観光資源としての札幌ラーメンが誕生しました。

九州とんこつの白濁スープ&ストレート麵は、1950年代の元祖長浜屋から広まったとのこと。札幌は「ラーメン」と言ったのに対し、ルーツが異なる博多では「支那そば」でした(本には書かれていませんが、博多ラーメンという呼称は1970年代後半からだとか)。全国どこでも「ラーメン」と呼ぶようになり、速水氏は「味覚の共同体」が誕生したのではないかと自説を展開するのですが、話が逸れるので割愛。

福島・喜多方は、1980年代、会津若松への観光バスが食事に立ち寄る場所でした。「まこと食堂」の平打ちの縮れ麺をに目をつけた観光協会は、喜多方ラーメンとして普及させることにしました。林家木久蔵(当時)がテレビで紹介したのをきっかけに有名になり、蔵のまち・喜多方のアピールに成功したそうです。

かくして、ご当地ラーメンはカネになるとわかり、第二、第三の喜多方ラーメンを創ろうとする自治体が増えました。宇部ラーメンも、宇部市が2012年から広めようとしているようです。

おさらいしましょう。1960〜70年代に札幌ラーメンと博多ラーメンのスタイル統一があり、80年代、意図的に喜多方ラーメンを生み出したことでご当地ラーメンというビジネスモデルが確立し、全国に伝播しました。《工夫と努力を積み重ね、郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした味が生まれ》たのではなく、自治体主導の努力による伝統文化の創設なんですね。ご当地ラーメンを統べる新横浜ラーメン博物館がオープンしたのは1994年です。

観光のためにご当地料理を売り出すという発想は、1980年代以降に誕生したともいえます。ラーメン以外の例を挙げれば、有名な宇都宮の餃子通りも今世紀に入ってから市が改称・整備・宣伝しました。

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ここからは蛇足。ご当地ラーメンは自治体発ばかりじゃないかもね、という話です。

私の郷里・広島には辛いつけ麺があるそうです。何度か「おいしい店はどこか」と聞かれたことがありますが、食べたことがないのでわかりません(お好み焼きなら紹介できるけど)。私が日々、広島をウロウロしていたときには広島つけ麵なる言葉すらなかったはずです。ただ、こちらは広島市が仕掛けたのではなく自然に広まったようです。

尾道ラーメンという言葉を聞くようになったのは、私が大学生だった30年ちょっと前かな。尾道市ではなく福山市の阿藻珍味が売り出したズバリ「尾道ラーメン」を新幹線のお土産売り場で見かけるようになりましたが、尾道を代表する今はなき「朱華園」とは関係ないはず。尾道ラーメンの場合はご当地ラーメンブームにのっかって、自治体ではなく、他の市の企業が創ったと言えましょう。