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狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『人新世の「資本論」』感想1

必読の1冊です。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

  • 作者:斎藤 幸平
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書
 

斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読みました。著者は1987年生まれ。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。大阪私立大学大学院経済学研究科准教授。経済思想、社会思想学者であり、著書『大洪水の前に』で「ドイッチャー記念賞」を最年少で受賞、とのことです。

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経済オンチの私がずっと考えているのはたとえばこんなことです。ちなみに、私はおおむかしに『共産党宣言』は読みましたが、『資本論』はまったく読んでいません。

  • 資本主義は経済を回して成長しなければならないというけど、もう経済成長を期待するなんてバカげているのではないか。
  • 経済の成長を追うことと気候問題を解決することは両立しないのではないか。
  • 先進国は縮小するパイに富裕層がむらがり、相対的に貧困層がますます干上がっているのではないか。
  • 世界の富裕国は途上国の貧困国から収奪しているのではないか。
  • 環境を破壊したツケは次世代以降が払うことになる。つまり、現代人は未来の世代からも搾取しているのではないか。
  • 土地や交通インフラや生活インフラはなぜ民営化されるのか。
  • そもそも金を持ってないと生きていけない社会はいつ到来したのか。
  • いい家住みたい、いいクルマ乗りたい、いい服着たい、流行にのりたい──ああいうのは全部刷り込みなのではないか。
  • 初期の狩猟採集社会を見よ。獲物は平等分配されるし、収穫がないときはそのへんの植物や虫を採集して食べる。労働時間はすごく短い。格差はない。なぜ人間は「進化」すると階層ができ、労働時間が長くなるのか。
  • なぜ虐げられた人々は自由と平等を目指さないのか。

『人新世の「資本論」』は、上記の私の疑問の多くに回答してくれました。

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「人新世」(Anthropocene)とは、ノーベル化学賞受賞者パウル・クルッツェンが名づけた概念で、人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味だそうです。「ひとしんせい」とルビが振ってあるけど、全部音読みで「じんしんせい」と読みたいなあ。

先進国の資本主義が生き延びようとすると、グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域ならびに住民)が痩せ細ります。ブラジルやオーストラリアの広範囲に及ぶ森林火災のように、地球温暖化によりさまざまな自然破壊が起きるでしょう。大量にCO2を排出するわれわれも火災の加担者です。もはや経済成長と環境破壊が相容れない段階に来ていることは否めません。そのあたりの危機について、斎藤氏はいろんな経済学者の理論を援用したり批判したりしつつ鋭く論じています。

このまま「成長、成長」と言い続け資本主義を貫けば、世界は野蛮状態に陥る可能性があり、環境悪化により人間は死滅しかねません。地球はほっとするかもしれませんけどね。「ずっと先のことだろ」と思っている50代以下のみなさん、平均寿命まで生きると仮定すれば、あなたが生きているうちに現実になるかもしれない話です。おとなもグレタ・トゥーンベリの主張に耳を貸したほうがよいと思われます。

斎藤氏は、資本家が労働者や途上国のみならず地球環境までを収奪する社会を捨て、経済の「脱成長」を訴え、カール・マルクスの思想を援用しながら具体的対策を説きます。本書に挙げられた市民運動の方法は夢物語のように思えるかもしれませんが、実際、バルセロナを中心に新自由主義に抵抗する自治体がネットワークをつくって動き出しているそうです。

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なぜ、いまマルクスなのか? 驚きの続編は、明日また。

9月のラン

そして私は9月のランについて書こうと思い立ちました。

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聴いているラジオで「パンケーキ嫌いな人いないよね」というんですけど、私は嫌いですよ。甘い物全般苦手。うちに砂糖はありません。妻はときどき甘いおやつを食べてます。私も夏にはビールくらい飲みますけど。

「ケーキがあるんですけど食べますか?」
「ありがとうございます。でも、結構です。甘い物が苦手なのです」
「じゃあ、果物召し上がる? 自然な甘さよ」
「ありがとうございます。でも、甘い物が苦手なんです」

……みたいな会話、何十回したことか。不思議なことは、みんな砂糖や人工甘味料を不自然な甘さだと感じていることです。ええっと何の話でしたっけ。

閑話休題(かんわきゅうだい)。この単語は宇野浩二が発明したと聞いたことがありますが、本当でしょうか。宇野浩二は大正時代から昭和にかけて活躍した小説家で、「そして私は質屋に行こうと思い立ちました」で始まる出世作「蔵の中」なんておかしい小説です。質屋の蔵の中に入り込み、自分が質入れした着物を虫干ししながら、自分が質入れした蒲団にくるまる主人公。服を眺めながら昔の愛人たちを回想します。……土蔵といえば、江戸川乱歩。そう、宇野浩二は乱歩に多大な影響を与えたのでした。ちなみに私は宇野浩二を中心に卒論を書きました。

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あ、9月のランでした。

今年の私は毎月毎月、月間距離で10年前の自分と競っているのです。8月は半分休んだので、年間記録では勝てそうにありません。

2010年(累計) 2020年(累計) 
1月 215km0(215km) 149km0(149km)
2月 208km0(423km) 251km0(400km)
3月 217km0(640km) 310km0(710km)
4月 240km0(880km) 250km0(960km)
5月 320km(1200km) 312km(1272km)
6月 302km(1502km) 305km(1577km)
7月 311km(1813km) 312km(1889km)
8月 310km(2123km) 108km(1997km)
9月 303km(2426km) 305km(2302km)
10月 312km(2738km) ---
11月 321km(3059km) ---
12月 316km(3375km) ---

2030年の自分が2020年の私に勝とうとするかもしれませんから、2010年の記録を1キロだけまくろうと思っていたのに、2キロ勝ってしまったのでした。10年後の自分、すまぬな。

木犀が一斉に香り始めたな、と感じたのは今年は9月の30日でした。

『立志・苦学・出世』……受験と通俗道徳その他

本棚から竹内洋『立志・苦学・出世──受験生の社会史』(講談社現代新書)を取り出し、読み直しました。今は講談社学術文庫に入っているんですね。

立志・苦学・出世 受験生の社会史 (講談社学術文庫)
 

新書は1991年刊。明治から昭和の終わりにかけての受験について書かれています。

現在のような受験システムになったのは明治30年後半。漱石『三四郎 』の主人公が上京してきたころです。入試を「受験」と呼ぶようになったのも同じ時期らしい。明治40年ごろすでに予備校も参考書もととのっていたとのこと。旺文社の前身である歐文社から「受験旬報」(のちの「蛍雪時代」)が出されていましたが、そういった受験雑誌は世界に例を見ないとか。著者は、日本の受験雑誌は受験生の意欲に火をつけるものだと言います。

「頑張らなければいけない」

そう、頑張って勉強して立身出世することは日本ではとても価値のあることでした。

《努力と勤勉は近代日本の民衆の中核的エトス(生活倫理)であったからである》(第四章)
《事実、努力・勤勉・忍耐などの近代日本の自己鍛錬のエートスは、元禄・享保期の商品経済の急激な転換による零落の危機の時代にサバイバル倫理として誕生したものである》(第六章)

──参考文献にもあるとおり、これは安丸良夫の「通俗道徳」です。

ところが、昭和40年代、灰色だった受験の様相が変化します。社会が豊かになっていくと《努力と勤勉という近代日本人のエートスは、価値でなくな》っていく。《近ごろ(註=1990年ごろ)の有名大学生は、受験でほとんど勉強しなかったことをひけらかそうと》する。《こうして受験から努力や勤勉の強迫観念が取り払われることによって試験の秘儀性が剥離され始めたことが受験のポスト・モダン現象》である。かくして、受験の化けの皮がはがされ、予備校は受験テクニックをあからさまに教え始める……。

苦学や学歴に対する鋭い指摘(ホット/クールなど)もあるのですが、それはぜひ本で読んでいただくとして。

テーマが「受験生の社会史」ですし、そう考えている人が多いのは事実とはいえ、大学受験が資格試験の一種みたい書かれているのは少し不満でもあります。そういえば、「どこの大学出たか」と尋ねられることはあっても、「何を学んでどんな卒論を書いたか」と質問されることはありません。

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『立志・苦学・出世』が出たのも、私が大学を卒業したのも、バブルがはじける頃。30年経ち、状況は変わっています。全員大学に入れる時代となった代わりに学生を確実に青田刈りするAO入試が増え、学費は値上がりし、奨学金を借りると卒業時に1千万円の借金ができると言います。今はコロナでキャンパスに入れません。いわば受験のポスト・ポストモダン現象が起きています。

格差が拡がると、「富裕層は教育にかけられる金が多くなるため、子どもがいい大学に行ける」というような機会の不平等も起きるのです。ポスト・ポストモダン現象は、明治の状態に似ています。

大学はなんのためにあるのか。
学問とはなにか。
大学がこんなにたくさんあっていいのか。
大学受験は資格試験なのか。
……疑問はたくさんありますが、私の考えはまたいずれ。

アルトラ・エスカランテレーサー

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アルトラ取扱店に行って買ってきました。薄底のアルトラ Vanish-R やルナサンダルを購入していたお店ですが、右足の中足骨あたりの痛みも完全に取れないので、チョー久しぶりに厚めのシューズを履いてみるか、と赴いた次第です。

店長さんと近況を話したあと、エスカランテにしようかなと言うと「mugibatake(仮名)さんならエスカランテレーサーですよ」とすすめられました(ちなみに、妻と数人の親戚以外に、ひとと対面で話したのはほぼ半年ぶりです)。

アルトラ(→HP)はナチュラルランを志向するアメリカのメーカーです。トレランシューズ中心のラインナップでしたが、ここ数年でロード用のシューズも増えてきました。

特長のひとつは、フォアフット着地をうながす目的でゼロドロップ(爪先と踵の高さが同じ)になっていることです。普通のシューズはヒール部分が分厚くて、踵着地をしても痛くないようにできていますけど、アルトラは違うんですね。もうひとつ、アッパーが広めにつくられていて指を圧迫しないよう設計されています。

でもアルトラは少しお高めでして。エスカランテレーサーは税込み1.8万円台。ある特典があり1割引で買えましたが、ううう……それでも1.6万円台は、あたくし史上、最高値のランニングシューズです。1,000kmは履かねば。

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何度か書きましたが、私は踵の厚いシューズが苦手です。ミッドフットで着地したあと踵が地面と軽く触れますが、踵が高いシューズだと一瞬速く着地し、ガツンと衝撃が走るんです。フルマラソンをファンランするつもりで履いた9mmドロップのミズノ・WAVE EMPEROR は、20キロを過ぎて違和感を覚え、30キロから脚が痺れて動けなくなりました。数ヶ月ダメージが残ってつらかった。

ここ2年間で履いているのは、以下の4モデルです。

  1. アシックス・ソーティマジックRP(5mmドロップ)
  2. ルナサンダル(ゼロドロップ)
  3. アルトラ Vanish-R(ゼロドロップ)
  4. メレル・ベイパーグローブ(ゼロドロップ)

5mmまでは平気なんですね。ただしソーティのミッドソールがへたって、相対的に爪先のほうが低くなると少し走りにくさを感じます。

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エスカランテレーサーを履いて昨日20kmのアップダウン(ロード)を走りました。重量200g以下だそうですけど、いつもよりガタイのいいシューズのせいか、最初は重く感じました。

むむ。これはマズいぞ。Altra EGO ミッドソールというミッドソールのレスポンスが利いているんでしょうか、足が勝手に進む感じです。6:00/kmくらいのジョグのつもりだったんですけど、自然に速くなってしまいます。きつめの坂を上るさいも調子のいいときのペースでした。「シューズの力で速くなるって練習になるの?」と考えちゃう私。走り終えたらお尻やハムにそれなりの疲れがありましたけど。

シューレースをゆるめに結んでいたら、アッパーが広いせいか下りではシューズ内で足が踊る感じがあり、きちんと結びなおしました。もう少しグリップが利けばいいのにな。

楽しいシューズですが、この走り心地に溺れないほうがよさそう。薄いシューズと交互に使用します。本日はメレル・ベイパーグローブで11kmジョグしてきました。足に楽はさせねえ。

 

民衆蜂起……安丸良夫2

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

 

原始的な狩猟採集社会は平等分配社会といわれ、階級はないと言われます。人間社会にとって現代の階級社会は普遍的ではないのかもしれません。そう考えると、人間の反権力的な行動に興味が湧いてきました。

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歴史学者・安丸良夫(1934-2016)『日本の近代化と民衆思想』の後半は一揆などの民衆蜂起について書いてあります。

江戸では、悪政をはたらく権威者に対して農民が一揆を起こすようになり、それなりの効果をあげました。庄屋は打ちこわしをおそれて、押しかけた農民たちに酒や食事をもてなしたり、役人が年貢を緩めてくれることもあります。ただ、小生産者農民たちは反社会的な宗教も思想も持たないので、宗教国家、民主主義国家、共産主義国家などを構想していたわけではありません。幕藩体制の枠組みのなかで「仁政」を行ってくれと要求しているのです。「封建社会という今の枠組みのなかできちんとやってくれ」ということですね。

いろいろ面白い話題がありましたが、割愛して幕末の話を。

為政者が「仁政」を行うことのみを要求してきた庶民は、外国船が来て幕藩体制の絶対性が揺らいだのを見て混乱します。

蛤御門の変をきっかけに幕府は二度の長州征伐を行いますが、乱世の到来と感じた人々は、尊皇攘夷派や長州藩に期待を抱きました。慶応三年、京阪地方に着いた長州藩兵をでむかえた民衆は、「長州征伐前後から予(かね)て長州は豪い者だ」と、兵士らと「ええじゃないか」を踊ったそうです。

では、彼らが支持した長州藩たちにより作られた明治新政府は、みなが望んだ「世直し」をしたのでしょうか。

《いうまでもなく、現実の維新政府は、年貢半減令をたちまち撤回し、世直し一揆を押えて豪農商層につく絶対主義権力であった》うえ、《攘夷のスローガンなどはいち早くすてて、民衆の伝統意識からは理解しがたい諸政策をつぎつぎと実施してゆく、えたいのしれない超越的権力であった》と安丸は書きます。不換紙幣の濫発、開港貿易にともなう物価騰貴、学制・徴兵制・太陽暦・地租改正……。

かくして、市中では洋服(外国人=異人の象徴)を着た官吏が襲われたり、封建復古・徳川家恢復・旧藩主ひきとめの一揆が頻発することになりました。しかし大正デモクラシーにいたっても最終的に国を変革するにはいたらず、庶民は忍性・我慢という通俗道徳に落ち着いていくのでした。

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坂の上の雲を追っかけて帝国主義に向かっていく明治新政府。司馬遼太郎や大河ドラマや教科書で日本のイケイケ時代をなつかしむみなさん、最下層の人々についても調べてみてくださいまし。

通俗道徳について……安丸良夫1

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

 

歴史学者・安丸良夫(1934-2016)『日本の近代化と民衆思想』について2度書きます。(政治にも触れざるをえないからまた「読者」が減っちゃう……苦笑)

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勤勉、倹約、謙譲、孝行、忍性、正直、早起き、禁欲、粗食などの徳目を安丸氏は「通俗道徳」と呼びます。民間でむかしから言われていた考え方でしょうけど、それを強化したのは農本主義だと安丸氏は書いています。

江戸後期、荒廃した農村の人々は酒や博奕に溺れていたそうです。それを怠惰のせいだと見た二宮尊徳や大原幽学は、農民の不道徳や不真面目さを反省させ、勤勉や倹約を説きました。しかし、実際のところ、近世後期の農村の荒廃は、封建権力と商業高利貸資本のすさまじい収奪が原因であったのです。市場経済に巻き込まれて困窮する小生産者農民に対して尊徳仕法などのあたらしいイデオロギーを植えつけることは、結果的に権力者の収奪をおおいかくし、ただでさえ疲弊する民衆から楽しみを奪い、労働や倹約を強いることにつながりました。

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ヨーロッパでは、宗教的言論、宗教的集会、宗教的結社としての自由を主張して、言論、集会、結社、思想と信条の自由が獲得されました。

日本の場合はどうでしょう。近代化過程において宗教的異端は黒住教、金光教、天理教、丸山教、大本教などの新宗教でした。しかし、新宗教の教祖の住居はミヤであり、歩行はミユキであり、配偶者はキサキと呼ばれたそうです。つまり、日本の伝統的意識において、神秘的な体験を媒介として宗教的権威が成立すると、現人神天皇のミニチュア版になります。まったく違う世界観はないのです。

安丸良夫は、庶民が信じていたミロク思想を富士講の食行身禄(みろく)行者が変質させたといいます。ミロク思想とは東方浄土から「みろくの船」が米や金をどっさり積んで困窮する庶民の元にやってくるという民間信仰です。ところが身禄は、ミロクとは心の問題であり、真摯な努力によってもたらされる、すなわち通俗道徳のことだと説いたのです。

日本の宗教は根本的に新しい社会を構想できなかったんですね。富士講に影響され、異端とされた丸山教も最終的には通俗道徳を説き、権力に従う道を選びます。

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『日本の近代化と民衆思想』の後半は、一揆などの民衆蜂起について書かれていますが、それは次回に……。

「通俗道徳」は近年日本でも言われる「自己責任論」につながります。「コツコツ勉強して頑張って働けば必ずや成功する。お前が不幸なのは努力を怠ったからだ」という考え方は一面その通りかもしれませんが、病気や事故、親の離婚などなど、本人の与り知らぬ不幸もあります。

通俗道徳=自己責任論の拡がりは権力者にとって都合がよいのです。

松沢裕作『生きづらい明治社会』は「通俗道徳」を紹介しつつ明治および現代日本の社会を解説した本です。岩波ジュニア新書だから平易に書かれているけど内容はヘビーですよ。松沢氏は、弱者救済しない明治政府にとって自己責任論は都合がよかったと書いています。 

明治7年の「恤救(じゅっきゅう)規則」には「人民相互の情誼によるべし」(つまり共助すべし)とあり、公助を得られるのは、①障害者、②70歳以上の高齢者、③病人、④13歳以下の児童のうち、働くことができず、極めて貧しく、独り身(一切身寄りがない)である場合に限られていました。どのくらい対象者がいたでしょうか。貧民窟という社会の最下層にいるのに、日雇い労働者や車夫、屑拾い、大道芸人などのワーキングプアは切り捨てられたのです。

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ところで、私は「今も本質的に明治の薩長支配が続いている」と見ています。

菅義偉首相は自民総裁選に際し「自助・共助・公助」と言いました。まず自分で自分を助けよ、その先に共助があり、公助がラストチャンスだなんて、明治政府と同じではありませんか。菅氏だけではありません。毎年年金保険料を払っている国民に、老後のために2,000万円貯めとけといった大臣がいました。コロナ対策について「自粛から自衛へ」と発言した都知事は記者から「自己責任か」と問われ、話をはぐらかしました。

近年推し進めてきた新自由主義政策の結果、非正規の労働者が増えたり、コロナ禍で雇い止めにあった人、ネットカフェ難民などが生まれ格差は広がっています。本来、こういう人に光を当て、セーフティネットを張る──つまり公助の手をさしのべる──のが政府の役割のはず。まず、自助だなんて地獄です。

菅氏自身は薩長土肥の世襲議員ではなく東北の農家の出身だそうです。しかし実家は農家といってもイチゴ農家として成功した豪農だそうですし、郷里は久保田藩の支藩である旧岩田藩らしい。国学者・平田篤胤の影響が強い久保田藩には勤王派が多く、奥羽越列藩同盟に参加せず最終的に新政府側について戦ったのでした。安倍長州政権を引き継いだのが、やはり官軍の末裔・菅政権……。話ができすぎていてちょっと怖い。

食行身禄の生涯↓

富士に死す

富士に死す

  • 作者:新田次郎
  • 発売日: 2014/11/07
  • メディア: Kindle版
 

課題はひとまず左足?

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左のシューズはアシックス・ソーティマジックRP、走行距離587km。
右はメレル・ベイパーグローブ、走行距離240km(のほか、普段歩くときも使用)。

ソーティは外側のミッドソールが完全に潰れて靴下みたいな感触でした。写真を撮ったあと13km走り、ちょうど600kmにしてサヨナラ。ベイパーグローブは穴が開いてますけど、補修して使えるかどうか……。このほか夏にはルナサンダルを履いていまして、きちんと記録していませんが、写真の2足より長く走っているのは間違いありません。いちばんソールが丈夫です。

相変わらず左右差があります。支持脚が左脚のとき、きちんと体重が載っていないのかもしれません。ミッドフットのもう少し真ん中あたりで着地すべきなのかもしれませんけど、そのへんはよくわかりません。